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正義感とは

僕は小さい頃からイジメはもちろんのこと、悪いことが嫌いで、悪い事やってる奴が嫌いだった

単純に正義の味方が好きだったし

世の中には正義と悪があると思っていた

小学校3年生の時に、漫画日本の歴史を見ていて、ちょうど鎌倉末期〜室町時代のところで、足利尊氏やら、楠木正成やらが戦っているのを見て

3つ上の兄に、「これどっちが悪もんなん?」と聞いたことがある

その時小学6年生だった兄は「歴史に良いもんとか悪もんとかはないねん。」と言ってきたのをいまだに覚えている


何を言うとんねん

その時の感想はそうだった

良いもん悪もんがないなんて、そんな話があるかと。じゃあ、なんでこいつらは戦っとんねん

そう思ったのを覚えている

そして小学校5年生の時に、三者面談で担任の先生が

「TK工房君はちょっと正義感が強いところがありまして、、、」

と母親に話していて、その続きがどんな内容だったかはすっかり忘れてしまったが

とにかく嬉しかったのを覚えている


先生に「正義」って言うてもらった!俺、良いもんやん!


その三者面談の帰り道で嬉しさのあまり、母親に

「今日、僕、正義感が強いって言ってもらったな!」

と自慢げに言ったところ、母親から

「あのな。正義感が強いっていうのは褒め言葉ちゃうねんで」

と言われて衝撃を受けたのを覚えている

え、、、母ちゃん、何を言うてますねや


正義感が強いのが、褒め言葉じゃない?

そんなアホな

もしかして、母ちゃんは悪もんなのか!?

その言葉を理解出来ないまま、中学生にあがる


当時通っていた地元の中学は珍しく給食制だった

給食なので、好きなものも嫌いなものも皆平等に出てくる

当時、僕はレーズンパンが大嫌いだった

というか今でも好きじゃない

一方で、ぶどうは好きだ

何で美味しいぶどうをわざわざ干すねん!?

誰やねん!!干したやつ出てこい!

くらいに思っていたが

好き嫌いをして残すことが悪いことだと思っていた僕は、給食にレーズンパンが出てきても無理して食べていた

それこそ鼻を摘んで口に入れ、牛乳で流しこんでいたのを覚えている

そしてレーズンパン嫌いは僕だけじゃなかった

他にも2人、大のレーズンパン嫌いがいたのだが、そいつらは一口も手をつけずに普通に残している

それだけならまだしも、おかずゲットじゃんけん大会(※)にも平気で参加しやがる


(※その日の欠席者分の余った給食のオカズをかけたジャンケン大会。ハンバーグとかプリンとかそういうのでかなり盛り上がる。)

いやいや、待てよと。お前ら、出されたもん残しておきながら、好きなもんは余分に貰おうとするとか、どんなけ自己中やねんと。

そいつらを激詰めして、無理矢理レーズンパンを食わせようとしたところ、それを見ていた担任の先生に、爆ギレされてしまった

え、俺が怒られんの?

どういうこと?間違えてへん?

先生頭おかしなった?


意味がわからなすぎて、イライラが収まらない僕は、家に帰って母親にそのことを話した


すると母親から返ってきた答えはこうだ


「お前な。小学校の頃も正義感が強いって言われたの覚えてるか?」

覚えている。なんせまだ納得していない。

「お前が嫌いなもんであってもちゃんと残さず食べてるのはえらいわ。でも、それが出来てない人が悪いわけじゃないからな。それを人に押し付けるなんてもってのほかやぞ。人には人の都合があるねん。自分が良いと思ったことを自分がやるのはええ。それを人に押し付ける権利はお前にはないねん。わかるか?」


わかりません!


いやいや、俺の行動が正しいなら、その行動をとってないやつは正しくないやろ。え?正しくないよな?え、どゆこと!?


残念ながら当時のTK工房少年にはまたしても理解ができなかった


そして、かれこれ25年ほど経って今は立派なオッサンになりましたが、今ならわかります

当時そんな僕に的確に指導していた母ちゃんの凄さも


そして正義感っていうのがなかなかややこしいものであることも

てか、そもそも正義って言葉が時にヤバいことを。


ネット上でよく見る正義をふりかざす人達を見てふと思い出したとりとめもないエピソードでした。

最後までお読み頂きありがとうございます。

ちなみに小山田はあかんぞ

あれはあかん

イジメだけは絶対あかん

サポートいただいたお金は、こんな僕を育ててくれた母ちゃんに還元したいと思います。