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彼の名は。

※この物語の登場人物の姓名は仮名にしています。

海外旅行の醍醐味。

それは、日本で生活していては決して味わうことのない刺激的な体験をすることにある。
そう、これは私が初めての海外一人旅で経験した一人のアメリカ人による粋なサプライズの話である。

今でも鮮明に思い出す、あの光景を。
忘れたい人、忘れたくても忘れられない人。そう彼の名は…!

2年前の出来事。

2018年、あまり疑うことなく過ごしてきた人生に迷いが生じた。
学生時代から4年ほど付き合っていた彼女と別れ、なんとなく思い描いていた人生プランはある日を境に一旦白紙になったからだった。
はてさて自分の時間をどう使おうか?と考えることが増えた。
それで『人生でやりたいことリスト』を作ることにした。
リストにそれまでやったことのなかった海外一人旅を加えた。
初めての一人旅、行先はどこにしようかな。
『海外_男_一人旅』の検索結果の上位にあったサイトによるとランキング1位はタイだった。一人旅が初めての方でもチャレンジしやすい国だからとのこと。
正直、あまりピンと来ない。一念発起しての一人旅の行先がタイじゃ、インパクト弱いな。(タイの人に失礼)
もう一度考えてみた、本当に行きたい国はどこなんだと。

それは間違いなく、アメリカだった。
さらに言えばニューヨークだった。

学生時代に行ったグアムのような、なんちゃってアメリカではなく、アメリカ本土である。(グアムの人に失礼)
アメリカを知らずに死ぬのは嫌だ!!!
初めての海外一人旅は年末年始のニューヨークに決まった。

出発まで。

2018年から2019年にかけての年末年始は
カレンダーの並びが良く、9連休だった。
そう、その時期といえば
かの有名なタイムズスクエアのカウントダウンである。

行くと決めたら即行動!「冬のボーナス全突っ込みや!!!」
ピークシーズンのため、決して安くないことは承知で、とある旅行代理店に駆け込んだ。
(今となっては、もう少しリーズナブルな旅行を手配できたかなとは思う)
その日に申し込みを済ませ、ガイドブックを購入し、おすすめプランや持ち物リストに従って、準備を始めた。

まずは、期限が切れていたパスポートの更新、それからレストランの予約やブロードウェイミュージカルのチケット購入、GoogleMapsに行きたい場所をブックマーク、大人用おむつの購入、イモトにポケットWiFiの申し込み、旅の思い出を記録に残そうと一眼レフを購入など。

月日はあっという間に過ぎ去り、とうとう待ちに待った年末を迎えた。

12月29日夜の成田発の直行便だったため
当時、大阪に住んでいた私は、関空から羽田に飛び、そこから更に成田まで陸路を移動する必要があった。

成田に到着した頃には既に夕暮れ時となっていた。
朝早くから移動しかしてないのに、もう、日が暮れてもうてるやん。なんて思いながらも、無事出発地に着いたことに安堵していた。

あとは、出国審査を済ますだけか。もう一息やな。

空港内はそれなりに混雑していたものの、程なくして手続きを終えた。
特に何を買うでもなく、免税店をぶらぶらした後、小腹がすいたので、食事をとることにした。
和食料理店を発見。今日からしばらく和食もお預けやな、と思い、そこで寿司と蕎麦のセットを注文した。
「いただきまーす!」とスマフォをいじりながら、蕎麦をすすっていると、ふと、胸騒ぎがした。

あれ?何か忘れている気がする、何やろな?
すぐには思い出せなかった。
出国の手続きは無難に済ませ、搭乗開始時刻を待つだけのはず..

「はっ!ポケットWiFi受けとってないやん!!」

朝から移動に次ぐ移動でようやく成田に着いたところで、それまで張り巡らせていた緊張の糸が切れ、すっかり忘れていたのである。
あかん、優雅に和食食べ納めとる場合やないやないか!出発時刻まで、あと1時間半といったところ。
急いで寿司と蕎麦を掻き込み、出国審査ゲート傍にある事務所へ行き、ダメもとで掛け合ってみることにした。

係の人に事情を説明し、なんとかして出発ロビーに戻ることができないものかと掛け合った。
「原則、一度手続きを終えたら戻ることはできない。しかし、一つだけ出国審査のゲートから引き返し、出発ロビーに戻れる方法があるかもしれない。」係の人は言った。
「利用する航空会社のスタッフが同行してくれるならば。」
時計を見ると出発時刻まで1時間を切っていた。
急いでユナイテッド航空のご案内カウンターへ行き、掛け合ってみることに。
スタッフの方々だけが頼みの綱だと。
情に訴え、なんとかならないものかと懇願するも虚しく、あっさり断られてしまった。
「一人の旅客に付き添える余剰要員はいない」とのこと。そりゃそうですよね。

この旅は、NOポケットWiFiで過ごすことが確定した。

改めてイモトからの配信メールを見返してみると、確かにちゃんと書いてあった。出国審査後を済ました後、出発ロビーに戻ることは原則できません。

ひとまず搭乗ゲートに戻り、代替策を考えることにした。渡航先で、インターネットの通信手段がないのは中々辛い。
SIMフリースマフォを購入する方法など
何がベストなのだろうと、様々な手段を調べた。
LinkNYCなどのWi-Fiステーションもニューヨーク市街のいたるところにあるようだ。
まあ、何とかなりそうかな。
そうこうしているうちに搭乗開始時刻となり、機内に乗り込んだ。

こうして、前途多難な形で旅がスタート。
日本を飛び立つのであった。

はじめてのニューヨークへ。

『一人旅』と銘打ったものの、厳密にはニューヨークに到着してからの2日間は一人ではなかった。

当時、アメリカ駐在していた友人に連絡を取り、現地で合流する約束をしていたのだ。
そして、友人は車を所有しており、到着地であったニューアーク・リバティ空港まで迎えに来てくれるとのことだった。
「夕食を一緒に食べて、それから軽くタイムズスクエア周辺を散策しよう!時差ボケはすごく辛いだろうから、体調がすぐれない場合は、散策は辞めにして、体調回復を優先させてね!」と優しいメッセージをくれていた。

実際のところ、時差ボケは全くと言って良いほどなかった。
むしろ、着いてからはテンション爆上げ状態だった!
入国審査を無事完了し、30分限定で使用できる空港内のWi-Fiを拾い、友人に到着の連絡をした。
空港は送迎の車でごった返しだったが、無事に友人を見つけることができた。
異国の地に懐かしい顔があった。一安心だ。

左ハンドルを握り、アメリカ生活には完全に馴染んでいる様子で、意気揚々と話をする姿はとても頼もしく、以前日本であった時の彼よりも一回り大きく見えた。
というか、ファッティーな食習慣によって実際には二回りぐらい大きくなっていたw

まずは、郊外にある、彼が宿泊するホテルに寄り、車を置き、バスに乗ってマンハッタン島へ移動した。
マンハッタンに着いた頃には、21時を回っており、何よりもまず食事をとることにした。
その後はクリスマスツリーや任天堂の前で
子供みたいにはしゃぎ記念撮影をした。
友人はマンハッタンの街を庭のように熟知しており、GoogleMapsいらずだった。

カウントダウンが数日後に迫ったタイムズスクエア。とにかく、たくさんの人がいた。

気づくと23時を過ぎていた。
ホテルのチェックインが24時までだったので、その日は友人と別れ、各々が宿泊するホテルに向かった。

これからどんなことが待ち受けているか、その時はまだ知る由もなかった..

地下鉄に乗ってブルックリンまで移動し、ホテルに到着した。
フロントスタッフに名前を告げ、チェックインの手続きをお願いした。

とても長い一日が終わろうとしていた。
13時間のフライトとマンハッタンの街をはしゃぎ歩きまわったことで、もうクタクタだ。早くベッドで休みたい。



おや?雲行きが怪しい感じだ。
日本名だから確認に時間がかかっているのだろうと最初は思った。

パスポートも差し出し、改めて確認してもらうことに。
きちんと検索してもらえば、宿泊予約者にヒットするはずだ。

Sorry.Your name is not on the list.

Oh,Shit! What’s happened.

気が動転した。
一難去って、また一難とは正にこのことだ。(ポケットWiFi取り忘れは、他の誰でもない完全に自分の所為なのだが)

心身ともに疲労困憊だったこともあり、しばらくロビーのソファーで呆然とした。
なぜだ、なぜ予約がされていないのか。意味が分からない。

時間も遅く、日付が変わっていた。

しかし、いつまでもホテルのロビーで呆然としているわけにもいかないので
今から宿泊できる空き部屋はないかと確認してもらうことにした。

You can stay here tonight.

空き部屋はあったようだ。

なんとか、寝床を探し求めて深夜のニューヨークの街をさまよい歩くという最悪の事態は回避できた。
中国系のフロントスタッフが部屋まで案内してくれた。
たどたどしい英語でのコミュニケーションをとっていたことを察してか、
ホテルのサービスについて、メモ帳を使いながら、丁寧に教えてくれた。

そのフロントスタッフと別れ、一息つく間もなく1時間前に分かれた友人に連絡した。

彼もちょうど郊外のホテルに到着したところとのことだった。

事情を説明し、電話を持っていない私の代わりに、旅行会社に連絡をとってもらうことを依頼した。

旅行会社の担当者曰く、日本とアメリカの時差の関係で、すぐにホテルの予約状況についての確認結果を回答することは難しく、日中に改めて友人の番号に連絡をくれるとのことだった。

その日は完全に友人におんぶに抱っこだったが、何とかなりそうな兆しは見えた。
本当に感謝してもしきれない。

そういえば、もう一つ解決できていない問題があった。
スマフォの通信回線の問題だ。
しかし、それについては、あっさり解決した。
当時契約していた通信キャリアに海外通信の定額プランが用意されていたのだ。パスポートの期限が切れるくらい海外旅行が久しぶりだったこともあり、そんなプランがあるとは知らなかった。完全なる盲点。
そして、何ならイモトよりも1日の使用料金が安いではないか。
もっと調べておけばよかった。

何はともあれニューヨーク初日は、何とかベッドの上で終えることができたのだった。

二日目。

翌日、友人と合流し、事前にリストアップしていたニューヨークの観光地巡りをした。

しかしながら、うわの空である。

それもそのはず、初日は宿を確保できたが、問題の根本は解決されていないままだ。いつ旅行会社から電話がかかってくるのだろうかとソワソワしていた。友人は翌日にはボストンで予定があるため、ともに過ごすのも今夜で最後だ。ここまで観光をガイドしてくれた友人とはお別れ、正真正銘一人になる。
それまでに宿泊場所の確約を取りたい。

少し遅めのランチを食べ終え、店を出た頃、友人のスマフォが鳴った。
旅行会社からだった。
友人からスマフォを借り、電話に出た。
相手はニューヨーク支店で駐在している日本人の担当者だった。
事の発端について、詳しく聞くことができた。

航空券の予約番号から旅行の申込番号を辿り、その番号で、ホテルの予約状況を照会することができたようだ。

確かにその申込番号で5泊6日のホテルの予約はされていたとのこと。

違う男性の名前で。

え?どういうこと?
一瞬とまどったが、続けて説明を聞くことに。
事の顛末としては、日本の旅行代理店から委託を受けている
ニューヨーク支店のホテルを予約した別のアメリカ人の担当者がまさかの

自らの名前で予約を取っていたのだ。

いやもう、旅行代理店、代理できてへんやん!
と心の中で激しく突っ込んだが、電話口の相手に行ったところで仕方がないので言葉を飲み込んだ。

とりあえず、これで安心してニューヨーク観光を心置きなく楽しめる!
心配してくれていた友人もホットしていた。

21時頃、当初の予定通り、ボストンへ向かう友人を見送り一人になった。

その日は少し早めにホテルに向かうことにした。

ホテルに着き、旅行会社の担当者から電話口で告げられた内容を思い出す。
旅行会社からホテルに事情を説明し確認したが、
今から予約名を変更することはできないとのことだった。
しかし、同伴者として名前を追加登録したから、氏名を伝えれば、問題なくチェックインできるようにホテル側の確認は取れていると。

正直少し腑に落ちない点はあるが、チェックインできるならば、大した問題じゃないか。今後、昨晩のような不憫な思いをしなくて済むのであれば。

少し離れた場所に昨晩お世話になった中国系のスタッフがいた。私の顔を覚えていてくれていたようで、良かったねと言わんばかりに、微笑んでくれた。

昨日とは異なる番号の改めて今晩から過ごすことになる部屋のカードキーと
トランクルームからキャリーバッグを受け取り、エレベータへ。

客室数が多く、東西に長く伸びた客室フロアで歩みを進めながら、
今までホテルの宿泊に関して今回ほど動揺を感じたことはなかったなと
そんなことを思いながら、部屋番号を確かめ、ゆっくりと部屋の扉を開けた。

カードキーを扉の傍に差すと、照明が点き、部屋の中が明るくなった。

80インチはあるだろうか
とても存在感のある巨大なTV画面に映し出された
ド派手な文字が目に飛び込んできた。

『WELCOME!!! KEVIN FISHER!!!』

今でも鮮明に思い出す、あの光景を。
忘れたい人、忘れたくても忘れられない人。

そう彼の名は…KEVIN FISHER!!!

唖然とした!目を疑った!今でも脳裏によみがえる名前!

何を隠そう、旅行を申し込んだお客さんの名前ではなく、
まさかの自分の名前でホテルの予約をしてしまった、張本人だ。

この時期、世界中から推定100万人がタイムズスクエアでカウントダウンをするためにニューヨークに訪れるという。

ニューヨークにあるホテルは、そんな世界中から訪れた宿泊客に対して
アメリカらしいド派手な演出によって、もてなすのだろう。

本来ならばとても嬉しい、ホテル側の粋な計らいが

こんな形で裏目に出るなんて!!



その後の旅程はトラブルに見舞われることもなく、一人旅を思いっきり楽しむことができた。

ニューヨークは想像していた以上に派手な演出が多く、
刺激的な街であったが、今回の旅行において
”彼”以上のサプライズが用意されていたことは、後にも先にもなかった気がする。

また、帰国してからの旅行会社の対応は迅速で、空港に到着するや否や謝罪の電話がかかってきた。もう、怒りの感情などなく、無事帰国できたことが何よりだった。

最後に。

忘れたくても、忘れられないと書いたものの 初めてのアメリカ一人旅が
忘れられない思い出になったのもホテルの一件があったからで

今となっては良い思い出だ。

日本で生活していては決して味わうことのない刺激的な体験をすることができたと思う。

どんなトラブルに見舞われたとしても、周りの人に助けを借りながら、
一つ一つ問題は取り除かれていくのだ。

こうして今回、noteの一記事として筆を取ることができたのも

“彼”による粋なサプライズがあったからだ。

と今は思っている。

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