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労働判例を読む#381

今日の労働判例
【国(在日米軍厚木航空施設・パワハラ)事件】(東京地判R3.11.22労判1258.5)

 この事案は、米軍Kの基地で働いていた元従業員Xが、その上司らにパワハラを受け、適応障害を負い、退職することとなった、等として、日本国政府Yに対して損害賠償を請求した事案です。なお、米軍内での労務管理上の問題について、日本国政府が責任を負うのは、日米地位協定と、それに基づく特別法の規定によりますが、ここでは検討しません。

1.判断構造
 事実認定に関して注目されるポイントの1つが、判断構造です。
 Xは、非常に多くのエピソードを、パワハラに該当する違法なものであり、Yが責任を負う理由である、と主張しています。
 これに対して裁判所は、①まず、特に重要なエピソードについて、それぞれが実際に存在するかどうかを検討し、次に、②存在が認められたエピソードのそれぞれについてKの義務違反があるかどうかを検討し、次に、③義務違反が認められたエピソードのそれぞれについて、適応障害と退職の原因となっているかどうか(相当因果関係があるかどうか)を検討しています。エピソードのいくつかについては、①②が合わせて議論されていますが、それでも検討過程で①②の違いが意識され、議論が整理されていますので、全てのエピソードについて①~③の三段階で検討されていると評価できます。
 Xの主張する極めて多くのエピソード1つ1つについて、しかもこのそれぞれの段階ごとに、詳細に証拠や事実を検証し、評価しているため、極めて長大な判決文となっているのです。

2.①事実認定の特徴
 次に、①エピソードの有無の判断です。
 ここで注目される1つ目のポイントは、裁判所はXの証言全ての信用性を認めていないにもかかわらず、エピソードの一部についてXの証言を主な証拠に認定している点です。
 本事案では、例えばXと当時の上司の証言が食い違ったり、Xの証言しか証拠がない部分があったりします。さらに、Xの証言には、客観的な証拠と食い違う部分もあります。
 このことから裁判所は、Xの証言の信用性を否定的に評価しています。
 実務上の観点からすると、証言のうち、具体性に欠ける抽象的なものについて否定的に評価している点、これらのことから「真実ではない又は誇張であると考えられる部分も含まれる」と評価している点が、特に参考になります。訴訟に限らず、例えば社内調査などでも関係者の証言をまとめることがありますが、その際、例えば「いつも怒っている感じだった」という抽象的な評価だけで、その具体的な例となる言動が示されなければ、事実認定に役立たないことになるので、具体的なエピソードをリアルに聞き出し、記録に残しておくことが重要であることがわかるのです。
 このように、証言の中に消極的に評価される部分があるにもかかわらず、裁判所はその証言全てを否定するのではなく、前後の状況に照らして合理性がある部分については、エピソードを認定しています。例えばある叱責について、「繰り返し叱責したという限度では、信用性を有すると考えられる」と判断しているのです。
 これは、証言全体が疑われるような場合であればともかく、証言の内容については、そのエピソードごとに信用性を判断していく、というきめ細かい評価がされることを表しています。
 2つ目のポイントは、証言が対立する場面での判断です。証言が対立するエピソードについて、そのことだけで直ちに証拠がない、したがってエピソードも存在しない、と簡単に結論付けていないことも注目されます。
 すなわち、前後の状況等からエピソードの合理性がある場合、例えばこのような状況で行われた発言であれば、Xの主張するような言動があったとみるのが合理的、したがってエピソードの存在や内容を認定する、という判断がされているのです。
 本事案のパワハラのような労務トラブルに関し、従業員側の主張を裏付ける証拠がない場合であっても従業員の主張が認められる場合がある、ということを留意しておきましょう。

3.②義務違反認定のポイント
 ここでのポイントの1つ目は、叱責行為が幾つか認定されているものの、義務違反が認められなかった叱責行為もある点です。
 一部には、パワハラのルールが厳しくなってきているので、部下を叱ることができなくなったと誤解している人もいます。さらに、そのことによって、職場の規律が緩み、求心力が弱くなり、生産性や従業員のモチベーションが下がっていると感じる経営者もいます。
 けれども、裁判所は、認定された4つの叱責行為のうち2つについて義務違反を否定しています。適切な叱責は違法でなく、経営の観点から見た場合には、時には叱責することが必要な場合もあるでしょう。
 2つ目のポイントは、判断基準です。
 この判決では、特に叱責行為の場合、それが「業務の適正な範囲を超える」かどうかが基準となっています。これは、労働政策推進法30条の2の1項で示されるパワハラの定義の中で用いられている「業務上必要かつ相当な範囲を超えた」かどうか、に該当します。同条項は法改正により追加されましたが、当初の法案では裁判所の表現と同じ表現が用いられていました。判断枠組みをより明確にする、という趣旨で立法過程で現在の条文の表現となったのですが、その意味は変わらないと言われているのです。
 実際、パワハラが認められた2つの叱責行為については、叱責すること自体は許されるとしつつ、いずれもその態様が「業務の適正な範囲を超える」と評価しています。すなわち、法が明確にした判断基準である「必要性」「相当性」に関し、必要性は認められるが相当性は認められない、という趣旨の判断が示されています。
 このように、判決上の表現はともかく、法が明示した「必要性」「相当性」の判断がどのように行われるのかを知るうえで、参考になります。
 3つ目のポイントは、叱責行為以外のエピソードの取扱いです。
 Xは、叱責行為以外にも、例えば、パワハラを防止したりパワハラに対処したりするべきなのにこれが不十分であった点、Xからの有給休暇の行使に対するKの時季変更権の行使や、Xの勤務時間を変更するKの人事上の措置について、違法性があると主張しています。結論的には、これらについてYの責任が否定されていたので、違法ではないという評価がされたのですが、判断の方法としては、これらのKによる人事権の行使が「不合理」かどうかによって評価しています。つまり、合理性の有無が判断基準とされています。それは、これらのK側の言動が人事権の行使であり、それがXに対する損害賠償を発生させるということになれば、人事権の濫用があったことが必要になるはずですが、その前提となる不合理性が認められない、という理論的な構造のようです。
 叱責行為がパワハラに該当するかどうかは「適正な業務の範囲」かどうかですから、言葉としては少し違いますが、ここでの合理性の基準と、実際の判断のうえでは同じような方法で判断しています。すなわち、問題となる上司やKの言動が不合理と言える程度のものかどうか、と合理性が問題とされており、「必要性」「相当性」と同様の判断がされているのです。
 このように、パワハラの成否と、人事権の濫用の成否について、法律構成や判断基準が異なっているものの、実質的には、広い意味で「合理性」が共通する判断基準として機能していることが理解できます。もちろん、例えば解雇の場合には解雇権濫用の法理(労契法16条)が適用されるため、よりハードルが高くなりますから、全ての判断基準が「合理性」に置き換えられるわけではないのですが、パワハラの成否と同様の観点から判断される場面の1つの例として、参考になります。

4.③因果関係判断のポイント
 ここでは、適応障害の発生については因果関係が肯定されたのに対し、退職については因果関係が否定された点が注目されます。
 Yの側から見た場合、適応障害については、Xがもともと有していた病気が原因である、という主張が否定されたのに対し、退職については、Xの自由な意思で退職した、という主張が肯定されたことになります。
 これらはいずれも、Xの精神の健康状態についての認定という医学的な問題が争点となります。すなわち、Yの側から見た場合、もともとXが精神的な障害を負っていたのかどうか、というかなり古い問題については、立証に失敗したものの、Xが退職を決意した時点で、自由な意思による判断を阻害されるほどの精神的な障害を負っていたのかどうか、という比較的新しい問題については、立証に成功した、すなわち証明の時期の違いの問題である、という見方もできます。また、かつて精神的に障害を負っていた、という重い病気の存在の証明は失敗したが、退職時に自分自身で判断できた、という病気がそれほど重くなかったことの証明は成功した、すなわち病気の重さで見た場合に「重かった」ことの証明に失敗し、「重くなかった」ことの証明に成功した、と見ることもできます。
 しかし、時間の経過に応じてX自身の状況も変化していますから、このような対比も一般化することは難しいでしょう。訴訟上明らかにされたさまざまな医学的な証拠や事実に関し、1つ1つ丁寧に検証し、評価している、という点が、一般的に見ても参考になるポイントであると思います。

5.実務上のポイント
 最後に、❶本件では不法行為に基づく損害賠償については、消滅時効を理由にYの責任を否定していますが、安全配慮義務違反に基づく損害賠償については、❷Y自身の安全配慮義務違反は否定しつつ、❸Kの安全配慮義務違反に関するYの責任を認めています。
 特に注目されるのは、❸です。日米地位協定とそれに基づく法律により、Kの安全配慮義務違反の責任を米国に追及できない以上、日本国政府Yが「信義則上」責任を負う、等と判断したのです。
 米軍基地で働く日本人従業員(防衛省に雇用され、米軍基地で、米軍の指揮命令下で働く従業員)の法的な地位の弱さについて、同じ労働判例誌の巻頭言で問題提起されています(「遊筆」春田吉備彦、労判1258.2)が、安全配慮義務に関し、従業員保護の在り方について参考となる解決を示したと言えるでしょう。
 また、上記で検討した、パワハラや人事権の濫用に関する判断は、他の事案でも参考になる多くのポイントを示しています。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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