一人旅の効能
一人旅に行くという行為は、まだそんなにメジャーではないらしい。
会社の先輩と年末の休みに何をするかという話をしていて、自分が1泊2日で城崎温泉に行くと言ったら、いささか驚きの混じった反応が返ってきた。誰かと行くのが普通だと言わんばかりの表情である。詳しくは聞かなかったが、先輩たちの中では一人旅という行為にあまり親しみはなさそうだった。
といいつつ、実は自分自身も一人旅からは少し遠ざかっていた。自分は大学生のときに2回、国内と国外で一人旅をしたが、今回行くのはそれ以来で、実に5年以上ぶりであった。その時の2回はどちらも実りある旅だったのだが、今回はその時から時間も経っているし、学生から社会人になっているしで、同じように楽しめるのか、いまいち確信の持てない部分があった。
なのにどうして一人旅をしようと思ったのか、という話だが、宿の予約などをした時は仕事でストレスが溜まっており、半ば衝動的な企画だった。それから時が経つにつれて、一人旅に行きたいという気持ちはだんだん減っていったのだが、とはいえすでに宿の予約はとっているし、いまさらキャンセルしてもやることはない。半ば惰性のような形で、片道5時間以上かけて城崎温泉に向かった。
着くまではあまりの遠さに少し辟易としていたが、着いて駅を降りたら、温泉街の非日常な雰囲気が駅前からすでに広がっていて、少し気分が高揚した。とりあえず荷物を置きに宿に向かった。
宿に荷物を置いて外に出た後は、何をするかということで、とりあえず温泉に向かった。城崎には7つの外湯があり、それらを巡るのが定番である。最初は宿に近いということで、鴻の湯を選んだ。その後他の外湯に行き、途中でカメラで写真を撮ったり、土産物を物色したりしながら、1日目を過ごした。特段特別なところのない、ありきたりな過ごし方である。だが、なんとなく自分が回復するのがわかった。それは温泉のおかげかもしれないし、夜に食べた美味なカニのおかげかもしれない。
なんにせよはっきりしたことは分からないが、一つ、一人旅の効能として、これなんじゃないかという仮説が思い浮かんだ。それが、自発性の回復である。
一人旅は自由である。今回の旅行でいえば、城崎温泉に降り立ったあと、なにもやるべきことは定められていない。飯を食おうが、適当にブラブラしようが、スマホを見ようが、自由である。
そんな状況に置かれると、どう過ごすかを自分で決める必要がある。今回でいえば、宿を出て最初に、なんとなく温泉に向かった。温泉を出たら、またすぐに次はどうしようかなと決める必要がある。1人なので、他の人が決めてくれることもないし、事前に予定を立てているわけでもないので、自分の心に従う必要がある。そうやって心のままに行動することを繰り返していると、だんだん自分のなかの自発性や、心の感覚が回復してくる。
普段社会の中で過ごしていると、程度の差こそあれど、マシーンのようになってしまう部分がある。仕事ではやるべきことをたんたんと消化していく必要があるし、家庭があればそこでも役割や期待に応えていく必要がある。日常というシステムの中でずっと過ごしていると、自発性や意思は場合によっては邪魔になるので、だんだん削ぎ落とされてしまう。
これから年末年始が終わって仕事に戻り、また日常を過ごしているうちにまた自発性が失われて、心がだんだん疲弊してくることはあるだろう。だが、そんな時はまた一人旅に来れば良い、と分かったことが、明日からを生きる勇気を与えてくれた。最初は乗り気でなかったものの、一人旅をしてよかった。