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自粛期間は間違いなくかけがえのない時間だった

新型コロナウイルスによる自粛期間が始まってから3ヶ月が過ぎようとしている。飲み会ができなくなり、会社に行くことができなくなり、予定していたライブや旅行に行くことができなくなった。テレビでは飲食店その他もろもろの経営者、労働者がきついと訴えているし、実際もし今自分が大学一年生だったらたまったもんじゃないんだろうなぁと思う。
こんな風に、コロナの影響は悪いものばかりのように思える。テレビの報道はそういう方向のものが多いし、実際ほとんどの人がそうなんだと思う。

私の生活を紹介すると、4年生になって研究室に配属されたが研究室には行けず、友達ともほとんど会えず、家で研究をやったり他の好きなことをしながらたまに外で運動したり散歩をする、みたいな生活をしている。
正直コロナによる被害はだいぶ小さい方だとは思うが、それでも研究室に行けなかったり学校で友達と喋ったりできないのはそれなりにきついものがある。

じゃあ一体自粛期間のどこが良かったのだろう。鍵となったのは、「自粛期間が辛い時間であることは間違いないが、今までに過ごしたことのない時間であることもまた確かである」という点だ。
自粛期間の一つの特徴として人に会わないというのがあるが、この誰とも会わない、というところが実はすごく貴重な機会だった。なぜなら社会で生きていく以上、いつもなら人と接することは避けることができないからだ。いつも通りの日常だったら、毎日平均10人ぐらいと喋っていた。もちろん、人と会うのがマイナスだとかそういうことを言うつもりは全くない、どころか全然プラスだとは思うが、人と接する以上とにかく何かしらの影響は受ける。加えて今はSNSがあるから、誰がどこで何をしているなんて情報もいつもの日常だったらたくさん流れていて、それにも少なからず影響される。良い影響も悪い影響もあるけれど、人間は遺伝と環境で作られるって言うくらいだからどちらにしろ環境の影響はとてつもなく大きい。流行ってる曲、面白い動画、今度ここ行ってみよう...などなど、私たちが日常やってることは他者から影響されてやってるものがほとんどなんじゃないかとさえ思う。

そんな生活を送っている中で訪れた自粛期間。今まで過ごしたことのない時間。今までになかった時間を過ごすことが、今までは思いつかなかったような時間の過ごし方を教えてくれた。ピアノで久しぶりにクラシックを弾いてみたり、プログラミングで何かを作ってみたり、本屋にふらっと立ち寄って今まで読んだことのないジャンルの本をパラパラとめくってみたり。このnoteだって自粛期間がなければ始めることはまずなかった。

そして、自分がこの先どう生きていきたいのかを考える貴重な機会になった。言い換えれば、自分の理想のライフスタイル。自粛期間を経た今の自分の考える理想のライフスタイルは、自立できるだけのお金をしっかり働いて稼ぎつつ、ピアノで自分の好きな曲を弾き続けられるような生活。起業するとか、有名人になるとかは自分のしたいことじゃない。コロナ前からぼんやりとはわかっていたことだけど、改めて認識することで自分の方向性に自信がもてた。

なんで今までやったことなかったことをやる気になったか、そして自分の理想のライフスタイルを考える気になったかと言えば、自粛期間が自分の心と対話する貴重な機会だったからだと思う。普段は環境と言う嵐に潰されていた自分の心の中の小さな矢印に、自粛期間という束の間の凪の中で初めて気づくことができた、そんな感覚。もし自粛期間がなかったらこの心の矢印に一生気づかないまま、もしくは気づいても目を向ける時間がないまま人生を終えていたのかもしれない。そしてその小さな矢印は私の心の軸をよりブレない、強固なものにしてくれた。これから先の嵐が激しくなっても、これなら方向を見失わずに生きていける。


だから、私にとって自粛期間はかけがえのない時間になった。





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