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勉強がつまらない人へ 〜ぼくが思う楽しい勉強の4つの条件〜

どうも、中国語勉強とお風呂でkindleが癒しの時間、1610です。

みなさんは勉強、好きですか?

ぼくは好きです。

中国語や英語、プログラミング、動画編集など新しいスキルに挑戦したり。

でも「勉強するのが好き」というとたまに引かれません?

遊びたい盛りの大学生くらいならまだしも、バリバリの社会人の現在に至ってさえ、ふつう、勉強というのは進んでするものではないみたいです。

でもぼくは本気で勉強が楽しいと思うし、それは普通の感情だと思う。

実際同じ考えの人がいっぱいいることをぼくは知っていますが、そういう人にあまり会わないのは、勉強が好きと言うと「意識高い系」みたいに見られてしまう空気が社会にある気がするんですよね。

一方で「趣味で勉強=物好き」って考え方も分かります。

勉強って楽しい勉強と楽しくない勉強があります。

学生時代の勉強や、仕事のために仕方なくする勉強って本当につまらない。他方、自分から率先して「学びたい」と始めたことは、もちろん苦しみもあるけれど、とても楽しいですよね。

楽しい勉強とそうでない勉強の違いはどこにあるのか---ぼく個人の最大の興味、中国語学習を通して考えてみました。


楽しい勉強は、内容そのものに興味を持てる


当たり前っちゃ当たり前ですが、より深めて考えると、興味=「接点」だと思うんです。その勉強の内容が自分に関係があると思えるかどうか。

例えば、ぼくが中国語を始めたきっかけは3年前の台湾旅行でした。初めて出会う人、景色に魅了されたぼくは、帰国後に台湾関連の書籍を読みまくり、台湾映画を観まくり、その中で、台湾の現在の公用語、中国語に興味を持つのですが、そこにはたくさんの「自分との接点」がありました。

旅行という個人的な体験はもちろんとして、台湾と日本の繋がりがあったことが大きい。歴史的な繋がり、漢字、どこかJ-POP風に情緒的な台湾の大衆音楽など。

もしこれがもっと遠くの、日本との繋がりの希薄な国だったら、たとえその旅行が魅惑的だったとしても、言葉を学ぼうというモチベーションにまでは至らなかったかもしれません。

思えば「言語」というのはあらゆる接点を自然に内包したものですから、勉強の楽しさを知るのにこれほどいい題材はないかもしれません。


楽しい勉強は、目的ではなく手段


ぼくにとって中国語を学び始めた頃の目的は「中国語ワールド」の謎を紐解くことでした。ただその世界に浸っているだけで発見があり、楽しかった。

でも、学ぶ中で次第に「漠然とした未来イメージ」が芽生えてきました。

台湾や中国語圏の方と流暢に話しどこか知らない風景の中で旅するような。

その瞬間から、中国語を学ぶことはただの目的ではなくなりました。

もちろん、中国語を学ぶ理由は「ただ楽しいから」ということに代わりはありません。でもその先には「中国語をマスターした後の世界」が蜃気楼のようにあった。

学んでいるスキルがどこかの未来で繋がるという直感があったから、続けられたのだと思います。

その1年後、中国語試験に合格したぼくは、あらためて台湾を一人旅しました。その時の、現地の人と言葉が通じた時の喜びは、今も思い出深いです。


楽しい勉強は、オープンワールドのゲーム


オープンワールドはゲームの用語です。

決められた手順に沿ってクリアするのではなく、好きな順番好きなやり方で攻略ができるタイプのゲームです。

ところでぼくの好きなオープンワールドゲームに「ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド」がありますが、このゲームの設計は完璧です。

 「ラスボスのガノンを倒しゼルダを救う」という1つの最終ゴール
 「ダンジョンをクリアする」という4つの中間ミッション
 「種々のクエストやコレクション」といった無数のイベント

ただ動き回ってイベントをこなすもよし、ストイックにラスボスを倒すまでの時間を競うもよし。4つのミッションを正統派にクリアするもよし。

大・中・小それぞれの次元でミニゴールがあるから飽きが来ない。

思うに語学の楽しさも同じで、攻略法の懐が広いからこそ続けられる。

「今日は疲れたから、気になった単語だけ拾いつつ動画を見るか」
「最近文法がわからなくなってきたからガッツリおさらいするか」

いくら好きでも、毎日単語をインプットするだけでは飽きてしまいます。

楽しい勉強は道のりが自由です。


楽しい勉強は、成長を実感できる


勉強の本分が「そのスキルを修めた先の未来」にあったとして、成長のためには、資格試験などのストイックな挑戦が必要なこともあります。

そして資格試験はぼくにとって、辛く退屈なものでした。

動画や小説を使って好きに勉強していた時期はまるでまっさらな雪の中ではしゃぐ子供でしたが、資格試験勉強中は、目の前の単語帳という長い道のりと、聴きとりという高く険しい山にハートが削られていきました。

それでも続けられたのは、「成長したい」という思いがあったからに他なりません。資格はあくまで成長の手段でした。

これが学校や職場の試験だったらそんなマインドは持てなかったでしょう。

勉強の自主性および個人性が担保されていてこそ、「落ちていたっていいや。それで成長できれば」という真っ当な気持ちに至れるのだと思う。

別のノートでも書きましたが「成長マインドセット」は超大事です。


飽きてきたなら工夫をしよう


以上、ぼくにとっての楽しい勉強の定義は、次の4つです。

 1 内容自体に興味を持てる
 2 手段としての意味がある
 3 道のりが自由
 4 成長を実感できる

じつは最近忙しすぎて、勉強が楽しいというマインドが少し鈍ってきたのですが、振り返りながら、今の勉強スタイルの問題点を整理できました。

共感できるところがあれば、皆さんも勉強スタイルを点検してみては?

 内容への興味が薄れてきた → 自分の今興味あることと関連付ける
 手段でなく目的化している → 勉強をストップし目的を洗い直す
 単語の勉強に飽きてきた  → 文法やアウトプットを学ぶ時期かも
 成長を実感できない    → 過去を振り返ったりレベルを下げたり

楽しくないことは絶対に継続できない。
だから、これまで続けてこれた=夢中になれるポテンシャルがある証拠。
ダレてきたなら、それはチューニングが必要なんだと思います。

それでは、皆さんの勉強が楽しく充実したものでありますように。
読んでいただきありがとうございました。

おまけ 「耳」から勉強するのもいいかも

動画コンテンツやネット環境、ガジェットが整ってきたことでこんな勉強法もできるようになりました↓。

また、Kindle Paperwhiteなどの電子書籍アイテムを使えば、お風呂などの開いた時間も勉強に生かすことができますよ。仕事が忙しい方にお勧め。


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