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見果てぬ旅路の先(小説)

数年前、
医療の最前線に立ちながら技術の進化にも貢献したいと思い、十年続けた臨床医から臨床研究医に転身した。

日中は通常の勤務医と同じように臨床の現場に立ち、仕事の前後で研究のデータ収集や実験、
加えて論文執筆や学会発表など、
とにかく膨大な量の仕事に追われて勤務と研究の両立に忙殺される日々を送っている。

昨夜も徹夜で論文を書き上げてからそのまますぐに早朝から通常の勤務で、一日中診察に来る患者が途絶えないまま勤務時間を超えて残業になり
日没後にようやく退勤したかと思えば、
急患対応で呼び出されて再び病院へとんぼ返り。

ほとほと疲れきって夜も深く
私の体も地の底に引き摺り込まれないようにと這う這う帰宅してやっとこさ寝床につくと、

夢の中にバクが入ってくる。

おっと、これは夢喰いのバクじゃないか。
夢なんて久々に見たなあと思うが束の間。
深い眠りの夢の世界を邪魔されまいと私は逃げる。
走る走る。
夢特有のふわふわして全然走れないアレのせいで走れど走れど進まないが、

一方のバクは、目にも止まらぬ速さで私を追い抜き、振り返って私の行手を阻んだかと思いきや、
そのまま巨大化し、空を覆い、
超越的な生物へと成り果てた。



「おいおい、勝手なことするんじゃないよ。ここは私の夢だぞ」

遥か上空に耳を持つバクに向けて大声で叫ぶ。

「心配しなくてもあなたの夢は食べたりしませんよ。おいしくありませんから」

「なんだと。人の夢にケチつけてるんじゃない」


一撃入れてやろうと、腕を回し空高く飛ぼうと試みるが私の体は浮遊したかと思いきや
そのまま某パン系ヒーローのようにうつ伏せになって地面すれすれで平行移動し始める。
ひとつも思いどうりにならない夢だなあ。
地面と睨めっこしたまま何度か再チャレンジしていると、

いつの間にか私とバクは海の見えるカフェでコーヒーを飲んでいた。


「あなたは夢見パワーが弱いんですよ」

と、コーヒーをすするバク。

「夢見パワー?」

「夢を見る力です。だからうまく走れないし空も飛べない。この夢だって私がやっとこさあなたを引き込んで見れているんです。
あなたの夢は大地を駆け回ることや空を飛ぶことじゃなくて、きれいな海の見える場所で優雅にコーヒーを飲むことでしょう?もっとおもしろい夢になれば私もおいしく夢を頂けるんですけどねえ」

そんなこと言ったって大概の夢は自分の意思で制御が効くものじゃない。
たとえば、危機一髪、文字通り崖っぷちの人をあと僅かというところで助け出してみたいけど、
与えられたシチュエーションはなんせ優雅なカフェなので、とんでもない大ピンチは起きそうにない。


「ちょっと飛んでみませんか。某パン系ヒーローのように私を背中に乗せてくださいよ」

言われた通りにバクを背中に乗せると、さっきと同じように地面すれすれで平行移動を始める。
突然地面はアスファルトに変わり、ブロック塀なんかが見えたからきっと住宅街なんだろうなあと思いながらのろのろ前進する私。

「これは、何か危機的状況に遭遇するのかな」
「どうでしょう。でもなんだかあの角の向こうで風船が木に引っかかって泣いている子供がいる気はしますね」
「そんなベタな」

角を曲がると、本当に風船が木に引っかかって泣いている子供がいた。

「あのね、風船があんなとこにいっちゃってね、ヒーローのおじさん、ばびゅんってひとっ飛びでとってきてくれる?」と図々しい子供。

「お嬢ちゃん、どこかで見たことあるね」

「お嬢ちゃんじゃなくて、なつみちゃんっていうの」
「そうかい。すまんねなつみちゃん」


飛び立って風船をキャッチし、しなやかに地に降り立つなんてかっこいいことはできないので
普通に木を登り、足を踏み外さないように確実に地に降りてから子供に風船を渡した。

「ありきたりでつまらないね」
「しょうがないです。あなたがつまらない人間なので」

辛辣な夢だぜ。子供は喜んで辺りを駆け回ると、また戻ってきて「もうひとつお願いがあるの」と私に耳打ちをする。
「なんだね」

「あのね、あそこに大きな崖があるの」

子供が指差す方向を見ると、たしかに向こうが霞んで見えないほどの大きな崖が住宅街の真ん中に鎮座している。

「あの向こうにね、学校があるの。私一人じゃどうしても行けないから、ヒーローのおじさんに連れてってほしいの」

風船さえ飛んで取りに行けないヒーローのおじさんには崖を超えて学校へ連れていくなんて及び難い。二人でも、たとえおじさん一人でもできっこないなぁと思い、

「なつみちゃんが大きくなったらいけるかなぁ」
なんてお茶を濁すと、
「大きくなったら学校には行けないの!」
と正論を泣き叫ぶ子供。困りきっていると、

「飛んで連れていってあげたらいいんじゃないですか」
と、それができたら苦労しないんだよなぁというようなことを言うバク。

「できることならそうしたいさ」

「きっと飛べますから、信じてください。頭の中でイメージするんです」

物は試しに私は空高く飛ぶ白鷺の姿を想像した。
遠くまで、どこまでもどこまでも長い旅をする渡り鳥。寒い冬を生き延びるために、暖かい場所を求めて何千キロ、何万キロもの海の上を飛びつづける。

気がつくと、私は霧の中で子供を乗せて空高く飛んでいた。下は霧で見えないが、果てしない闇が広がっているに違いない。私は白鷺のように恐れずに飛びつづけた。どうだ。おじさんすごいだろう。


どこまでいっても果てしない霧の中、私は子供の夢の話を聞いた。

入学してから一度も行っていない学校に行きたいこと。学校に行って友達を作ってお母さんを安心させたいこと。将来先生になるためにたくさん勉強したいこと。

私はそれに、私が空を飛べたように信じ続ければ叶うからねと返した。
霧の中、だんだんと大きな建物が見えてきて、あれが学校じゃないかなぁと、降り立とうとする次の瞬間に子供はいなくなって霧の立ちこめる真っ白なカスミソウ畑の中に私はひとり立っている。


私の体はふわふわと浮くとカスミソウの花びらも一緒に浮きだって空へ舞う。
上へ上へと上昇しつづけてカスミソウはどんどん小さくなるけど、カスミソウ畑はどこまでも続く。
どこまで行くんだろうなあと思ったけれど、私はどこまでも行った。

霧の晴れたところで私の体は徐々に落下しはじめ、もう落ちてしまうというところで足をつくと、
私は臨床医だった頃に勤めていた病院にいた。




「増野さん、検温しますよ」

病室のベットに横たわる老人。
担当医をしていたのだけど十年以上前に亡くなってしまった。
妻を亡くして子はおらず、誰も見舞いに来ることはないままもう何年もたった一人で病気と闘っている。

最初の頃は私に妻の昔話をしてくれたり、
増野さんが絵本作家だった時代に描いた絵本を見せてくれたりしていたのだが、

治療を繰り返したり、病気が進むにつれてだんだんと元気がなくなり、そのうち食事も排泄も困難でほとんど寝たきりになった。


増野さんの病気の治療はこのときもう行っていない。終末期治療といって、おおよそ余命三ヶ月をきった頃から、治療は行わずに病気による痛みや不快感を取り除くだけの治療を施していたのだ。

点滴を変えると、増野さんは枯れ木のようにか細い声で「ありがとうね」とお礼を述べる。
私はそれに対して謝ることもできず、願うこともできなかった。





小さな子供が病室のベットの横でらくがき帳に向かって何か書いていた。

「なつみちゃん、算数のお勉強をしてるの?えらいねえ」


担当医をしていた増野さんの部屋に小児科の患者がいつも遊びに来ていた。

「うん、学校に行ったら、みんなといっしょにおべんきょうできるように、たくさんおべんきょうしてるの。」

初めは絵を描いたり絵本を読んでもらったりしていたのだけれど、
小学校に入学する年になるあたりから、
いつの間にか病室を毎日訪れてはひらがなや算数を増野さんや他の老人から習うようになっていた。

「それでね、なつみがみんなにおべんきょうを教えて、おともだちになりたいの!」

「それじゃあ、なつみちゃんは将来は学校の先生だね」


だが、老人が亡くなる少し前に今際の時を察したのかだんだんとなつみちゃんは遊びに来なくなって、
三年生に上がる頃にはぱったりと顔を見せなくなった。

なつみちゃんは、元気に学校に通えたんだろうか。たまに、もしかしたらあのとき、
老人ではなくてなつみちゃんの方の病状が悪化して遊びに来れなくなってしまったのではないかと、
私はそんなことも知らなかったなと、考えるときがある。

元気にしているといいなあと願うのだけど、
今の私にあのときの彼女を、増野さんを助けられるはずもなかった。



「願ったらいいじゃないですか。」

バクはいつの間にかとなりにいた。

「ここはあなたの夢ですから。そんなに悲しくならないで。私は小さなあなたが仮面ライダーになりたいと願った日からあなたのことを知っています。そんな軽い気持ちで大丈夫ですから。願う気持ちを、祈る気持ちをどうか忘れないでくださいな。」


私はふと、小さい頃の私はずっと夢を見ていたんだなと思い出した。

誰も彼も助けられますように。
世界中の人が苦しみませんように。
誰一人孤独な人が見捨てられませんように。

願って、強く願って心から信じて、そうだった。
幼い時からずっと、こういうことを考えていたんだった。


ずっと忙しくて忘れていた。義務とか責任とかに追われて、大事にしていた純正な心の動機を見失いそうになっていた。
必死に勉強して医大に入ったのも、
臨床医よりも給料の低い臨床研究医に転身したのも、昔からずっとそんなことを願っていたのだった。



「やっと飛べたよ、バク」



気がつけばあたりはまた一面カスミソウ畑になっていて、夢の世界で私が助けたたくさんの人たちが青空の下を駆け回っている。

私は澄んだ空気に気を良くされて、何もかもを忘れ宙に浮いた。


「思い出してくれてよかったです。最近めっきり夢を見てくれなくなりましたから。」


バクはまたみるみると巨大化して空を覆い、


「それじゃあ、おいしい夢を頂きますね」


と、大きな口で夢の世界を呑み込んだのだった。





目が覚めると、午前六時。私の部屋だった。

一夜にして世界中に平和が訪れているなんてことはなく、今日も一日激務に追われるつもりで、

私はちょっぴり寝坊した。
万年に一度の寝坊に焦る私は、どうにかしてはやく職場に着かないかなあと強く願うのだが、

突然空を飛んでひとっ飛びなんてうまい話はあるはずもないのだった。

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