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一五一会10年記〜分からないところが分からない!〜

さて、一五一会は続くわけで、私ことユビコは先生に「じゃんじゃん(ストローク)でいいから付いておいで」と言われたものの、とんでもないことに気づいてしまうのです。
何となれば4分の4拍子って何?ストローク?今更人に言えないけれども、音楽の成績めちゃくちゃ悪かったから、いや、人に自慢できないけれどね。
そこで叫んでしまった。
40年以上生きてきて、学校でも職場でも正当な意味合いで叫んだことがなかったのに。やっちまった。
「分からないところがわかりません‼︎
以前からいたメンバー全員ぽかーん。先生焦る。
当時は14、5人いただろうか。
先生、慌てて私のところに来る。
「どこがわからない。まず最初に?」
私「そもそもストロークと言うのはなんですか」
いくらなんでも、それは嘘だろう!と先生。
そう、いくら好きで松本孝弘や大澤誉志幸を見ていようが、ギター雑誌を読もうが、分からない部分、特に音楽用語は飛ばしてしまうため、今ならハイハイこなすダウンストロークもどうピックを持つと楽に大きい音が出るかもわからず、さらに返しなんて言われた日には途方に暮れるしかなかったのである。
これにはさすがの先生も苦笑いするしかなかっただろう。
今だから言えるが、周りには音楽の素養がある人が多く、大澤誉志幸さんがライブにやってきた勢いでヤイリギターのフェスなんかに、のこのこ来た挙句に一五一会をスタンプラリーでゲットしたような人間が、しかも家が近いからなんて単純な理由でレッスンに来るんじゃなかったと思った瞬間でもあった。
しかしここで、学生時代、どんなにいじめられ続けても不登校になんか絶対にならないと、意地になり続けていた自分の性格が災い?いや幸いしてなのか?
もう馬鹿にされたくない!なんとしても、モノにしてやると、心の中でメラメラと思い始めた瞬間でもあった。
その時、私の隣に座っていた、もう何年も一五一会を弾いているだろう1人の女性が、「もしよかったら、私の自主練習の時間に来れたらおいで。」
それは当時女神様にも思える、ありがたい誘いではあった。
しかし、もともと双極性感情障害と言う障害持ちの私からしてみれば、果たしてそれでできるのかと言う疑問とこれに縋らなければ、一五一会も挫折するな絶対、と思った瞬間、
「お願いします。何曜日の何時からですか」
と口にしていたのである。
それからが本格的な一五一会生活の始まりであります。

〜続く〜

次回は救いの女神の衝撃の話をします。
何がそうなのか。先生知ってるかしら?

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