わたしはいきている

あまりにも忙しいので、去年ってこんなに忙しかったけ?と思い返すとちょうど入院していた時期だった。

あぁ、もう1年経つのか、と、なんだか不思議な気分になった。
そういえば、先日の飲み会で手術跡を見せてって言われて見せたなぁと。

いつも通り抗生物質を飲めば治るだろうと思っていた症状は一向に治らず、「うちでは処置できないから」と紹介状を書いてもらって大きな病院に通うことになった。

MRIの撮影、そのあとの造影剤を使用しての撮影も、様々な検査もすべてが人生初めてのことばかりだった。(手術は2回目)

検査後、ずっと呼ばれないまま時間が過ぎ、誰も居なくなった静かな病院の待合室で『結果が良くなかったのかもしれない』という自分の不安を拭うようにひたすら本を読んだ。

そのうちの1冊は星野源の特集をしたダ・ウィンチ。
フィルムの歌詞を何度も何度も読んで、何度も何度もそうであるように願った。

声をあげて 飛び上がるほどに嬉しい
そんな日々が これから起こるはずだろう

次第に自分の状況が受け入れられるようになって、手術前検査のあとは普通に過ごすことを意識していた。

手術前には奇跡的に当選した星野源のライブに初参戦。

ギャグもフィルムもContinuesも、そんなわけないけど自分を励ますために、この歌を聴かせてもらうためにここに来たんだ。

これは多分、神様が頑張れって言ってくれるってことなんだな。
と見える景色に感謝しながら夢のような時間を過ごした。

手術は成功し、体調が戻ってからの入院生活は退屈だったけど、あんなに仕事のことを考えずに過ごしたのはどのくらいぶりだろうか、と思うほどだった。

娯楽と言えば本かテレビくらいだったけど。

あのとき、こんな風に1年後のことを考えたり思ったりすることなんてひとつも無かったように思う。

ただ生きていられるだけで十分だと思ったし、それ以上のことをのぞむことも、欲張ることだって。

次第にそうじゃなくなって、悩みを持つことや日々のことに目が行き届くようになったのは、生きていることが当たり前になったからなんだろう。

でもやっぱり人生の中の色んなことは当たり前ではなくて、誰かと一緒の時間を過ごすことですら無限に与えられるものでもない。

そして、繰り返される毎日の中には理不尽なことや悔しいこと、苦しいこと、嫌になることも沢山、沢山ある。

終わりが見えないことも打ちのめされて立ち上がれないときだって、歩みを止めたくなるときだってある。

それらも受け止めながら、私たちは終わりに向かって生きている。
そのタイミングがいつなのかは分からないけど、今を生きていく。
ただそれだけのこと。

その時間の中で、誰かに手を差し伸べながら、少しでも大切な人や愛おしい人たちを笑う時間を増やしたい。

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