コオロギたちの声…「ツヅレサセ」新考
(写真はハラオカメコオロギ。顔が扁平、メス後翅なし)
コオロギといっても、一般には草地や地面で鳴いているな、ぐらいの感覚だと思います。
どんなコオロギがいるのか?、という事を気にする方は少ないでしょう。
では、このコオロギの声はこうで、あのコオロギの声はああで、
なんてことを言い出すと、もう変人の域なのかも知れません。
自然観察好きの与太話に付き合ってくださる方に、ご覧いただければと思います。
途中で飽きることのない文章が書ければよいのですが、自分では何とも判断できません。
年寄の恒で、冗長になっている部分が多いかと思います。適当なところで読み飛ばして頂ければ良いのかな、と思っています。
よろしくお願いいたします。
1.語源考証の試み
「ツヅレサセとは何か?」、この辺を私なりに説明していきたいと思います。
多くの鳴く生き物たちは、鳴き声から命名されています。
・コオロギ
まず、「コオロギ」の語源は?、ということになるかと思います。
これはエンマコオロギの鳴き声から来ていると思います。
暖かい環境の良いときであれば「コロコロコロ」、
段々と涼しくなってくると、速度が遅くなり「コオロコオロ」、
そして「コオロ、ギッ」となる訳です。
セミという言葉が、西日本に多いクマゼミの「シャア、シャア」が「セミ、セミ」と聞こえたのと同様になります。
一番大きくて目立つ、個体数が多いものから区別・認識が始まっていきます。
エンマコオロギという名称が、いつ頃から使われているのかは判りませんが、最初に「コオロギ」と呼ばれたのはエンマコオロギだったと考えます。
奈良・京都周辺に分布する種類や東西の地方的変異は確認していませんが、
現在のところ、関東に分布するものと大差はないと考えます。
ゲンジボタルの発光間隔やキリギリスの鳴き声には、東西の差が認められています。
・「蟋蟀」はキチキチバッタ
国立国会図書館のデジタルコレクションで調べてみたのですが、
和名類聚抄、第二十虫部、虫名百十二(掲載数)に、
「蜻蛚」(古保呂岐)
読みはコホロギとあるだけで、特に説明はないので、一般的なものだったと思われます。
「蟋蟀」(岐利々々須)飛時作声在荒田者也
読みはキリギリスとなっていますが、
飛ぶ時に発声するのはショウリョウバッタのオスしかいません。
実態はコオロギでもキリギリスでもないのです。
俗に言う、キチキチバッタだったのです。
チキチキと書かれている物を散見しますが、正しくはキチキチです。
(チキチキとされるようになったのは、チキチキバンバンやチキチキマシンの影響からでしょう。)
吉々と縁起良く聞こえるから、人々の言の葉に上ったのです。
こじつけでも良い方向へ持って行く、日本語の大原則です。
日本は言霊の幸はふ国。
パソコン通信の時代は、国会図書館のオンラインの蔵書検索1件につき400円と有料でした。一般人には高嶺の花でした。
今は簡単に無料で調べられて、本当にいい時代です。
・ツヅレサセ
次に「ツヅレサセ」とは何か?、ということになります。
文献的な検証を試みられているものが多く存在するかと思いますが、ここではそれらをあまり考慮せず、実際の鳴き声を中心に話を進めていきます。
定説とされているものは、秋遅くの時期まで鳴いているので冬支度の意味で「綴れ刺す」、冬服を仕立てるのを促している、というような説だったと思います。鳴き声に関する視点は一切ありません。
夏場に鳴いている、ツヅレサセコオロギはどう説明するのか?
今年は7月末日から鳴いていました。
ツクツクボウシも25日から…。今年はかなり異常?
身近なコオロギではハラオカメコオロギの方が遅くに鳴き出します。スズ類のマダラスズ、シバスズは年末まで鳴いています。ということで、単純には肯定できません。
カネタタキも年末年始まで鳴いていますが、地面ではなく高い位置で鳴くので、歴史的にもコオロギとは別扱いになっていると思います。
ところで、あなたは「ツヅレサセコオロギ」の声を聞き分けられますか?
「鳴いているな」から「どんな鳴き方かな」と考えてみてください。
「ツヅレサセコオロギ」の声が判れば、認識がまったく変わると思います。
私もそれまで、「ツヅレサセ」の意味など考えた事もありませんでした。
「2.自然観察として」で細かい事は説明したいと思いますが、コオロギ類の鳴き声は、大きく分けて、
1. 続けて8回以上鳴くものと、
2. 8回以下で切ってしまうもの、
3. 単発で一鳴きずつ、
これらの3種のパターンが存在するのです。
現在の図鑑などには、キッ、ギッ、チッとかの声色の説明があっても、
鳴くパターンの明確な説明が無いのです。
現時点では、鳴く虫の声の説明方法は確定していないようです。
最近の書籍の鳴き声の説明は、以前よりも良くはなっているようですが、
実際にイメージするには、かなり難しいです。
種ごとの説明中だけではなく、鳴き声一覧という形にしないと他種との違いを区別しにくいと思うのです。
捕獲したものの判別という事が、主として考えられているのだと思います。
単音節をビー、ジッなどで説明して、それの繰り返し方法を、
有音-(マイナス)、無音・(中黒)の記号を使って、
音の有無の時間的な表現をモールス信号のように、
----・----・ や ----・・・・---- 、
----------延々と、-単発
などと表現できると思います。
こうすれば、活字のみの書類レベルの表記でも、イメージしやすくなると思います。
古代の人々は、極端に個性的な声のもの以外は、いちいち捕まえて鳴き声を確かめることはしていなかったと思います。擬音語もそれほど発達していなかったでしょう。
鳴き声のパターンの変化のみを認識していたと思われます。
主に夏から秋の夜に、草むらで鳴く虫がいるけれども、ときどき休みを入れるものと、入れないものがいる、という感覚だったと考えられるのです。
最初に「コオロギ」と呼ばれたであろう「エンマコオロギ」は、変則的ではありますが、休憩を入れるものの中で(断続)最も低音で認識されやすいものです。
休憩を入れないものの中で(連続)最も普通なものが、現在「ツヅレサセコオロギ」または「コオロギ」と呼ばれているものなのです。
単発のもので街なかで簡単に聞ける一般的な種類はいません。
文字起こしをすると、こういうことです。
断続型 リリリリリリリリ(無音)リリリリリリリリ(無音)リリリリリリリリ(無音)
エンマコオロギ(変則的)、ミツカドコオロギ、ハラオカメコオロギ
連続型 リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ
ツヅレサセコオロギ
種名は人家周辺の一般的な種類です。
身近な種類で連続型は「ツヅレサセコオロギ」しかいないのです。
ですから最初は「一つにまとめる」という意味の「ツヅリ(綴り)」または「ツヅレ」だったと思われます。「続く」、「九十九折り」の「つづら」、「綴り」もかなり語源的に近い言葉だと思われます。
しかし「コオロギ」には語源として切れ目が入る意味合いが残っていると考えられるので、「ツヅリコオロギ」または「ツヅレコオロギ」と呼ばれていたものが、「コオロギ」を取っても区別しやすいように、「ツヅリ、ツヅレ」→「ツヅレサセ」と変化したのではないかと推定されます。
この場合「ツヅレサセ」とは直接の特徴を表す言葉ではなく、当時において一般的に普及していた語を借りてきたということです。(仮借)
「コオロギ」と「ツヅレサセ」は断続型 と連続型 の名称として別々に存在していたのではないか、と思うのです。
「綴れを刺す」ということは、休みなく大変な仕事です。
ほころびを直すのに途中で簡単に止める事はできないのです。
結論として、私の解釈は以下になります。
鳴き出すと、しばらく間断なく長い間鳴き続けるコオロギが「ツヅレサセコオロギ」。
以上で「ツヅレサセコオロギ」の声を一発で聞き分けられるようになると思います。
一度、実際に外へ出て、複数の種類のコオロギたちの声を聞き比べてみることをお勧めします。
今は夏の夜も多くの観察会があちこちで行われています。
ただ、観察会の開催される場所となると、却って草地のものだけでなく、湿地や森林に生息する種類も確認できるような場所になり、街なかの普通な種類が少なくなるかも知れません。
指導員の方たちが丁寧に説明してくれると思います。
2.自然観察として
幸いなことに地元の図書館で以下の書籍を借りることができました。
付属CDを編集コピーして、関東に分布する可能性のあるものを集めて持ち歩いていました。
当時は CD Walkman の時代です。実際に虫が鳴いている所に持って行き、聞き比べていました。
地元に分布が想定される、ほぼすべての種を確認できたと思います。
特徴を見出すのに、何度も何度も聞き返していました。
そんな中、検索・記憶の便宜を考えて、コオロギ類の一覧表を作成してみました。
今回は前回の広葉樹と異なり、紙一枚の表なので PDF としてあげて置きます。これ一枚を持って歩けば、近所のコオロギ類は確認できると思います。
バッタ・キリギリス類は、敬遠しました。コオロギ類に比べて格段に難しいのです。
鳴き声や見た目も似たものが多く、新発見や細分化と、どんどん新知見が積み重ねられている状況です。
バッタ・キリギリス類は、自宅周辺に個体数も少なく、種類もすぐに判るのはクビキリギスやコバネイナゴ程度。ヤブキリ、ササキリ類など、他にもいると思うのですが、一目、一声で判るほど詳しくはないです。鳴き声も周波数が高いので、古くなった蛍光灯の発する音や自動車のアイドリング音、自動販売機の冷蔵庫など、機械音と紛らわしく、この音域に注意していると、街なかでは神経が擦り減ってしまいます。
かろうじて、上のクビキリギスの声は聞こえますが、高齢になると聞こえなくなるようです。
鳥ではヤブサメの声が聞こえなくなるといいます。
ツユムシ類のピチッという音は周波数が高く、特に屋外では聞き取りが困難になります。
高周波のものは、録音機材もかなり高性能なものでないと、録音再生は難しいです。
元々何に関しても、珍奇種を追い求める好みはなく、身近なもの、出掛けた先で見つけたものだけ判ればいい、と思っています。採集・飼育にもまったく興味はなく、居場所の確認と存続を見守っていたいと思っています。
pdf の一覧表の凡例ですが、
左から、ID、和名、レベル(難度)、鳴き声と印象、(発声)回数、生息環境、近県分布、鳴く季節 としてあります。
回数は前出の説明のように、1回ずつ・中間・連続音と分けてあります。
連続して鳴くものに、(コオロギの文字は長くなるので「~」で代用)
ツヅレサセコオロギ、ナツノツヅレサセ~、ヒメ~、タンボ~、クロツヤ~、カマド~、クマスズムシ、アオマツムシ、カンタン、コガタカンタン、クサヒバリ、ヤマトヒバリ、キンヒバリ、カワラスズ
また、一回ずつ切って鳴くものに、
エゾエンマコオロギ、コガタ~、クマ~、クチキ~、マツムシ、ヒロバネカンタン、スズ類(カワラスズ以外)、
その他は数回ずつ鳴くもの、エンマコオロギだけはかなり変則的なので記号なし(-)としてあります。
近県分布のあるものは、屋外ですぐに視認できるよう、地元埼玉は●、他県は・で表示してあります、〇は一部分布。
「?」は要確認部分です。
3.日本人特殊論の否定
ときどき日本人は特殊能力で虫の声を言葉として認識している、
ということが言われるのですが、これには同意できません。
事の発端としてよく語られる、
ある学者先生が「1987年のキューバのハバナで開かれた学会に参加した時の事」、と言われるのですが、
冷戦時代にあっては日本人が社会主義国の学会に参加するのは共産党員でなければ至難の技で、どうしても政治的意図を考えてしまいます。
これも、日本社会が窮地に陥ると現れる「日本人論」の一つだと思います。
専門家により否定されているのに、メディアが繰り返し取り上げている、とされているようです。
wiki にもヨーロッパ各国の事例があげられているので、この点は wiki を信用してもよいと思います。
それに虫の声といっても、一般の方が認識しているのは、唱歌「虫のこえ」に登場する、マツムシ、スズムシ、キリギリス、クツワムシ、ウマオイ程度だと思うのです。
年末まで駐車場などで鳴いているスズ類に関しては、よく地虫が鳴いていると言われ、マンガ、アニメでも草むらでジーという音で表現されていますが、意識したことのある方は、ほぼいないと思います。
日本人が言語として聞いているという虫に関しては、鳥の声と同様に「ききなし」が存在し、オノマトペと同様に文字化・言語化されていて、それを確認しているにすぎません。
オノマトペの一分野としてもいいのかも知れません。
日本人は、この文字化された虫の声には反応しますが、
その他の虫の声にはほとんど反応していないと思うのです。
でないと現代社会の様々な騒音・異音にいちいち反応してしまって、
却って生活が息苦しくなってしまいます。
外国人の反応に関しては、ヨーロッパは氷河期の影響で生物自体の種類が少ないということがあります。
イソップ寓話の「アリとキリギリス」は、ギリシャ語原典でみると「アリとセミ」になっていて、ギリシャ語からドイツ語に翻訳されたときに、ドイツにはいないセミがキリギリスに置き換えられました。それをそのまま日本語に翻訳してしまったので、キリギリスのままなのです。
アルプス以北にはセミはいないようです。生物は東西に延びるヨーロッパアルプスに南下・北上を阻まれています。氷河期以前のアルプス以北にいた生物たちは、氷河期の寒冷化を避けて南下することができずに消えてしまったものが多いのです。
夏の間せっせと働いているアリに対して、歌を謳って暮らしているキリギリス。違和感ありませんか? 夏でなくてどちらかといえば秋の話です。
幕末・明治初頭にかけて、ギリシャ語を直接日本語に翻訳できる人間などいなかったからでしょう。
日本の生物相の調査が行われていた時代は、詳しく調査のされていたヨーロッパに比べ、沖縄返還以前の琉球・小笠原を除いた日本だけで、ヨーロッパと同じ仲間がいれば「日本には3倍の種類がいると思え」、ということで新種調査が行われたようです。
主にセミの話ですが、日本より暖かい国々では発生期間が長く、日本の様に短期間で同時に集中して多くの種が出現しないため、区別には鳴く時間帯を変化させるだけで、鳴き声を変化させる必要がなかった、ということがあります。
バッタ・キリギリスは色や大きさの変化があります。大きさが異なれば同じ方法で鳴いていても音程が異なってきます。
これらから、海外の虫の声の変化は少ない、と考えられるようです。
日本人が、多くの虫の声を聞き分けられるのではなく、日本に分布する虫たちの声に変化が大きい、ということなのです。
ですから海外の方たちでも虫の声を意識して日本に長く暮らせば、何も日本人と変わらない反応になると思うのです。
日本人が特殊なのではなく、日本の自然が特殊なのです。
・カネタタキの俳句
高浜虚子の弟子に高野素十という人がいて、
「鉦叩左の耳に聞こえをり」
という句を読んでいます。
この句を青木亮人さんが、NHK FM の番組で中で取り上げています。
『NHKカルチャーラジオ 俳句の変革者たち 正岡子規から俳句甲子園まで』
都会人で趣味人だった水原秋櫻子がこの句を単なる報告で無意味とし、
高浜虚子は写生、無意味の力強さを好んだ。
ということだそうですが、青木さんが「左の耳に聞こえた」ということを強調する意味がまったく判らない、と仰っています。
「客観写生」という難しい話は判りませんが、私はこの「無意味」を無意味ではないと思うのです。
カネタタキの声は高音であるため反響しません。
コオロギと同じような場所で鳴いていても、コオロギであれば反響して両耳から聞こえるものが、カネタタキの場合は反響しないので左にいれば左耳に聞こえる。
このことに気付いた「驚き」だったのではないか、と思うのです。
私も「言われてみれば、そうだよね。」いうことで、この句に出会わなければ具体的に意識しなかったと思います。
この声は、枕草子第四十一段で「父よ、父よ」と聞こえるミノムシの声とされています。
中国古典では「蠱惑」など虫が登場するのは呪いや占いの場面なのですが、日本では『堤中納言物語』に登場する「虫愛づる姫君」の話のように、多少変わり者とされても、虫は嫌われているだけではない、という事が面白いです。
・象形文字「虫」
漢字の「虫」はとぐろを巻いて鎌首を上げている蛇の形(コブラの頭そのもの)です。
爬虫類の愛好者が「ヘビがなんで虫偏なんだ。」というのを時々聞きますが、これは元来、蛇なのです。
現在の漢字の「蛇」では「虫」がヘビから「むし」の意味に変化したため、あえてまたヘビの形の「它」を並べているのです。它の「ウ」の左右の端を下の「ヒ」の左右の端とつなげると、虫の字のまん中の縦棒の無い形になるのです。
似たような事例は多くあり、よく見かけるものでは、「云」の字は「二」が横に広がる雲、「ム」はそれから垂れ下がる雨脚(実際には雲のすじ、現在の天気予報の雨脚は誤用)で構成される雲の象形文字だったのですが、「云々、云う」など別の意味に変化してきたために、雨を付けて「雲」の字ができたのです。
ムカデは六十手、ヤスデは八十手と考えられ、日本人は足の本数を数えていたような気がします。漢字の百足や英語の centipede や millipede はただ多いことを百や千で表しているだけ、と比べても余程正確な足の数になっているのです。
もしかしたら「むし」も「六本足」(むあし)と関係があるのかもしれません。
日本人は数霊も好きですから。というよりも、和歌や俳句の普及により、常に数を気にする素養ができていると思うのです。
話がどんどんそれてしまいますが、「虫」がコブラの象形(中国に分布)、「象」も象形で現在も雲南省に分布。とすれば「雅」はカラスではなく「サイチョウ類」の象形だと思うのです。カラスをただ美しいというのはさすがに厳しい。「牙」の形はサイチョウの嘴にそっくりです。動物園ではなく実際にこの鳥が大空を飛んでいたら、美しいと思うことでしょう。
4.最後に
いろいろなことを勝手気ままに書き連ねてきました。
私がお願いしたいことは、日本の文化を育んできた、
「日本の自然を大事に思っていただきたい」ということです。
人間の文化・文明だけが単独で進歩してきた訳ではありません。
特に保護活動などというものに関わらなくてもいいのです。
頭の隅にちょっと気にしておいていただくだけで、
いざとなったときの人々の行動が変わってくる、と思うのです。
長文、最後までお読みいただき、ありがとうございました。