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言葉と向き合う


 人からもらった言葉で、ひどく傷ついた経験がある。けれど、それは、わたしが気づかぬうちに、言葉でその人を傷つけてしまったから、起こったことだとも思う。それは、noteで起こったことではないが、ここには書けない。今のわたしは、それを書くことで、また読むことで、再び傷つく。それを情けなく思うこともあるけれど、仕方がない。

 だったら、書かなくてもいいのに、と思われるかもしれないが、わたしは今、書けるだけ、書いておきたい。実は、以前のトラブルを思い出して、怖くて、ちょっと不安定になっている。だから、書くことで、そこから抜け出したい。書くことができたのなら、それはもう過去のこと。だから、大丈夫なのだと、思えるから。

 とにかく、いろいろあって、一年ほど前から、言葉について深く考えるようになった。

 わたしにとって、言葉はとても大切なものだ。幼いころ、物やスキンシップより、あたたかな言葉をもらいたかったし、今も、その人らしく、想いをこめて綴った、言葉たちに惹かれる。こういうわたしは、言葉オタク、言葉愛好家…どう表現したらいいのか、よくわからないが、つまりそうなんだろう。

 昔から、「素敵だなぁ」と思った言葉を、ノートにメモするくせがある。忘れっぽいから、また読みたい言葉だけをまとめておく。また、身に染み込ませたい言葉も、目で読んで、手で書き写し、また声に出して、耳でも味わう。そんな言葉に出会うたびに、感動で胸がじーんと震える。

 言葉を読むことは、物心ついたときから、ずっと大好きだ。ただ、調子を崩すと、すぐに長い言葉が読めなくなるし、書けなくもなる。それでも何か読みたいから、自分で書いたメモや詩を眺めることにしているし、できるだけ感情を形にしたいから、詩をかく。わたしは、感情を言葉という形にして、それを眺めて、また味わってを繰り返すと、新たな気づきを得られて、安心するみたいだ。

 言葉を積極的に書き始めたのは、3年ほど前から。それまでは、詩や日記、読んだ本の要約くらいしか、書いたことはなく、それも気が向いたときにだけだった。

 それなのに、いきなり書いてみようと思いたち、エッセイ講座に参加したり(もう卒業したけれど)、あまり考えもせずに、noteも始めた。それで、自分の言葉をいろんな方に読んでもらう機会を得て、言葉を受け取ってもらい、また返してもらう喜びを体感しちゃったから、もう昔には戻れない。

 今、わたしの書くものは、忘れたくないもの、残しておきたいもの、自分で読み返したいものだ。自分で「これでよし!」と思ったものしか、出さないけれど、それでも自信がなくて、投稿したのに、下書きに戻したくなるときがある。

 そうして、未だ、時折、言葉を書くのがとても怖くなることもある。自分の言葉が、誰かを傷つけたり、うまく伝わらないんじゃないかと思う。前にした失敗を思い出して、震える。

 だったら、もう書くことをやめちゃえばいいのに、でも、「書きたい!受け取ってもらいたい!」っていう想いもあって、自分がよくわからなくなって、混乱する。そういう時期が、繰り返し繰り返し、やってくる。しんどい。それでも、結局は書くし、恐る恐る投稿ボタンを押す。

 SNS以外だと、わたしは話すより、きく機会の方が多い。スイッチが入っちゃうと、しゃべり続けてしまうところがあるけれど、自分の意見は、ほとんど言えない。誰かの話をきいていると、「それがもっともだな」と、そのときは思ってしまうし、よくよく考えないと、自分の意見をまとめられない。意見がないわけじゃないんだけど、タイムオーバーになってしまう。

 でも、言葉を書くときには、それなりに自分の意見を言えている気がする。話し言葉では、その場のテンポについていけないこともあるけれど、書き言葉はゆっくりでいいし、自分のペースでやり取りできるから、わたしには向いているんだと思う。

 言葉と向き合ってきて、言葉には、とても力があるんだなぁと感じるようになった。想いを込めて、言葉を綴れば、それはエネルギーとして伝わる。願いや祈りも、怒りや不満だって、そう。わたしが言葉に敏感だから、特に、そう思ってしまうかもしれないけれど、体感で感じるんだから、そうとしか言えない。

 だから、放った言葉が受け取ってもらえず、ブーメランみたいに戻ってきて、傷つくこともあるだろうし、光のシャワーみたいな言葉で、励まされて、癒されることだって、たくさんあるのだ。言葉って、不思議で面白い。

 そして、どんな言葉でも、人を傷つけることがある。けれど、傷つけようと思って放つ言葉と、気づかずに言ってしまった言葉とは、受け取る印象が異なるのではないかなと、気がついた。少し前までは、勝手に傷つくわたしが悪いのだと、思っていたけれど、それだけではないのだろう。

 いろいろな気づきを得て、それがまた何かにつながって、わたしの言葉の世界はどんどん広がってきている。読むこと、書くこと、声に出すことも、その延長にあると思う。

 特に、書くことでは、自分の中から、湧き出てきた想いを、自分らしく、またそのときの想いにぴったりと合った言葉で、わかりやすく、さりげなく、伝えたいと思うようになった。「さりげなく」は難しいけれど、「ここが大事だから!」と前のめりな感じが苦手だ。大事かどうかは、受け手自身が決める方がいい。

 わたしらしく、これからも言葉と向き合っていきたい。これからも、自分らしく、書くことができますように。

 読んでいただき、ありがとうございました。



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