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藁の匂いとチクチク


 雨上がりの朝。

 しっとりとして、ひんやりした空気の中を散歩する。まだ、ほんのちょっぴり、雨が降っているかもしれない。

 もくもくと歩いていると、土と草、花の匂いが交互にやってくる。こういう日は、匂いを感じやすい。気持ちがいいなぁ。

 それにしても、ひんやりというより、肌寒いくらいだ。10月に入って、ぐっと朝夕の気温が下がった、と思ったら、本日の最高気温は23度の予報。つい、この間まで、30度を超えていたのに。ただただ、驚く。慌てて、羽織るものや、薄掛け布団の用意をした。

 秋なんだなぁ。稲刈りの終わった田んぼもちらほらと見かける。稲刈りのすぐあとの香ばしい藁の匂いが好きだ。この匂いをかぐと、チクチクとした藁の感触まで、よみがえってくる。


 稲刈りの思い出。

 40年ほど前くらいまで、親戚のおじちゃんとお兄ちゃんが稲刈りに来てくれていた。稲刈りの様子は見ていないが、稲刈りが終わったあとの田んぼで、親戚総出、稲穂のついた稲束を積んで干した。

 妹たちと藁に飛び込んで叱られたり、小さなタニシを集めて遊んだり。そうそう、田んぼで鬼ごっこもしたっけ。稲の切り株だらけで走りにくくて、すっ転んで怪我もした。田んぼの土はしっとりと、湿っていたなぁ。

 みんなで働いたあとの夜は、ごちそう。商店街の味噌カツ屋さんから、味噌カツを届けてもらい、みんなで食べて、笑って、おしゃべりをした。何を話したか、全く覚えていないけれど、あたたかなその雰囲気だけは覚えている。

 農家のうちにとって、米が今年も収穫できたということは、とてもとてもうれしいことだった。売るほどの米はないが、これで一年、家族みんなが食べてゆける、そんな安心感があったように思う。

 田を切り盛りする、祖母は上機嫌で、うふふうふふと笑っていた。4月末の田植えの準備から始めて、田植えを済ませ、水の調整や、田の草取り…いろいろな世話をしながら、田んぼを、稲を守り切り、ようやく、このときが来たという、うれしさにあふれていた。

 冷夏で収穫量が減ったり、台風で稲が水に浸かったり、そんな年もあったと思うが、それでも、「米ができた」ということは、格別なものだったんだろうなぁ。

 今なら、その気持ちがわかるような気がするのだが、そのころ7才ほどのわたしは、いい匂いの藁と遊ぶこと、大人の靴ほどの大きな味噌カツを、ひとりで食べられることが、ただうれしかった。外食をほとんどしないうちだったし、お正月より、ごちそうだと思った。

 その後、稲刈りを委託して、その他の作業だけをするようになり、その後、全面委託を経て、今は田んぼをほとんど手放した。今は、買ったお米を食べている。

 今の状況を知ったら、亡き祖母はなんて言うだろうなぁ。勝手に、落ち込むこともできるけれど、たぶん、わたしの想像の範疇を超えるだろう。いつか、会えたときに、きいてみよう。

 今でも、たわわに実った稲穂たちをみると、とてもとてもうれしくなる。田んぼを手放しても、わたしの血が覚えているんだ。



しっとりとキバナコスモス


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