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「手紙を書く」というロフトワークの文化に思うこと

ロフトワークでは、決算月の今月と、半期に当たる3月に実施する「360°レビュー」という取り組みがあって、僕がこの会社で1番好きな文化だ。

360°レビューという文化

360°レビューとは、簡単にいうと、社内の仲間を褒め合う仕組みなのだけれど、あえて文化という言葉を使いたい。というのも、そもそもこういった仕組みは、会社全体で、仲間1人1人を尊重し合う空気感のようなものが当たり前に共有されているからこそ、気持ちよく機能すると思うからだ。忖度や、上意下達のすぎる組織であれば、このような文化はうまく育っていかないのではないかと思っている。

360°レビューは、「普段感じていても、照れる気持ちや、慣れなどもあって伝えきれていない"いいね!"や"ありがとう"を贈り合う関係性づくりをしていこう」、そんな想いから始まったらしい。

やっていることはいたってシンプルなもの。評価してほしい人最大5人を、全社員の中から自由にレビュアーとして指名して、1人1人から自分に対するポジティブなメッセージを書いてもらう。

「書きたければ書いていい」のルール

360°レビューには、1つ有難いルールがある。それは、指名されていない人に対しても書きたければメッセージを書いていいというルール。

今回で360°レビューをやるのは3回目になるのだけれど、初回はこのルールを見落としていて、レビュアーとして指名した人から自分を指名されなかったときに「めちゃめちゃ褒めてもらったけど、僕もあなたに伝えたいことたくさんあるよ...!!」みたいなとてももどかしい想いをした記憶がある。

渡したいから渡すもの

僕は、この文化を仲間に贈る手紙のように捉えていて、頂くからには返したい気持ちがある。だから、少なくとも、自分がレビュアーに指名した人には、その人からレビュアーに指名されてもされなくても、必ず返すようになった。

一方で、自分が書いているときは、「手紙は自分の気持ちをツラツラとしたためて渡すものなわけで、ある種のエゴのようなものかもしれない」と思っている。

だから、返事があってもなくてもよくて、相手がどう受け取ってくれてもかまわない。本来、気持ちは「喜んでくれるから渡す」みたいなものではないと思う。

渡したいから渡すもので、それ以上でも、それ以下でもないというか、気持ちってそういうものなのかなと思っている。

もし「良いように思ってくれるか分からないから渡さない」となれば、それは本当の気持ちと呼べるだろうか。

手紙を書いて気づいたこと

上に書いたような想いは、自分が過去に運営していたプロジェクトでの経験からくるものと感じている。

僕は、一昨年まで、複数のお寺で関西の芸大生とアートフェスを運営していた。毎年秋に実施して、最後には打ち上げがあった。メンバーが数十人のうちは、打ち上げに参加する1人1人へ向けて、毎年メッセージカードを書いた。それから、そのカードをポチ袋みたいな小さな袋に包んで渡していた。

本当は関わってくれた全ての人に渡せたらよかったのだけれど、渡すのはあくまでも打ち上げに参加した人に限った。

なぜかというと、打ち上げに来る人というのは、肯定的な想いも否定的な想いも全部含めて、プロジェクトに対して何らかの想い入れを持っている人のように感じていたから。

もちろん、想い入れがあっても、予定があって来れなかった人はたくさんいたと思う。けれど、多種多様な大学から学生が参加するこのプロジェクトは、打ち上げを逃すと、近い間に同じようなメンバーで集まれることは2度とないと分かっていたから、「これもご縁かな」と割り切って、そこに集ったメンバーに渡すことにしていた。「何かを一緒にやりきった」という熱に溢れた打ち上げの場でこそ、分かち合える気持ちというのもある気がしていて、その瞬間は、後にも先にもそこにしかなかったりする。

打ち上げにくるメンバーを早くから把握して、たくさんのメッセージを書いた。この時間が自分への何よりのご褒美だった。

でも、都合が悪くなって、当日来れなくなった人もいて、渡せなかったメッセージはいくつかあった。

渡したけれど、どう受け取ってもらえたか分からなかったメッセージや、あまり良いようには受け取ってもらえなかったメッセージもあった。

もちろん、「ありがとう」と受け取ってもらえたメッセージもあった。

メッセージに対して、無言のお返事、直接の言葉のお返事、ラインでのお返事、手紙でのお返事、いろんな形のお返事を頂いたけれど、書かなければよかったと思ったメッセージは1つもなかった。どれも同じように「書いて良かった」と今でも思っている。

手紙を書くということ

自分にとって手紙を書くということは、ご縁のある人、あるいはあった人に対して、何を思って、何を感じているのかを自分なりに振り返って、「ああ、自分にとってこの人はこういう存在だったのか」と気づいていくことなのかもしれない。その先に、その人と向き合う素直な言葉だったり、あるい自分だったりを見つけていくことに喜びを感じているのかもしれない。

手紙を書きたいと思える人がたくさんいるというのは、とても幸せなことだなとつくづく思う。でも、普段は恥ずかしいものだから、自分でも気づけないくらい深いところに、ついついしまい込んでしまっている気持ちってきっとたくさんある。だから、360°レビューはとっても有難い。こういう文化が育つ会社、僕は素敵だと思う。

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