和柴の飼犬

忘れないでよ それでいいんだよ
新しい誰かにまた名前つけて

レオ」/優里(2022年)

家人にほとんど懐かなかった飼犬が死んだ時、それを溺愛していた父のことを私は真っ先に心配した。

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父は私や妹にとにかく厳格で、生きていくために必要なもの以外───ゲームや漫画、それらを買うための小遣い等───を、何も与えなかった。実家を出るまで私はとにかく人生が退屈で仕方なかった。

と、書いてしまえば一文になるのだが、それはそれはもう途方もない苦痛であった。何しろ物心ついてからの人生の全てがそうなのだ。しかも、同級生たち─────小中学生の男子たちが、ゲームや漫画の話しかしない中で、自分だけは加わることもできない。それが5年も10年も続いたのだが、そういった類の苦痛は説明可能なものではないし、わかる人にだけ伝わればいいなと思う。

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どういう流れだったかわからないし、家庭の方針の意思決定に私や妹が関わることはなかったので、あるいは当然かもしれないが、犬を飼う事になった。ある日突然、その柴犬は家へ来た。

純血の柴犬で、世界中を見渡してもそうはいないだろうと言えるほど、見た目から性分まで、あらゆる特徴が柴犬らしい柴犬だった。血統書に書かれた名前は「優姫(ゆうき)」号だったが、母が名付けた別の名で呼ばれることとなった。

飼犬はどれだけ世話をしても、いくつになっても、撫でられることや抱かれること、テリトリーに入られることを嫌がった。大人しく撫でられるのは父に対してだけだった。

私はそんな飼犬を遠巻きに見ながら、飼犬はこんなところに繋がれて、我々の家族でいて、生きていて、楽しいのだろうか、幸せなのだろうかといつも思っていた。

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自分はというと、この家に耐えかねて、成人した途端に家を飛び出した。金もない、食べるものにすら困る生活も、不自由に比べれば全然マシ─────だったが、自由になっても生きていくことは苦しい事なのだと気付く。

生きていくには働かなければならないし、すると時間はないし、自由に何かをするほどの金は得られない。人生という、遠大で長大な暇潰しが、何かを得て輝き出すことはなかった。

***

その暇潰しにも慣れたのか、大人になって上手くなってきたのか、はたまた麻痺してわからなくなったのか─────その苦しみとともに生きられるようになってきた頃、実家の飼犬が死んだとの報せがあった。

言いつけは何も聞かず、何度も家出を繰り返しては警察官に補導されるまで帰って来ず、親が苦労して稼いだ金で通っていた学校は成人した途端に辞め、都会で一人暮らしを始め、好き好きにやっていた私や妹と違って、父の躾に従っていた飼犬は、きっと我々よりただ純粋に可愛かっただろう。父は飼犬を喪ったことを、受け入れられるのだろうか─────

何の問題もなく、父は平然と仕事をしていた。が、母と共に泣いていたことは後ほど母から聞いた。他で父が泣くところは"その父、私の祖父の亡骸と父が対面した直後の1分間"しか見たことがない。


***

ある日、社用車を運転しているとラジオから優里の声が聞こえてきた。彼の曲は青臭ぇなぁ、ガキだなぁと思ってあまり聴いてこなかったのだが、しかしこの曲は、まるで歩行中にパーカーのフードが何かに引っかかるかの如く、私の注意を掴んでいた。

優里の曲を聴いた私は、飼犬が死んだ日の父を思い出した。

次に、理不尽な怒りを優里へ向けた。「犬がそう、都合良く人を愛するものか」と。しかし私は知っていた。この曲のように、心底から人間を信頼し、命も惜しまないほど愛する犬がいることを。それは其々のイヌとヒトの関係次第であることを。

そして、そうではなかったこの家の飼犬との日々を思い返しては私は泣いた。

大伯母が死んだときも、祖父が死んだときも、祖母が死んだときも、私は泣かなかった。

一切皆苦の此岸に生を受けたことの嘆きも悲しみも抱きながら─────勝手に自分を産み出した存在を憎みながら、そこに悪意はない事を知った私は、それをおくびにも出さず、良い孫で在り続けた。だから何一つ後悔はなかったのだ。私は受けた寵愛を、感じた恩の全てを、目の前の先祖等に報いたつもりでいた。

だが、飼犬の事となると違った。生命の自由のない飼犬の幸福を最優先しなかった自分の行いを悔いて泣いた。最も知るはずの苦痛を少しでも理解し、軽くしてあげられる自分がその最善を尽くせなかったことを、自覚していた私は悔いて泣いた。


今更 誰のためにもならず、誰も救いはしないことを理解していても、その涙を止めることは叶わなかった。

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