マイフェイバリットフーズ/食でたどる70年第30回「酒粕の砂糖包み焼き」

小さい頃の食事にいつも汁ものがついていたかどうかの確かな記憶はない。毎回ではなくとも味噌汁がついていたはずだが、どんな具が入っていたかほとんど覚えていない。ただ、私が初めて作ったのは味噌汁だった。母親に聞いて煮干しで出しを取り、具材は油揚げだったか、火が通ったところで味噌を溶きメインのおかずに合わせたのではなかったか。
しかし、汁物で鮮やかに記憶に残っているのは粕汁だ。母親が西宮生れということもあり、関西で多い粕汁がよく出てきた。粕汁の印象が鮮やかなのは、味噌汁よりも具沢山で「ごちそう」だったことによるからかもしれない。
父親が小学校の教員をしていた関係で、共済で新巻きサケを購入し持ち帰る時もあった。そういう時は粕汁がよく登場した。酒粕の甘味と新巻きの塩味が混ざり合った味わいは、子どもながらおいしかった。昔の新巻きは保存の関係でもっと塩をきかせていたのも、粕汁がおいしかった一因かもしれない。とはいえ、大量に作った粕汁が2回、3回と続くと「また粕汁か」と不満を口にすることもあった。

何もない時の「おやつ」としても活躍

しかし、酒粕は粕汁などの料理として食べるだけではなく、おやつとして食べることもあった。確か小学校5年生の時だったと思うが、お寺の空き地で三角ベースボールをして遊び、おなかを空かして帰っ「何かおやつはない?」と聞くと何もないとの答え。腹が空いたとわめく息子に母親が教えてくれたのが「酒粕の砂糖包み焼き」だった。
淡路島は温暖でそれほど暖房機器に頼ることはなかったが、冬には火鉢に炭火がいけられており、餅を焼いたり、お湯を沸かしたりしていた。見ていると母親は、酒粕を網に乗せると炭火で焼き始め、適当に焼き目が付き柔らかくなると、その酒粕に砂糖をくるみ丸くすると、もう一度焼き上げたアツアツの酒粕を小皿に乗せてくれた。
この「酒粕の砂糖包み焼き」は、酒粕が適度に溶けて、甘味が増しているが、日本酒の搾りかすなので、それだけでは子どもの口には合わない。ところが砂糖を包んで焼き上げると、さらにトロミが増して十分におやつになった。今考えると私は「いける口」なので、子どもながら酔っぱらうこともなかった。
それからは、火鉢に火がある季節には、おなかが空い、おやつが何も見当たらないと、台所をあさって酒粕を見つけ出すと、自分流の「酒粕の砂糖包み焼き」を作って食べることも多かった。もちろん、砂糖をはちきれんばかりに入れたことはいうまでもない。
地元には「都美人」というお酒を醸造している日本酒蔵があり、普段はそこの酒粕を食べることが多かった。それが母親が神戸へ出かけた折りなど、「大関」や「菊正宗」などの灘のお酒の酒粕を買ってくることがあった。そんな時には、何もわかっていないのに「灘の生一本の酒粕は美味しい」とほざいていたのだから、昔も今も権威には弱いということだ。


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