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私は癒しの旅をしている

noteで 文章を書き始めたきっかけは、心に大きなダメージを与える出来事に出会った後、自分の心の声を聞いて、先に進む力を養いたいと思ったことだった。

その後、かなり時が過ぎて、ある時、急に「あ、元気になってきた」って思うことがあった。それを、一度ならず、何度か通過してきて、やっと体がすいすいと なめらかに動くようになってきた。

執着していたものを、以前は「手放すまい」と握りしめてて、少し経つと「手放さなければ」と思えるようになり、最近「そんなに大事に持っていたい?」と問うたとき、あっさりと「いや、いらない」と即答した自分がいた。

手放すには時間が必要だ。

日々のくらし。ごはんやおふろ、ゆっくり休むこと、掃除洗濯をすること、などなど。
くらしのなかで、体を動かし、信頼する人と時々言葉を交わし、徐々に、エネルギーが回復してきた。

元気になるために、最も効果があったのは、意外なことに「あの人のした、あの行いは絶対に忘れない」と思うこと、すなわち、怒りやら執着を認めることだった。それが「もう、そんなのいらない、邪魔」と思うことにつながった。忘れないと思うことで、初めて 自分の負ったダメージを受け容れる、というか、認めることができたのではないかと思っている。

また、勉強にも効果がある。本を読んだり、考えたりすること。この世界のことを知る手がかりを多く身につけること。
私が前から 子どもに時折伝えていることがある。
「あなたがしている勉強は、誰かを助ける力をつけるためのもので、自分の成果をひけらかすためのものではない」「勉強することが、自分の心を強くする」ということ。
承認欲求を満たすために、他者を見下す言動は、案外エスカレートしやすいものだ。自分を認めてほしくて他人を傷つけるという、極めて身勝手な振る舞い。我が子にしてほしくないこと。もちろん自分もしたくない。

怒りや執着は 抱えていると重たい。それを手放すためには、日々の暮らしにくわえ、勉強もまた有効だった。自分の心を損ねた人が持っていない、繊細さ、教養、思慮深さを自分のものにして、自分の心を温かく包むことができる、毛糸のマフラーのようなものを手にした時、執着していた対象を手放すことができた。あるいは、以前の私は 無防備すぎて、何で自分を守ったらいいのかわからなかったのだろう。

日々の家事、暮らすこと、勉強を義務だと思っていると、するのが嫌になる。でも、自分の力をつけて、自分や大切な人を守るものだと思うと、取り組み方が変わる。


一歩一歩 踏みしめて歩き、暮らし、学ぶことが、少しずつ傷を癒やして、新たな力を得ていく。これもまた、私の旅。

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