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幸せという言葉

幸せという言葉を使っているのに、ちっとも幸せそうに見えない人がいた。
正確に言うと、幸せだと自分に言い聞かせているような感じだった。実際は、何かに深く絶望したことがあったのではないか。

悲しみや妬み、軽蔑、そういうものを抱えているのが 透けるように見えるのに、自分をそういう感情とは無縁であるかのように見せ、自分の思いそのものはもちろんのこと、自分の信念に基づいた意見を勇気を出して公に表明する人のことさえも、冷めた目で眺める姿は、滑稽なものに思えた。本当は自分も表現したい思いを抱えているということが全部透けて見えているからだった。裸の王様。
自分の作業に没頭できる、自分のルールで自分の世界を作ることができる時に幸せで、他者との関わりに意味を見出すことはできなかったらしい。

自分ひとりの時間は 人間にとって大切。私も自分のことに没頭できることに大きな幸せを感じる。幸せの中に在ると感じる。でも、ずっと、たったひとりでいたいわけではない。

王様は、早くひとりになりたい。人と交わる生活から早く退きたい。隠遁生活に価値を見る。誰も王様扱いしてくれなくても、王様って呼んでもらえなくても、「誰もいないから当たり前」って言い聞かせることができる。幸せには、いろんな形があるから、王様が見出したそれも、ひとつのあり方なのだろう。

では、なぜ、わざわざ自分は幸せだと他人に言って聞かせるんだろう。そこに、自己完結し得ない幸せがある。

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