見出し画像

その後どうなってると思う?

 前置きが長くなるので、先に本題を書いておくと、これは「自分は被害者だと思った人が、加害者に対して どう考えていくのか」という話。

がんばっても手応えが得られない、とか 最近退屈だな、とか思う時が 日々の中で 不意に訪れる時がある。それ自体は 否定する必要のないこと。そういう時 、趣味 ライフワークといえるものがあって、それに打ち込んでいるうちに いつの間にか 日々のペースを取り戻しているなら 自分を見失わずに済む。

 ところが、退屈しのぎに他者を利用してしまう人がいる。他人の噂話に首を突っ込むとか、ひどい場合は嫌がらせとか。今の世の中、スマホからSNSの世界にアクセスすれば、こういうことは気軽にできてしまう。世界のどこかにいる人のことを批判したり、非難したり、追い詰めたり。
 ネット上に限らず、実際の世界でも、批判ばかり言って 言っている本人だけいい気分、ということがある。そういう人の言動で傷つき「ああいう人がやりたい放題だなんて、やるせない。謝ってほしい」と思う人が出てくることもある。やるせなさ、怒りの連鎖。
 でも、そういうことをする人って謝ったりしない。他者を尊重すべき他者だとは思ってなくて、他者をコントロールするというゲームの中の一要素ぐらいにしか考えていない。自分の言動に他者が反応する、しかも自分の思い通りに反応してくれるのが、ゲームの報酬なのだ。

 タイトルの「その後どうなってる?」には 二つの意味がある。
一つは コントロールゲームをする人、プレーヤー、つまり 「あの人が」どうなるか。もう一つは、その被害者がどうなることを選択するか、「私はどうなるか」ということ。

 一つ目の意味。
ゲームプレーヤーが永遠に勝ち続けることはない。
ない、と思っていたい。いずれゲームフィールドを失うのだと。
プレーヤーの餌食でいたくないと 周囲の人がプレーヤーの側を去っていく。悲しいことだが、被害者が去っていくことができなくて、とんでもない痛手を被ったことでゲームオーバーになることもある。
でも、悪事を続けることはできない。ある本で、過去に いわゆる「サイコパス」的な人がどうなったかというと、たとえ途中で「成功した」ように見えても無残な終焉を迎えている場合が多いと知った。

二つ目の意味。
「被害者」になった場合。相手に謝ってもらうことは実に難しいのだなと、実際のケースを見ていて思う。ケースによっては公的な手続きを経て 謝罪などを聞くことも実現しようが、そこまでに費やすエネルギーはあまりに大きい。そういうプロセスを踏むことが後世の人たちを救うことはもちろんあるし、そういうプロセスを踏むべきケースも本当に多い。

回りくどい言い方をしてしまった。要は、納得はできなくても「加害者に謝罪をしてもらうこと」を放棄することの可能性を考える方がいい場合もあるのではないかということだ。謝罪を要求するプロセスは、場合によっては 自分の人生をかけることがある。よって、状況によっては、謝罪を要求することをあえて放棄することで、謝罪が必要でなくなることがある、すなわち被害者である自分ではない生き方をできることもある、と最近思うことがしばしばあったのだ。
 もちろん これじゃ、加害者は反省しないじゃないか、と思う。そして、社会全体の事を考えた時 やはり 謝罪等を要求するプロセスを踏むべき、踏まなければならない事案は山ほどある。だから、あくまでもケースによっては、ということだ。念のためいうけれど、謝罪を求めない、というのは加害者を許すことではない。許すことができないという思いを手放す必要もないかもしれないとも思っている。
 謝罪を要求しないことは、加害者のゲームフィールドを結果的に消失させる可能性をもつ選択肢なのである。ゲーム感覚で人を傷つけて 支配するプレーヤーが 自分の加害行為を恥じたりはしない。ならば、ゲームフィールドを提供しない、それが個人で可能な選択肢。被害者が「被害者である私に謝れ」ということは、加害者と被害者という関係を被害者自ら維持していることになるから。

 被害者でない私は どんな毎日を送っている?
笑顔で周囲の人と談笑。自分の暮らしをこつこつと続ける。心穏やかに自分の仕事に取り組む。加害者のパワーゲームから一ぬけたをする。本来の自分を生きる。
謝罪してもらわなくても自分の生活を変えることで 被害者でない自分を生きられるということ。
 「幸せであることが最大の復讐」という言葉もある。吉本ばななさんの『彼女について』という小説に出てきていたと思う。
 こうありたい自分を生きることで、相手が他者をコントロールする面白さを味わえないようにする、という選択肢を考えることで 生き方の幅が広がる、かもしれない。

 自分がこう思えるようになるまで それこそ数十年かかったので 偉そうには言えないし、そうしない方がいいケースの多さを思うと 今日のこの文章は つくづく浅いなと思うが、これは これまでの、そして今の自分のための記録として残しておこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?