誰が「ゴジラ」と戦うのか?
遅ればせながら映画『ゴジラ-1.0』を観た。今から70年前の1954年に公開された第一作と同様に、今回のゴジラも核兵器による破壊を象徴しているのだろう。
終戦直後を舞台にした今作のなかでゴジラに立ち向かっていくのは、政府ではなく民間の人たちである。戦争によって傷つき、多くのものを失いながらも、彼らは愛する人たちのために立ち上がるのだ。
作品のなかに貫かれているのは「政府は信用できない」という市民たちの姿である。これは戦時中の大本営発表をはじめとする政府や軍部に対する皮肉だと見ることもできる。
また、山崎貴監督自身がインタビューのなかで語っているように、コロナ禍で日本政府が機能不全に陥っていたことが、脚本に少なからぬ影響を与えているのだろう。
・・・『ゴジラ』の舞台を現代の日本に移しかえると、こんなストーリーも考えられる。
・・・言うまでもなく、この現代版「ゴジラ」が象徴するのは「教師の長時間労働」である。
この「ゴジラ」と戦うのも、やはり政府ではなく市民たちなのだろうか?
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