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若手教師の「学び合い」 ~「メンターチーム」のこれから~

 私が勤めていた自治体の市立学校には、若手の教師たちが学び合うための「メンターチーム」という取組がある。

 市では、2007年ごろをピークに団塊世代の教師が定年退職を迎えるのに伴って、年に1000人を超える新人教師を採用するという時期が続いた。もちろん、初任者に対しては学校の内外で研修が行われるが、2年目以降に関してはきめ細かい支援を行うことが難しかった。また、臨時任用や非常勤の教師については、そもそも研修の機会がほとんどないという実態もあった。

 そこで、「教職員は学校で育つ」という合言葉のもとに、学校内で若手教師が学び合うことが推奨された、というのがメンターチームが発足した大きな理由である。

 メンターチームのメンバー構成に明確なきまりはないが、採用から5年以内の教師を対象にしている学校が多いようだ。活動の頻度や形態、扱う内容については各学校の裁量に任されている。

 教育委員会は、各校の様々な取組の中からグッド・プラクティスを集約し、それを市内の学校に周知して横展開を図っているが、基本的には学校の自主性が尊重されている。
「今回のテーマは、板書の工夫について」
「次回は個人面談のポイント」
 など、月に1~2回の活動のテーマをメンバーの希望によって決めたり、持ち回りで講師や情報提供の役割を務めたりする学校が多いようだ。

 多くの学校では、若手教師の授業力の向上、児童生徒指導や校務のノウハウの共有などの面で、メンターチームの取組が寄与していると言ってよいだろう。また、お互いの不安や悩みについて打ち明けたり、相談し合ったりすることで、若手教師の心理的な安定を保つ役目もあると言える。

 しかし、こうした成果がある反面で、次のような課題も指摘されている。

・活動内容がマンネリ化しているのではないか。
・部活動がある中学校や高等学校では、活動時間を確保することが難しい。
・若手だけで学んでも、なかなか内容が深まらない。
・活動に消極的な者や、勤務時間等の関係で参加しづらい者がいる。
・「若手」と「中堅・ベテラン」との分断を生んでいるのではないか。

 ・・・これらの課題を改善するために、管理職や中堅・ベテランの教師がメンターチームの活動にテコ入れをしている学校もある。しかし、それが若手教師の主体性の芽を摘んでしまうのではないかというジレンマも抱えているようだ。

 また、若手の教師から、
「メンターチームの活動に、あまり必要性を感じない」
「メンターチームが苦手」
 という本音を聞くこともある。特にコロナ禍以降、そうした声を聞くことが増えたように思うのだ。

 前者の「必要性を感じない」ということについては、コロナ禍とそれに伴うICTの急速な普及によって、教師を含めた大人の学びのあり方が大きく変わってきたことも一因だろう。
 学校教育の分野に限っても、オンラインのサロンやセミナー、YouTubeの動画配信など、学校以外での「学び」の機会はこの2~3年で大幅に増えた。本人に意欲さえあれば、メンターチームのような組織に頼らなくても、時間や場所を問わずに、関心があることを自分のペースで学べる時代になったのだ。

 一方、後者に関して言えば、メンターチームのことを「苦手」だと感じていた若手教師は、以前から一定数は存在していたと思われる。
 たとえば、
・自己主張の強いメンバーがいる。
・同調圧力がある。
 などが苦手意識の背景にあるのだろう。

 新型コロナウイルス感染症が流行する前の多くの学校には、放課後の飲み会などに若手教師が「全員参加」をするという「文化」があったように思う。しかし、コロナ禍によってそうした飲み会・懇親会の類が軒並み中止となった。それと呼応するように、メンターチームの求心力も低下しているように思える。「みんなで参加する」という歯止めが効きにくくなっているのだろう。

 もちろん、誰もが居心地よく、役に立つ内容を扱っているメンターチームも、市内にはたくさんあることだろう。しかし、たとえば「不安や悩みの相談」にしても、メンターチームの場で打ち明けるよりも、匿名性のあるオンライン・サロンのほうが「心理的安全性」が保たれているというのが本音かもしれない。もっと言えば、「メンターチーム自体が不安や悩みの原因」というケースだってあるかもしれないのだ。

 ・・・前述したように、コロナ禍とそれに伴うICTの急速な普及によって、教師の学びのあり方は大きく変わってきた。メンターチームも、そうした変化と無縁ではいられないだろう。

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