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45歳・教員の「越境学習」 ~日本財団での1年間~(21)

 7月の下旬、どちらも東京都東村山市にある、重症心身障害児施設「秋津療育園」と国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で行った5日間の研修のことも心に強く残っている。当時のメモをもとに振り返ってみたい。

1日目:2006年7月24日(月)

 この日から5日間の現場体験研修が始まった。これは日本財団の新人研修の一つとして位置づけられており、私も参加をさせてもらうことになったのだ。
 研修のうち4日間は秋津療育園で行うことになる。初日の午前中は、施設の見学の後、園長から「重症心身障害児の概要と医療」についての講義を受けた。
 昭和33年(1958年)に開設された秋津療育園は、重症心身障害児を対象とした療育施設である。IQは35未満、身体的には一人で身動きができないという方が多く、視覚障害、聴覚障害、てんかん、内臓の障害などを併せもつ方も多いということである。
 また、「障害児」とはいうものの、園生の高齢化が進んで平均年齢は42歳となっており、最高齢の方は61歳だということだった。園生の高齢化は、療育内容の質的な変化、生活習慣病対策、親が亡くなった後の家族関係など、新たな問題を生んでいるという。
 講義の中で、重症心身障害児施設の現状と業務内容について、次のような説明があった。

○障害などが治って退園するということはなく、終生の場である。
○業務は日常生活の介護が主であり、個人対応での人手と時間を要する。
○業務(療育)に関するお手本や模範解答を求めるのは容易でない。

 こうしたことを踏まえて、一人一人の園生に少しでも豊かな生活を提供するために、きめの細かい配慮がされていることがわかった。

 午後は「おむつたたみ」の活動を行った。他の施設では紙おむつを使用するのが一般的だそうだが、秋津療育園では布おむつを使用している。それには次のような理由があるということだった。

○重症児の快・不快の感情を大切にしたい(紙おむつを使用すると、排泄物が吸収されるために不快感が少なくなる)。
○おむつ交換による健康状態の確認を大切にしたい(紙おむつよりも交換回数が多くなるので、それだけチェックをする回数が多くなる)。
○環境問題への対応(紙おむつは大量の医療産業廃棄物となる)。
○おむつたたみをするボランティアの方たちとの交流を大切にしたい。

 こうしたところにも、秋津療育園の活動理念が表れていると感じた。

2日目:2006年7月25日(火)

 この日は、秋津療育園の近くにある国立ハンセン病療養所「多磨全生園」を訪問した。多磨全生園はハンセン病患者の療養施設である。
 ハンセン病は、「らい菌」の感染によって皮膚や末梢神経が侵されてしまう病気であるが、菌の毒力は弱く、感染しても発病することはほとんどない。また、現代ではよく効く薬があり、完治することが可能な病気になっている。
 しかし、かつては効く薬もなく、顔や手足などに目立つ跡を残すことがあった。そのため、恐ろしい伝染病のように思われ、患者たちは「らい予防法」という法律によって強制的に隔離され、療養所の中に一生閉じ込められてきたのだ。また、施設の中では断種手術や強制的な堕胎など、人権を踏みにじる行為が行われてきたのである。
 1996年に「らい予防法」は廃止されたが、未だに「伝染する恐ろしい病気」だという偏見が根強く残っており、患者や家族の方たちを苦しめ続けているという。

 施設内では、戦前のハンセン病患者の様子について写真やビデオで見たり、実際に患者の方の話を聞いたりすることができた。また、ハンセン病から回復した森元美代治さん夫妻と会食をする機会も設けていただいた。
 松本清張原作の映画『砂の器』のなかでも描かれていたハンセン病に対する差別や偏見。それを実際に体験した方たちから話を伺い、人間には愚かで残酷な一面があることを思い知らされた。
 また、現在でも親戚との縁を切られたり、故郷へ足を踏み入れることができなかったり、死後も家族と同じ墓に入れない方がいたりするなど、日本におけるハンセン病はけっして過去の問題ではないということも知った。

 現在、入所している方たちの高齢化に伴って、施設の中には空き家が目立ってきており、今後どのようにこの施設を存続させていくのかが検討されているという。
 原爆ドームやアウシュビッツ強制収容所は人類の「負の遺産」として世界遺産に登録されている。この療養所も理不尽な差別の歴史があったことを後世の人々に伝えるために、何らかのかたちで残していく必要があるのではないかと感じた。(つづく)


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