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「教師の自腹」を生むメカニズム(下)

 これまで2回にわたって、『教師の自腹』(福嶋尚子・栁澤靖明・古殿真大著、東洋館出版社)という本の内容を紹介するとともに、「自腹」が生じてしまうメカニズムについて考えてきた。

 前回までに述べてきたように、教師が「自腹」を切ってしまう理由には、主に次の3つがあると思う。

① 学校に配当される予算が少ないこと
② 経費を申請するための事務手続きが煩雑なこと
③ 仕事とプライベートの境界が曖昧なこと

 前々回は①について、前回は②について補足をした。今回は③について述べていくが、

「仕事とプライベートの境界が曖昧なこと」

 に関しては、①や②とは問題の性質が異なっている。③は教員の「やりがい」とも密接に関わっているからだ。

 ・・・今から3か月ほど前のことだ。教職大学院に通っている現職の院生たちとの自主的な勉強会のなかで、その日は小学2年生の国語科で扱う『お手紙』を取り上げていた。

『お手紙』はアーノルド・ローベルの「がまくんとかえるくん」シリーズの一話で、光村図書の小学2年・国語の教科書に掲載されている。

「がまくんとかえるくん」が繰り広げるエピソードは、子どもから大人まで、たくさんの人たちに愛され続けているのだ。

 ・・・勉強会が終わり、帰りに横浜駅西口にある「有隣堂」という大型書店に立ち寄ったところ、偶然にもそこで「がまくんとかえるくんフェア」をやっていた。

 書籍のほかに、ぬいぐるみをはじめとしたグッズも扱われている。

(こんな偶然もあるんだな)
 と思い、写真に撮って勉強会用のグループのチャットにこんな投稿をした。

 すると、その日のうちに勉強会のメンバーからこんなコメントがあった。

 間違いなく「自腹」で「がまくんとかえるくん」のぬいぐるみを購入したのだろう(そして、間違いなく「自腹」のアシストをしたのは私だ)。

 今のところ、2体のぬいぐるみは自宅の机の上に置かれているらしい。しかし、教職大学院を修了して学校現場に戻り、小学2年生の担任として『お手紙』の授業をすることになったら、学校へ持っていくに違いない。

「どんなふうに子どもたちへ見せようか」
「教室に置いておいたら、休み時間には奪い合いになるかもしれない」
 などと想像して、今からニヤニヤしていることだろう。

 ・・・数日後、その勉強会でこのことを話題にしたところ、当の院生からこんなことを聞かされた。

「前の学校の同僚は、『お手紙』に登場する西洋風のポストを『どうしても子どもたちに見せたい』と言って、似たやつを通販で買っていましたよ」

光村図書「こくご2 下巻」より

 価格は不明だが、その支払いが「自腹」であることは間違いない。

 教員の仕事は「やりがい」のあるものだ。それは「趣味」や「生きがい」とも紙一重である。「子どもたちの喜ぶ顔を見たい」という思いが高じると、身銭を切ることに関して感覚が麻痺してしまうのかもしれない。

 だが、「豊かな教育活動」の一部が、教員たちのこうした行為によって支られていることは事実である。「やりがい」と密接に結びついているだけに、一概に否定してしまうのは難しい。

 学校の予算委員会で「ぬいぐるみ」や「ポスト」が認められることはないだろう。認めてしまえば「あれも欲しい、これも欲しい」になってしまうことは目に見えている。

 けれども、ある程度までの「教員による裁量」は、あってもいいのではないかと思う。


『教師の自腹』の著者たちは、「自腹」のメカニズムを「積極的」「消極的」「強迫的」という三つの枠組みで整理している。私が挙げてきた事例も、この三つに分類できるだろう。

 そして、この「積極的」「消極的」「強迫的」という三つの枠組みは、教員の時間外勤務の問題にもそのまま当てはまる。

・「やりがい」に基づく「積極的」な時間外勤務
・仕方なくやる「消極的」な時間外勤務
・やらざるを得ない「脅迫的」な時間外勤務

 さらに言えば、時間外勤務の手当を受け取らずに長時間の労働をすることは、「無償の時間外勤務」という「自腹」を切っていることに他ならないのだ。

 ・・・「教師の自腹」の問題を改善していくことは、その長時間労働の是正にもつながっていくことだろう。逆に、もしも「自腹」の問題を改善できないようであれば、長時間労働の是正など夢のまた夢になってしまうのだ。

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