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45歳・教員の「越境学習」 ~日本財団での1年間~(25)

かち歩き大会③


「走るのならばともかく、歩くのだったら何とかなるだろう」
 この考えがいかに甘かったかを思い知った我々だったが、実はこれ以外にも様々な甘さがあったのだ。たとえば…。

① ゴールまでの最後の5kmがきついだろう。
② 沿道の景色を見ながら歩けば気がまぎれるだろう。
③ 筋肉痛などの体の痛みは、翌日以降に襲ってくるのだろう。

 まず、①の「ゴールまでの最後の5kmがきつい」というのは、マラソンの中継で解説の瀬古俊彦さんや増田明美さんがよく言っていることである。その言葉を聞き慣れていたので、おそらく「かち歩き大会」も似たようなものだろうと私は考えていた。
 しかし、これが大間違いで、「最初の5kmからきつい」ということはY君の体の変調によって実証済みである。別に瀬古さんや増田さんに罪はないのだが、このときは二人のことを恨みたくなったものだ。

 続いて②の「沿道の景色を見ながら歩けば気がまぎれる」ということも、よく聞く話である。だが、あくまでもコース次第だろう。たとえば、東京マラソンであれば、浅草、スカイツリー、銀座、東京タワーなど、目を楽しませてくれる光景が次々に現れるので、疲れたランナーの気もまぎれることだろう。
 しかし、この「かち歩き大会」の場合、メインのルートは青梅街道である。沿道に住む都民の皆さんには大変失礼で申し訳ないのだが、これといった名所旧跡はない。目立つ建物と言えばコンビニやファミレスぐらいである。10年以上経った今となっては、沿道に何があったかをほとんど思い出すことができない。覚えているのは、「青梅街道沿いには、数kmおきに『東京靴流通センター』がある」ということぐらいだろうか。

 そして③だが、これも大きな間違いで、中間地点を過ぎたあたりから、これまでに経験したことがないような足の重たさを感じていた。まるで鉛の靴を履いて歩いているかのようである。35kmを過ぎると、歩くというよりも「重くなった下半身を、別人格の上半身が前に運んでいる」という感覚になっていた。
 市民マラソン経験者のS君も、「走るのよりもキツイ」と言っていたぐらいだから、Y君に関しては推して知るべしであろう。だが、彼も力を振り絞って足を前に進めていた。

 そう、我々3人には目標があったのだ。

【目標】3人で「8時間台」でのゴールを目指す。

 ちっぽけな目標かもしれないが、3人で励まし合いながらゴールを目指した。

 そして、周囲が薄暗くなり始めた17時過ぎに、ようやくゴールとなる青梅市総合体育館が見えてきた。この苦しさから解放される瞬間が訪れるのだ。本当は3人で横に並び、手をつないでゴールをしたいところだったが、ゴール地点でタイムを記録してもらうため、順番に1列になって通過する必要があった。
 S君と私は、最後まで頑張ったY君を先に行かせ、次いでS君、最後に私の順番でゴールをした。その結果は…。

607位  8時間59分  Y君
608位  9時間00分  S君
609位  9時間00分  立田

「オ~イ! 8時間台でゴールしたのはYだけじゃね~か!!」
 
S君と私の声が、青梅の街にむなしく響いていた。

左:完歩証明書  右:参加記念のバッジ

 その後、青梅市総合体育館を出て、どのように横浜の自宅まで帰ったのか、まったく記憶に残っていない。
 覚えているのは、翌日、文字どおり重い足を引きずりながら日本財団に出勤すると、いつもは私よりも先に来ているY君の姿が見当たらなかったことである。その後、Y君から上司宛に「膝が痛いので病院に行ってから出勤します」という電話があった。そして、昼過ぎには「股関節付近の疲労骨折だと診断されました」という連絡が入ったそうである。

 ちなみに、大会後に送られてきた結果報告によると、43kmコースの完歩者は778名だったそうだ。完歩者の最年少は8歳、最年長は84歳で、いずれも我々3人よりもいいタイムでゴールしていた。きっと、「歩くのなら大丈夫」などと油断をせずに、日頃から鍛錬をしているのだろう。


 日本財団での1年間は、トータルで言えば大変よい思い出である。だが、この「かち歩き大会」に関しては、当時も「もう絶対に参加しない」と心に誓ったし、今でもその気持ちに変わりはない。

 しかし、2011年の東日本大震災の際、通勤に利用している鉄道が全面運休となり、なかなか復旧しなかったため、自宅まで約10kmの道のりを歩いて帰ることになった。けれども、それほど辛いとは思わなかった。
 その後も、積雪などで公共交通機関がストップし、徒歩で長い距離を歩くことが何度かあったが、やはり「かち歩き大会」に比べれば苦にはならなかった。

 先ほども述べたように、もう一度「かち歩き大会」に参加をしたいとは思わない。しかし、その一方でこれだけは断言することができる。

人生にとって無駄な経験は一つもない。

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