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【映画鑑賞】「ハマのドン」

 令和3年(2021年)8月に投票が行われた横浜市長選では、横浜への「カジノ誘致」の是非が最大の争点となった。

 ・・・現職の林文子市長は、前回(2017年)の市長選で「カジノは白紙」と公約したにも関わらず、その後に撤回して「カジノ誘致」に舵を切ったことで市民の反感を買っていた。

 横浜は菅義偉の地元でもある。菅は官房長官、そして総理大臣としてこの「カジノ誘致」を国策として推し進めてきた。時の権力者の意向が市長の判断に大きな影響を与えているだろうということは、誰の目にも明らかだった。
 横浜市民の有志は、「カジノ誘致」の賛否を問う住民投票を求める署名活動を行い、法定必要数の3倍以上の署名を集めたが、それは「黙殺」された。

 そんな令和元年(2019年)の8月、「ハマのドン」の異名を持つ藤木幸夫が「カジノ阻止」に向けて立ち上がることになる。この映画は、それから市長選に至るまでの2年間について、藤木の動向を中心に描いたドキュメンタリーである。

 この映画の「主役」である藤木幸夫は、昭和5年(1930年)8月の生まれで、市長選の投票日は91歳で迎えている。地元の政財界に顔が効き、歴代総理経験者や自民党幹部との人脈があるほか、港湾関係の業務を取り仕切ってきた関係から、広域暴力団の幹部ともつながりがあった。

 もともと藤木は自民党員であり、自他ともに認める保守の重鎮だ。横浜市会議員だった菅義偉が国政に進出する際には後押しもしている。その藤木が、カジノを推し進める政権中枢に対して、真っ向から戦いを挑んだのだ。そこには、「今の時代が戦前の『ものを言えない空気』に似てきたのではないか」という藤木の危機感もあった。

 ・・・こうした藤木の行動の原動力になっているのは、彼自身の戦中・戦後の体験である。
 神奈川県立工業学校(現・県立神奈川工業高校)の学生だった太平洋戦争末期には、何度も米軍の空襲による被害に遭い、友人や恩師たちの死に直面してきた。
 戦後は父親の事業を継いで港湾荷役事業に従事し、港湾労働者たちとその家族の生活を支えるために奔走してきた。とりわけ、藤木が気にかけていたのは、海上に浮かぶ艀(はしけ)の上で生活する労働者の子どもたちの将来だった。
 そして、高度経済成長とともに発展していく横浜港とその周辺を見つめ続けてきたのだ。

 そこへ持ち上がったのが、当時の安倍晋三総理と菅義偉官房長官が推し進めた「カジノ誘致」の国策だった。
 当初は日本企業によるカジノの運営を容認する方針だった藤木だが、安倍政権が米国のサンズをはじめとする海外のカジノ業者を横浜に呼び込もうとしていることがわかり、「横浜の港でギャンブルをやらせるわけにはいかない」と態度を一変させる。
 彼が若いころに経験した空襲とその被害のこと。博打によって人生を狂わされていった港湾労働者とその家族のこと。・・・こうした経験が、彼の判断に影響を与えただろうことは想像に難くない。
 藤木は周囲の説得にも耳を貸さず、カジノに反対する市民たちと手を結び、その有害性を訴え続ける。そんな藤木の熱意にほだされて、カジノ側の人物の中にも協力者が現れるのだった。

 ・・・8月の市長選が迫る中、「カジノ誘致」を掲げて4選を目指す現職の林文子市長に対して、藤木は「カジノ反対」を訴える立憲民主党が擁立した、元横浜市立大学教授の山中竹春を支援することを表明する。
 一方、首相の座に就いていた菅義偉は、地元選出の衆議院議員で国家公安委員長を務める小此木八郎を市長選に担ぎ出す。しかも、小此木はそれまでの「カジノ誘致」の姿勢を一変させて「カジノ見送り」を公約に掲げたのだ。

 こうして、現職の林市長は梯子を外された格好となり、選挙戦は事実上、山中と小此木の一騎打ちとなった。
 藤木と市民グループが一体となって草の根の選挙運動を展開する山中と、菅総理をはじめとする閣僚や有名議員が次々と横浜入りして応援演説をする小此木との対決は、国政選挙並みの大きな盛り上がりを見せた。
 だがそれは、意外な大差で決着を迎える。

【2021年 横浜市長選挙 得票結果(投票率49.05%)】
506,392:山中竹春(48)前横浜市立大学医学部教授【当選】
325,947:小此木八郎(56)前国務大臣
196,926:林文子(75)横浜市長
194,713:田中康夫(65)作家、元長野県知事
162,206:松沢成文(63)前参院議員、元神奈川県知事
 62,455:福田峰之(57)元内閣府副大臣
 39,802:太田正孝(75)前横浜市議
 19,113:坪倉良和(70)水産仲卸業会長
※( )内は年齢

 約18万票もの大差で、山中竹春新市長が誕生したのだ。

 ・・・映画では、この選挙を「藤木の執念と市民運動とが結びついた結果の勝利」として描いている。
 しかし、横浜市民である私自身の肌感覚で言えば、やや事実と異なっているように思う。
 まず、この選挙が東京オリンピックの直後に行われたという点を見逃すことはできないだろう。多くの反対を押し切って開催された東京五輪に対する不信感と、それによる新型コロナウイルスの感染拡大への懸念が、批判票というかたちで山中に流れたということは否定できないだろう。そして、「48歳の元横浜市立大学教授でデータ・サイエンティスト」という山中の経歴には、そうした批判票を受け入れるのに十分なものがあった。
 小此木はその割を食ったことに加えて、「カジノ見送り」を公約に掲げたものの、「どうせ当選したら前言撤回をするのだろう」「首相の操り人形に過ぎないのではないのか」という市民の疑念を払拭しきれなかった。また、祖父の代から三代続く世襲政治家であったことも、この選挙ではマイナス要因となったに違いない。
 現職の林市長は、政府から手の平返しにあったことに加え、高齢への不安や多選への批判も逆風となった。知名度が高かった田中康夫(元長野県知事)や松沢成文(元神奈川県知事)も、一騎打ちのムードの中で十分な支持を広げられないまま敗れ去ることになったのだ。

 ・・・そもそも、「ドン」と呼ばれる者の存在自体が、民主主義とは相容れないものだろう。しかし、そうしたことを差し引いても、市民の署名活動に端を発した取り組みが、政令都市の市長選挙の結果を左右したのみならず、国の政策に転換を迫ったことも確かである。

 そして、藤木の次のような言葉が、多くの人々の感情を揺さぶったこともまた、紛れもない事実だろう。 

「港の先輩たちが、この地で汗を流し血を流し死んでいった人たちが、いっぱいいる。その方々が何か言いたいだろうと思う。死んだ親父に『横浜の将来をちゃんとしろよ』、『博打場はやめろよ』と言わされていると感じている」

 この横浜市長選の投票率は49.05%だった。前回(2017年)の37.21%、前々回の(2013年)の29.05%を大きく上回ったとはいえ、過半数が棄権をしているということなる。
 それでも、人々の行動によってこうした結果が出たのだ。将来、別の選挙でさらに投票率が高まれば、もっと大きな変革が起きる可能性もあるだろう。
 この映画を観て感じたことを最後に挙げるとすれば、次の一言になるだろう。
「民主主義が正常に機能しているかぎり、未来は市民が決められる」

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