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大人の事情

 先日、久しぶりに近所の公園の近くを通った。今から20年ほど前、娘が幼かったころによく一緒に行った公園である。
 驚いたことに、20年前にはあったジャングルジムとシーソーがなくなっていた。また、娘が好きだった球状の回転遊具も見当たらない。

 見覚えがあるのは、すべり台ぐらいである。その代わりと言ってはなんだが、パンダとコアラのかたちをした乗り物が設置されていた。

 パンダとコアラのそれぞれの下部には太いスプリングがついているので、上下動をするようになっているのだろう。
 しかし、である。
 ・・・楽しいのか、これ?
 20年前の我が娘であれば、すぐに飽きてしまい、
「おうちでプリキュアみる」
 とか言い出しそうである。

 固定遊具が撤去された理由は、だいたい想像がつく。怪我や事故を防止するためだろう。
 たしかに、今から10数年前だと思うが、公園の遊具による子どもの怪我や事故が大きな問題になった時期があった。公園を管理する役所からすれば、危機管理上、仕方のないことなのだろう。

 しかし、巧緻性や創造性、危険予知能力など、固定遊具を使って遊ぶことによって子どもたちに育まれるものは少なくないだろう。
 大人の事情により、子どもたちがそうした能力を獲得する機会を奪っているとも言えるのだ。

 もっとも、子どもたちの発想は柔軟だから、このパンダとコアラの遊具を使って、大人が想像もしないような斬新な遊び方を考え出すのかもしれないのだが。


 このパンダとコアラの遊具から連想をしてしまうのが、GIGAスクール構想の「1人1台端末」である。
 端末の利用にはトラブルがつきものだ。実際に、いじめや長時間の利用による健康問題なども生じている。
 しかし、そうしたトラブルを回避するためとは言え、
「休み時間の端末利用は禁止」
「端末の持ち帰りはしない」
「新規アプリの利用は原則不可」
 などと制約だらけにしてしまっては、せっかくの端末を子どもの「主体的な学び」に生かすことは難しいだろう。
 固定遊具を撤去するのと同じで、子どもたちから様々な機会を奪っているとも言えるのだ。

 もっとも、子どもたちの発想は柔軟だから、様々な制約があるなかでも、大人が想像もしないような斬新な使い方を考え出すのかもしれない。いや、斬新というより「抜け道」と言ったほうがいいのかもしれないが。

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