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ステルスな友好性

苦手な人間と関わりたくない気持ちは誰しもあると思います。
それがエスカレートして、虐めと呼ばれる程にまで発展してしまう現象が私には少し分かる気がします。


■関わってくるタイプの嫌いな人
虐め、無視などと聞くと真っ先に想像されるのが、大人しく反抗しない人物をターゲットにする様ですが
私が無視したくなる人物はむしろ逆で
関わると様々な形でこちらを傷付けて来る人です。

・悪気があるのかギリギリのラインで馬鹿にしてくる
・喋る内容が全部こちらと比較して見下した発言である
・昨日は笑顔で挨拶してくれたのに、今日は無視したり怒鳴ってくるなど気分によって全く態度が違う人
などです。

こういう人達の1番厄介な点は、関わって来る点です。
関わって来ないでくれれば何の問題もありませんが
恐らく向こうもこちらの事を好きではないけれど、馬鹿にする要因として関わりたがる
そんな人物の事を指します。

正確に表現すると「無視をしたい」訳ではなく「関わりたくない」のです。
嫌いな人からは、嫌われて居たい
それだけの事なのです。


■嫌いな人間を嫌いな事を共通認識にしたい
私はその人の事が嫌い、でも親友のAさんは嫌いではない場合
嫌いな人の前でAさんと友好的に話をして、盛り上がると嫌いな人も入って来ようとします。
Aさんも私がその人を嫌いと知らないので入れてしまいます。

そうなると、その楽しい会話から弾き出されるのは私の方なのです。

Aさんが私の嫌いな人とどうしても話したいのであれば、仕方ないですが
そうでない場合は、先に話していた私が弾き出されるのは理不尽です。


■嫌いな人の前で楽しみたくない
私は嫌いな人の前では「楽しい」という感情を表したくないとすら思います。
弱みを見せたくないに近い感情ですが、ヘラヘラしている姿や優しくしている姿を見せると
「おいおい、お前私の前と親友Aさんの前では随分態度違うなぁー?」となり余計に面倒くさくなります。

それに、好きな人の前では楽しませてあげたい一心で失敗談を面白おかしく話したりしたいけど
嫌いな人はそれをすると、本気で馬鹿にして来ます。
それは悔しいし辛い。

だから嫌いな人の前では楽しみたくないし、他の人を楽しませたくもないのです。


■友好的=虐めやすい
一般的に友好的に感じられる性格というのは
優しい、温和、朗らか、親しみやすいなどですが、それは性格に於いては美徳ですが
人間関係に於いては弱みになり得ます。
虐めやすそう、抵抗しなさそう、従わせやすそうな人物でもあるという事です。

だから嫌いな人間の前ではその弱みになる要素を隠したい。
友好性は見せたい相手にだけ見せるステルス仕様でなければ危険なのです。

嫌いな人の前では友好性は隠したい
それ故に、嫌いである事を広めたい
自衛のための公言なのです。



ですが、ただの私個人の自衛だけで皆が特定の人物を無視するという虐めのような状況に発展するは
大抵この人物は私が嫌う前に嫌われて居るのです。

私はこういう場合「前に傷付けられる言葉を言われて以来苦手だから、出来るだけ話したくないんだ。だからあの人と貴方が話してる時は近寄らないけど気にしないでね」と伝えます。
そうなると「え?そうなの?私もあの人苦手だったの。いいよ、出来るだけ関わらないようにしよ!」となるのです。

それは想定外ですが、そこに関して果たして私の責任なのか疑問です。
これは私の持論ですが「嫌われる人物像」というのは、個人によってそこまで大きな差はないのでしょう。

もし自分が無視される側になったとしても、虐めの無視と自衛で避けられる事を混同して考えないように気を付けたいと思って居ます。