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ケア・マネージャーさん

 母が昨年十月から背中の骨の圧迫骨折をした。畳であおむけに転んだ際になったらしい。圧迫骨折をしたことでコルセットをしてしばらくは安静にしなければならないので、畳の生活はできない。慌てて、介護用電動ベッドとポータブルトイレを買いに行った。
 脊柱管狭窄症が八、九年前から出ていたので、以前からベッドでの生活は覚悟していたことだったが。風邪で寝込むことさえなかった人だが、この時は来た。
 背中に圧迫骨折をしたせいか、脊柱管狭窄症からくる足の痺れが強くなり、腰は動かしただけで痛いと言う。動くのが好きな人だけに笑顔がなくなった。病人らしい顔つきになった。 

 診ていただいている病院へは義兄が母をおんぶして車に乗せ、甥も付き添って診察に通った。

 社会福祉課へ行き、今後のことを相談すると、「まず、ケア・マネージャーを探して決めて下さい」と言われる。
 ケア・マネージャーというのは医療や介護関係者と私たちとの連絡を取ったり、様々な調整をしたりして在宅介護を手助けしてくれる人たちだそうだ。
「どうやってケア・マネージャーを探せばいいんですか」
「各支援事業所で聞いてもらったり、こちら(社会福祉課)の方に聞いていただいてもよろしいですよ」
 私と煩瑣に係る人だというから、これは重要事項。私とウマが合って優しい人だといいと思った。

 それでしばらくして、美容師をしている従妹に捜すのを手伝ってもらおうとひらめいた。今も昔も髪結い所は世間話のたまり場だからだ。
「いいよ。うちには、看護婦さんとか医療関係の人もよく来られるし、聞いてみるわ」気軽に従妹も引き受けてくれた。

 従妹に頼んでその後、一月ほど経って、浅田さんといって評判の人が見つかったと知らせが入った。急いでその日のうちにその方に連絡を取った。つまり、評判の人を直接指名してスカウトに行ったのだ。
 介護支援事業所に電話が繋がらないため、雪模様の日、事業所に駆け付け、本人を待った。
 会えなかったが、その日の夕方、本人から電話で「ありがとうございます。寒い中、待っていて下さったんですね。すみません。お引き受けします。ありがとうございます」という快い返事があった。

 それから実際、その浅田さんという方に会ってみると、やはり評判通りの優しい、明るい笑顔があふれんばかりの人だった。ああ、この仕事にぴったりの人だな、と思った。

 浅田さんは私より一歳だけ年下で、義理のご両親は認知症で施設にいらっしゃり、妹さんは病気で手術をされたばかりだそうだ。悪い出来事ばかり起きた年だったが、私のことで元気が出たのだと言われた。私が寒い日に事業所で彼女を待っていたりしたこと、自分が必要とされていたことがとてもうれしかったとおっしゃった。自分も大変な事情があるのに始終ニコニコされているのがすばらしいな、と感じた。

 母は介護認定され、これからは在宅で介護保険を利用させていただき、介護支援を受けることになる。訪問介護や訪問入浴、そのための診療状況提供書も病院のケースワーカーの方に事前に連絡していただいた。
 それからの母のことは全て何も気に病むことなく段取り良く進んだ。

 暮れの十二月二十八日、もう休みの日だというのに、浅田さんは一月からの介護スケジュール表を間に合わせて家に届けてくださった。

 そして先日、玄関先の手すりと廊下の手すりがついた。業者の連絡も手順良く進み、作業療法士さんも一緒に打ち合わせた。ちゃんと手すりの高さや長さも一つ一つ、本人の体や動線に合わせて調節して取り付けられた。
 これで、私が留守にしても、廊下に手すりがあるので母がトイレに行くとき心配がない。部屋のポータブルトイレは買ってはあるが、少し元気になったら、なるべく歩いて廊下のトイレに行った方が良い。玄関も階段の高さが気になっていたが、足を滑らせてコンクリートのたたきに転がり落ちる心配はもう、ないだろう。本当にありがたかった。

 ケア・マネージャーさんは医療や介護関係の方たちと私との連絡や調整を一手にしてくださる方なので「ケア・マネージャーさんがいい人だと全てがうまくいくけど、ケア・マネージャーさんがひどかったら、地獄やそうやよ」従妹が言っていた言葉を、心から実感した。

 次々と大変なことが続く一年だったが、浅田さんに出会えたことで帳消しになった気がする。女手は家に私一人で、ほとんどの介護が私にかかってくる現状で、彼女のようなケア・マネージャーの存在は得難く心強いのだ。話しているだけで心が癒される。

 「一隅を照らす」とはこのことなのか、母も私も家族も、大変な中にも幸せな思いに満ちた一年の幕開けとなった。

                                了

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