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梅干し漬け

 去年は梅干しを漬けなかったので、今年は市販の物で間に合わせたのだが、母が「買った梅干しはおいしなあて」「おかゆを食べるとき、梅干し食べたあなる」と言って、去年、我が家で漬けなかったことを繰り返し残念がった。
 梅干しは、体によいだけでなくお握りに欠かせないし、いろいろな料理の味付けにも使えて、確かに重宝な保存食だ。

 一昨年、私も初めて梅干し漬けを手伝ってみたことがあった。
 しかし、その行程の一つ、紫蘇揉みで、早くも音を上げてしまった。塩を振って、紫蘇の葉がくたくたになって朱い汁が出てくるまで紫蘇の葉を揉むのだが、それがいかに力がいるか、腰や体全体を使うか。
 私には母のようにはとても無理だった。朱い汁が出て来るまで揉みほぐしを繰り返すと、手の指や項がじーんと傷んで擦り切れそうな感じがした。毎年やってくれてはいたが、八十過ぎの腰痛持ちの母にはよくない作業だと思い、そういう訳で去年は梅干し作りを省かせてもらったのだった。

 だが今年は、梅を知人からたくさん頂いたこともあり、やっぱり我が家の梅干しがないと寂しい母は俄然、自分の出番とばかり張り切りだした。
 重労働の「紫蘇揉み」は、スーパーで揉んだ紫蘇があるのを私が発見したので、「こんないいものがあった」と買って帰って母と喜び合った。
 しかし、一週間くらい経ってから、母が言い出した。「買うた紫蘇の葉は、よう揉んでないし、堅い茎みたいもんが付いとるね。いい紫蘇の粉にならんわ」  
「でも、自分で揉むのは大変やから」
私がなだめると
「まあ、仕方ないわ。そやけど、やっぱり、もうちょっと揉んだ紫蘇、あった方がいいねえ。みんな紫蘇の粉好きやし、足らんわ。もう一袋買うて来て」
 それでスーパーを覗くと、もう紫蘇の葉は売り切れていて、紫蘇のエキスのような汁だけが残っていたので、それを代用に買って帰った。

 そうすると今度は知人から、紫蘇の葉がまだ別のスーパーで売っていたことを母は、聞き込んだらしい。「他のスーパーで売っとったがを買えばよかった。紫蘇の葉っぱが少ないと、紫蘇の粉ができんわ」と、また、こだわる、こだわる。
 梅干しの梅は、桃色の少し色づいた梅を使い、一旦塩漬けをしてから、揉んだ紫蘇の葉と一緒に何日か瓶に漬け込んでおく。やがて、紫蘇の葉のエキスが梅に染み込んだところで干しの作業となる。
「土用の丑の日から三日間天日に干して、三日目、夜露を取ってしまう」
昔から伝わる言い伝えがあるらしい。
 
 七月、土用の丑の日が来ると、朝日が照りつける頃から、地面に広げた簾の上に梅と紫蘇の葉を並べ、日中、日が照る間は干しておく。夕方になる前に梅と紫蘇の葉は取り込んで、そのまま、梅と紫蘇の葉が漬けてあった瓶に漬け込む。次の晴れた日に再び、梅と紫蘇の葉を瓶から取り出して、天日に干す。
 これを三回繰り返し、三回目には日が暮れて涼しくなるまで干して、夕方過ぎの湿り気を取ってから片付ける。
 湿り気を取るのは、母が言うには、梅干しの皮を柔らかくするためだという。この干しの作業は、かんかん照りの一年でも陽射しの強い日にしなければならない。

 広げた簾の上に梅を並べると、ぷうんと香りがして、夏らしい、いい香りだ。
 庭の一角に群れ咲いていた紫陽花や白百合は咲き終わり、片隅には白薔薇と桔梗が咲き始めている。
 既に朝の陽射しが庭の片面にくっきりと影をつけていて、梅雨の空気を連れ去った風が草の匂いを運んで吹き通り、夏の燃えるような一日を予感させた。
 簾の上に梅を干すのは、風通しをよくするためとか。そして、日に干すことで殺菌効果と、梅の朱い色を鮮やかにする効果があるのだとか。(昔の人には本当に知恵と工夫があったんだな)
 今年は家族に思う存分、梅干しを食べさせられる。嫁に行った姪にもたくさん梅干しを持たせられるだろう。
 母が、痛い腰を擦(さす)りながら満足そうだ。
 
 その日から、再び干せる日をうかがっていたのだが、七月の終わりというのに、天気はまるで梅雨の季節を引きずったまま、その後、曇り空と送り梅雨のような激しい雨に見舞われる日が続いた。
 八月一日。新聞の天気予報欄を見る。
「日本海に前線が伸びる。県内の一日は朝から雲に覆われ、すっきりしない天気となる。夕方からは広く本降りの雨となり、雷を伴う所も。急に強まる雨や落雷、突風に注意が必要」
 しょうがない、今日はそれでも天気が保つまで干そうか、と母と話し、これで二回目の梅を干すことにした。

 そして八月三日。待っていた太陽が朝から久しぶりに晴れやかな顔を出し、快晴の一日を予感させた。時期的に雨もそろそろ収まり、本格的な夏本番がやって来る頃だ。
 このまま天気がもってくれることを願いながら、三回目の梅を干した。夕方過ぎまで干して、最後に日暮れ時の湿り気を取ってから、梅干しを瓶に漬け込んだ。

 その日の午後四時頃、姪から、仕事が遅くなるので保育園へ子供を迎えに行ってほしいと連絡があった。姪は仕事があるので保育園が終わってからの時間、保育園の近くにある我が家で子どもを預かっている。 
 田んぼの中の農道をひた走り、保育園へと向かう。まだ昼間の明るさが残る陽射しの中で、のびやかに前方へ広がる田んぼの風景に視界が広がる。
 農道の両側には、道の高さより高く、緑濃い稲の葉が一斉に背丈を伸ばしている。長雨とその合間の日光に、ぐんと身の丈を伸ばしたのだろう。生命(いのち)あふれる青葉が、どこまでも吹き渡る風に揺すられながら光を浴びて煌めいている。

 四歳になる姪の娘を保育園に迎えに行くと、ゆきちゃんは黙って教室から帰り支度をして出てきた。
 ごくまれに「(私より)ママの迎えがよかった」というが、今日は大丈夫のようだ。ママは来たくても仕事が忙しいから……。
 この間は、仕事に出かけたママに側にいてほしくて、玄関のコンクリートに腹ばいになって泣き叫んでダダをこねたことがあったが。
 ゆきちゃんを車に乗せて、帰り道、窓から風にたなびく稲の葉を見せる。こちら側の稲田は稲の茎から少し顔を出した穂に、小さな花が咲き始めている。

「ゆきちゃん、見てみて。きれいやね。これがもう少し大きくなったら、お米がなるよ」
「これに、お米入っとるが?」
「うん。少しずつお米の実が育っているよ」
「みんなで食べるから、たくさんお米いるよ」
「そうやね、みんなで食べるもんね。みんなお米食べて生きとるから、たくさんお米作らんなんね」
「お米、チョウだいじやよ。みんなお米食べとるから」
「お米ができたら、ゆきちゃんの好きなお握りも作れるね」
「ゆきちゃん、お握り好きやよ」

 この子は、梅干しはまだきっと食べたことがないだろう。でもおもしろいことに、甘い物が嫌いで酸っぱい果物や漬け物が好きだから梅干しも、もしかしたら好きかもしれない。
 来年は、私と母の漬けた梅干しを食べるかな。
 明日も、きっと晴れて、暑い一日になりそうだ。
                     了

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