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愛してるぜ、船橋。よろしくね、東京。

 雑踏。「あ」と目を見るmy fire, くすぶるわたしを離さないでくれ。



焼肉屋さんフォーエバー

 いつまで私は、焼肉屋でバイトをしてるんだ。辞められるものなら、辞めてみたい。

 色々あって忙しかったので、七月はほとんどバイトに出られなかった。久しく出ていない間に、色々とメニューやルールが変わってしまって、仕事についていけないし、もうバイトがあまり楽しくない。

 もともと、バイトなんてものはクソほども楽しくないのだが、以前までのこの焼肉屋は、本当に楽しかった。みんな良い人で仲も良かったし、陰気な私を邪険にすることなく受け入れてくれた。私が学生時代に経験できなかった青春が、確かにここにはあった。

 時の流れは残酷だ。仲の良かった友人たちが、どんどん辞めてゆく。新しく来た社員が性格に難、大ありなので、皆が辞めてゆくこと自体は仕方ないのだが、新しく入ってくる人たちが知らない人だらけで、話すこともなくて楽しくない。

 私が休んでいる間に、七人くらい新しい女の子が入ってきた。まず採用担当の社員に対して、男も取れよ、と思うし、一気に取りすぎだろ、とも思う。

 彼女たちが、みんないい子なのは、間違いない。しかし、四つも五つも年下の彼女たちが、キャッキャと楽しそうに話しているのを見ると、もう私は辞めるべきなのだな、と強く感じる。

 というより、辞めないほうがおかしい。店全体が、二十三歳のフリーターが居て許される雰囲気ではない、もう潮時なのが身に染みてわかる。

 辞めるのは構わないのだが、次のアルバイト先がそう簡単に見つかるものでもない。私はもう、時給千三百五拾円くらいくれたら、それでいいのだ。東京なんだし、そんなに難しい条件を言ってるかな、と思ってしまう。

 人一人を一時間も雇うのに、千三百五拾円くらい出せないわけがないだろう。頼むから新しい環境に飛び込みたい!労働はなんのためにあるんだ!

 余談。苦手な社員の口癖が、飲食業は声を大きくネ❗️なのだが、先日、その社員に名指しで、「◯◯という従業員の声がうるさすぎて、食事に集中できない」というクレームが入ったらしい。お笑いのセンスがある。




『タタール人の砂漠』

 時間があったので、久しぶりに、丸一日ぶっ通しで読書をした。もちろん、ぶっ通しと言っても休憩を挟んでである。

 まず、最近の私が行っていた「読書」とは、電車の移動や、待合室で時間を過ごすための、暇つぶしでしかなかった。読み慣れた本を繰り返し読んだり、新しいものを読んでも、内容が深く脳裏に刻まれることは少なかった。

 しかし、この本は面白かった。家に閉じこもって、腕が痺れたり、翳りゆく部屋に明かりを灯すために立ち上がったり、カーテンを閉じたりと、読書をしている、という実感が強くあった。それだけ、魅力的な作品だった。


 以下、ブッツァーティの『タタール人の砂漠』のネタバレを含む。諸君、くれぐれも目には注意されたし。


 まず、読もうとした理由なのだが、例にも漏れず、森見登美彦と万城目学が当書を面白いと思ったという話を聞いて、私もこの本を手に取るに至った。

 読み始めた当初は、険しい山脈や寂幕とした砦の描写を読み込むことに必死になっていた。読書自体が久しぶりで、一冊読み切ろうなんて思ってもいなかった為である。

 また、初めは、章を読み終わるごとに休憩を取っていた。まるで読むことが義務のようだった。しかし、読み進めているうちに、時間を気にせずにページを進めていることに気がついた。間違いない。この本は、面白い。

 主人公である将校・ドローゴは、士官学校を出て直ぐに、辺境であるバスティアーニ砦に配属された。砦に到着したドローゴは、その辺鄙で荒漠とした環境に絶望し、すぐに山を降りることを希望するも、のらりくらりとかわされて、四ヶ月間、砦に滞在することになる。

 この四ヶ月というのが、面白いと思った。砦の上官は、山から降りる理由を「病気」にすれば、ドローゴの経歴に傷がつかずに済む、その代わりに四ヶ月ほど時間がかかる、と彼に伝えた。

 ドローゴは当然、四ヶ月耐えれば街に戻れる、と息巻いていたが、砦から見えるどこまでも続く砂漠と、その先にタタール人が潜んでいるという噂を聞いて、辺境を守る職務に興味が湧いてくる。

 四ヶ月が経ち、ドローゴは医師にカルテを破り捨てるように告げて、砦に残る決断をした。明記されてはないが、この時点では、若さもあり、将校として、人生の中で何かを成し遂げたい、異国の敵と戦をする経験を得たかったのではないか、と思った。

 ところが、待てど暮らせど、タタール人はやってこない。時の流れの中で、砂漠に不穏な動きは幾つか見受けられた。しかし、どれも勘違いや砦に影響の無いもので、ドローゴはいたずらに時間を費やしていくだけであった。

 この辺りから、作品の面白さに拍車が掛かる。それまでは(恐らく)、純粋な砂漠への興味や、将校としての名誉のために、砦に残り続けていたドローゴだが、歳を重ねるにつれて、「これまで砦で過ごした日々が無駄になるから、タタール人の襲来の前に今さら砦から離れられない」という気持ちに追われるようになってしまった、のではないか、と見受けられる描写が増える。

 その境界が曖昧に描かれているので、本当に読者がドローゴの気持ちになったように文章が読める。誰の人生にも起こりうるような、物事をこなしているうちに手段と目的が入れ替わってしまったような、自分の費やしてきた時間を美化したい人間の哀しさが巧みに描写されている、と思った。

 こんなにも、主人公に、戦に巻き込まれて死んでくれ、頼むから敵に撃たれて死んでくれ、死んでくれ、死んでくれ、と心から願った文章は初めてだった。ドローゴの最期は、ここに私の手で安易に記すのは失礼だ。ぜひ、皆さんの目で読んでいただきたい。




愛してるぜ、船橋。よろしくね、東京。

 引っ越しました。東京に、引っ越してしまいました。未だに実感が湧きませんが、私は既に東京都民らしいです。

 二十二年と半年のあいだ過ごしてきた、愛すべき地元・船橋を去りました。当日は色々とやるべきことがあって、地元との別れに際して、何もできなかったのが悔やまれる。駅の看板の「船橋」の写真でも、撮ってくればよかったなあ。

 もう、最寄駅で電車のドアが開いても、東京湾の潮の香りがすることはありません。東京の、灰色の街の、賑やかで寂しげな匂いがするだけです。

 なに、電車で一本で帰れるのです。乗り換えなしで、一時間ほど電車に揺られていれば、船橋には帰れるのです。それくらいの距離なのです。

 まさか、海外に転勤になったわけでもあるまいし、と自分を鼓舞しているのですが、それでもいきなり地元を離れることになったのは、やはり寂しい。

 今は、何をするのも楽しみです。夏の暑さも伴って、未来が来るのが楽しみだ。知らないことだらけで、好奇心の赴くままに生きることができる。

 どこの街角を曲がっても、知らない通りが続いています。知らないアパートが並んでいます。知らないスーパーに入り込んで、他のスーパーと値段を比べて、にこにこします。

 知らない銭湯の場所をチェックして、知らない定食屋の定休日をメモします。知らない人たちとすれ違って、知らないレイアウトのコンビニで涼みます。にこにこします。にこにこしています、が。

 もう当分は、夜中に起きて北習家のラーメンを食べに行くことはない。夜中にドライブをして、九十九里浜を眺めながら軽自動車で走ることはない。富津まで車を走らせることはない、館山に行くことはない。

 津田沼の丸善で本を選ぶことはない。銀色に輝く、谷津干潟の夕暮れを眺めることはない。北習志野のうっとりの、カウンターに座って酒を飲むことはない。船橋港親水公園で、名前の知らない野良猫を可愛がることはない。

 私は千葉が好きで、船橋が好きだ。本音を言えば、いつまでも船橋に居たい。もしも願いが叶うのならば、いつまでも、いつまでもコールタールのような、真っ黒な東京湾を眺めていたい。

 それでも頑張らないといけない。東京は酷く広く遠く居心地がいい。電車も腐るほど走ってるし、全てが華やかだ。なあ、たまには八千代緑ヶ丘のイオンまで自転車で行こうぜ。そうだよな、それでいいよな。愛してるぜ、船橋。よろしくね、東京。

 




小林優希

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