大学生の日常は大切じゃなかったみたい。
じんわりと人生が終わりに向かっている。
それは歳をとって寿命が短くなっているという意味ではなく、ゆるやかに崩壊へと向かっている、という意味なのです。
大学四年生の六月ですが、何もしていません。日々、つらい現実から逃げることだけを求めていて、どうしたら苦しまずに眠れるのかを考えています。
周りは少し前までは、同じ髪型で、同じ目をして、就活、就活、就活、だったんですけど、最近はもはや就活が終わったのか、それすら聞こえてこなくなりました。あぁ、死にたい。
今は、“大学生”という防護服が私を守ってくれています。いまなにしてるの、なんて聞いてくる人がいても、「ァ、大学生ッス」と返せば、私を、この世に生きていていい人間、と判断したのか、そのまま優しく話し続けてくれます。
気まぐれに「フリーターです」なんて嘘をつけば、そんな人たちは「夢を追ってるんだね!」なんて理由付けをして、自分の中で私を型にはめ込んで納得しようと、必死になるのです。
もし「何もしてないです」と言おうものなら、そんな人たちは怪訝そうな顔つきになって、え、仕事は、学校は、行ってないの、なにしてんの、どうして、なに考えてんの、将来どうすんの、なんて抜かしやがってくるのです。死ね。
そんな防護服も、順調にいけば今年度いっぱいでおさらばとなります。脱がなければならなくなるのです。今年度中に、未だほとんど手をつけていない卒論を書いて、まだ10単位以上残っている卒業単位を取れば、晴れて私は大卒の肩書きを得て、春からフリーター(無職?)になるのです。
人生が終わっていくのが分かります。
突然ですが恋人がいます、これは惚気ではありません。恋人は良い人なのです。とても良い人で、私のことを好いてくれているのも身に染みて分かります。それでも、私は上記の通りどうしようもないダメ人間なので、一緒にいても、こんな私と付き合うなんて、恋人の貴重な若いときの時間を奪って申し訳ない、と思ってしまうのです。もっと良い人がいる、と言ってしまったら、私が都合よく別れようとしているように思えるでしょうが、なんというか、間違いなく、もっと良い人がいるのです。別れたくはないのですが、こんな私に付き合わせて申し訳ない、と思い続けていることも、申し訳ないと思っています。
ダメなんです、私はどうしようもない人間だ。教師になりたくて大学に入ったのに、辛くなって教職課程を辞めてしまった。ご時世のせいで、オンライン授業という名のニート生活を送るのに、両親に年間100万円以上払わせてしまった。
それでいて、卒業単位が危うい?卒論を書いていない?両親は、笑わせるのもいい加減にしてほしいと思っていることでしょう。
高校時代の演劇部で体験した舞台に立つ楽しさを、21になった今でも追い求めている。それはちやほやされたい、という感情に似ています。私は、友達が、数えるほどしかいません。大学にも話せる人が数人しかいません。「孤独」が骨の中心まで染み込んでいます、脳のシワの一つ一つにまでこびりついています。
舞台に立つのは楽しいのですが、それはとても怖いことでもあるのです。セリフが飛んだらどうしよう、とか、狙ったところでウケなかったらどうしましょう、とか、そんなことを考えているのです。もう舞台に立つ予定もないのに。
この前、大学の健康診断で引っかかって、大きめの病院に再検査をしに行きました。結果はまぁ、何事もなかったのですが、その引っかかったという知らせを初めて聞いたときに、「あぁ、結局そういう貧乏くじを引くのは俺なんだよな」、などと思ってしまいました。死にたいと散々言っていたくせに、いざ死が目の前に見えると、死にたくない、と思ってしまったのです。
TikTokとか、あるじゃないですか。マジで同世代の人たちってほとんどやってますね、あれ。私は何となく好きじゃないな、という感情を抱いているのでインストールしたことはないのですが、なんというか、エンタメを享受するのはTikTok、連絡を取り合うのはInstagramのDM、みたいな構図が同世代の中で確立されてしまったような気がするんですよね。
なんか、違うんですよ。全てが、違うんです。言葉にすれば、争いになることは目に見えているので何も言いませんが、そういう人になりたくない、というプライドの高さが、人生の邪魔をすることがあるのです。
高校生だった頃が、つい数ヶ月前のことのように思える。大学一年生の記憶が、つい数週間前のことに感じる。2020年の記憶がほとんど無い。そりゃあ思い出が何も無いんだから、記憶も残っているはずがない。2021年は本当に秒で過ぎ去っていった。なんとかきしょきしょウイルスのせいで成人式が中止になったから、バイト先の後輩たちの成人式トークの時にへらへらしていることしかできない。マスクをしないで生活していた頃の価値観が分からない。
大学一年生終わった長かった〜、なんて話していたら、気づいたら四年生にさせられていた。あれ、おかしいな。キャンパスライフを奪われたのに、就活を始めろと言われた。書きたくないのに卒論を書けと言われた。
2020年は、とにかくめちゃくちゃ歩きまくっていた。深夜にやるせなくなって、死にたい気持ちを抱えて海まで二時間歩いた。大学には一度も行けなかった2020年度、go toで旅行に行った回数の方が多い。そもそもgo toってなんだ。使わなかったほうがなんか、社会への抗議っぽく映ったんじゃないか。
大学生の日常は大切じゃなかったみたい。2021年度も、ほとんど変わらない。大学に行けない私が観るオリンピック、ガラガラのスタンドに突き刺さるホームラン。吊し上げられて石を投げつけられる小林賢太郎。夏、教職の授業だけは対面だった、本気で教師になりたい周りと温度差を感じてつらかった。
朝方に授業案の課題を終わらせて、同時に「あ、辞めよう」と思って、辞めてしまった。21歳、真夏の大冒険。
2022年になった。全てが対面授業になった。四年生なのに、キャンパスのどこに何号館があるのかいまいち把握してない。大学近辺のご飯屋を知らない。新入生はキャンパスライフを待ち望んでいたのか、明るい表情で明るい髪色。私はずっと、常に心が暗い。数少ない友達と遊んで楽しんでも、部屋で一人になると暗い。リルケの詩集を読む。分からないけど分かった気になる。駅で電車を待っていると、ホームの後ろの柱とかを掴んでいる。一番前で行儀良く並んで待っていたら、衝動的に飛び込んでしまいそうだからである。
こんなジメジメしたことを言っていたら、人が離れていくということも分かる。それでも書かずにはいられない。もう、長いこと、ずっとつらい。助けてほしいけど、もう何もしたくもない。どうしたらいいんだ。誰が助けてくれるのだ。誰もいないのだ、自分を助けられるのは自分しかいないのだ。
小林優希
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