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盛岡ゲイの私がPC開いてたあのスタバは「畑」だった。そこで耕した野菜を、漬物にして私は生きている

盛岡のあのスタバは、孤独で行き場の無いゲイの私にとって、「畑」のような存在だった。

あそこで耕した茄子やきゅうりのようなブログ記事を漬物にして、今、食べているような感覚だ。

こうして記事を毎週のように書く「#日々の大切な習慣」が、身についたような場所とも言える。

元々私は、東京にある企業に就職したかった。しかし新卒就活は思い通りにいかず、いろんな地に転勤がある会社で働き、新卒から数年間は岩手にいた。

苦しかった。周りに友達もいなくて孤独だし、不定休で友達と予定が合わないし、仕事は夜遅くまで続くし、毎日毎日すごい怒られるし。自分以外の同僚は全員「敵」に見えていた。毎日「ああ、仙台に帰りたい…」「学生時代に戻りたい…」といつも思っていた。(鍛えられた部分もあったし、もっと前向きに捉えられればよかったが)

そんな盛岡で、私の居場所が、スターバックス盛岡菜園店だった。近くに盛岡を代表する百貨店がある市街地エリア。ここによく通っていて、ここが私にとっての畑のような、のびのびとできる場所だった

ここにいて、なんかMacbookを開いていれば、形だけ、なんかこの閉塞感から抜け出せると思ったのかもしれない。ここの席で、転職情報サイトを開いたりとか、まだPixivであんさんぶるスターズの2次創作BL小説を書いていたし、当時、ほとんど誰にも読まれていなかったブログを書いたりとかしていた。


その当時、新卒で入った会社では「書く」仕事ができるはずだったが、私が任されたのは書く仕事ではなかった。同期はどんどん書きまくっているのに、私は何もできない。でもなんか書きたいと幼児が地団駄を踏むように、悪あがきのように、駄文を書いていた気がする。


(※だから、140字以上のゲイ(ブログ版)はこのスタバから始まったと言っても過言ではない。スターバックス盛岡菜園店へ是非お越しください。リスナーの皆様、ブログ読者の皆様、ぜひ)


ちなみに当時、家とかスタバとかいろんなところで書いていたのは以下のような青臭い、よくわからない駄文記事ばかりだった。今読むと恥ずかしいけれど、なんかハイペースで書いてる。。。

「いとこがデキ婚した」は本当に酷い話


つまり、ここの畑で、私はいろんな駄文記事という名の野菜をなんやかんや耕していて、そこで生まれた駄文を「漬物」にしてしまって、熟成させて、今のポッドキャストの元になっているのかもしれない。



思い出話をしたい。ここのスタバではいろんなことが起きた。女友達の恋愛相談を聞いたりしたし、誰か男とのリアルの待ち合わせに使ったりもした。あまり会社に馴染めていない、職場のイケメン先輩とコーヒーを飲んで、会社の愚痴を言ったりしたーーー。

ちょびっと怪しいかもしれないような客もいて、男女2人組が、なんだか気弱そうな青年に対して「絶対、この???は成功するからね」と何かに誘うようなことをしているのを、見たり聞いたりした。

ほんとうに多種多様だった、そんないろんな思い出が詰まっている。ホットのほうじ茶ラテを飲んだりして、大学時代から使っていたMacbook proを愛用していた。

ーーーーーでもね、そんなことよりも、あの、一個だけ、当時の自分に何か言えるとしたら、

アンタ、そこでブログ書くのもいいけど、そこの近くのエニタイムで筋トレしておいた方が、ええで!!!結局その後、なんやかんやそっちの方が大事になるで!!

なんですけれども。

でも、そこで「誰かとつながりたい」という思いでブログを続けていたから、なんやかんやいろんな人に興味を持ってもらうきっかけになったり、ポッドキャストを展開していく原動力になったり。

スタバという名のこの畑で、私はいろんな駄文記事という名の野菜をなんやかんや耕していた。そこで生まれた駄文を漬物にして、熟成させて、今のポッドキャストをやっているので、お好きなところから聞いてみてください


おやすみなさい。



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