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#8 曲を作るということ①

今週の #なかじのじかん 、始めます。

先週のnoteでは「Around」という別の曲を公開したことにも触れました。
が、今回はもう一曲公開した曲について触れていきます。

まず、僕の曲を作るペースはそこそこ早いです。
ただ、所謂プロフェッショナルとして、作曲で食べてる人達に比べれば、ちんけな趣味に過ぎないと見なされても仕方ありません。それは重々承知です。
曲が出来ない、とか、出来ても形にするまでに時間がかかったりということは今まで作ってきた上で記憶になく、いつでもレコーディング待ちの曲たちが控えている状態。これに関しては今はストレスはありません。因みにこれを書いている今日も午前中に3曲ほど書きました。

で。
前回の「Around」とほぼ同時に出来たのが、今回の曲、「MABOROSHI」です。
この曲は、今いる自分のもう一人の自分がいて、その自分は今いる自分が客観的に見たり、はた自分が何かをするときに逆に見られている存在。一言で言えば<鏡の自分>ですね。
そんな自分と自分は互いに助け合っている存在なんだと、詩の中の主人公は最後に気付くというストーリーになっています。
主人公は僕かもしれないし、これを読んでくれているありがたき存在のあなたかもしれません。そんな詩です。

そもそも何故、曲を作るのか。

僕個人としては、何故曲を作り続けているのか。

何故、音楽なのか。

ということですね。

ぼんやりとしか総なめしてないんですが、18歳ぐらいまでにあらゆるジャンルの曲をとにかく聴きまくっていた当時。それこそ好き嫌いという区別なく、何もかも新しい出会いで音楽を聴くことにハマっていたんです。
その時期が2年くらい続いて、ふとある日に、止まりました。

音楽を聴くことに飽きが生じました。

あれ?どうしようと。

飽きたけど、音楽は大好きでもっと新しい音と出会いたい。

この辺りで自分の好みのアーティスト、ルーティンのアーティストももちろんいたし、それは聴くけど何か物足りない。あとこうもう1つ刺激が欲しいと。

そこで思ったことが、

<自分で聴きたい曲を作ればいい>

という発想でした。

とは言え、曲を作るにも楽器やツールなんかうちにはない。親も音楽にさほど興味がなく、CDデッキすらないという状況。(色んな音楽はラジオで聴いていた。深夜のラジオは様々な曲が流れていたので、今日はこのチャンネル、明日はあのチャンネルみたいにランダムで聴いていた。もちろん親は聴いていたのは知らず、布団に潜ってから聴いていた)

じゃあどうしたか。

これは本当に幸いなことだったけど、、地元の中学時代の友達と数人つるんでいた一人が最近ギターをやり始めたというグッドタイミングな話を聞き、すぐに彼の家に入り浸る様になっていく。
彼のお父さんも知っていたけど、(参観日か何かで顔を合わせたことがあった)まさかそのお父さんがジャズベース(ジャズを好んで聴いている方だった)をやっていて、アンプもある。そしてなんと、昼間なら多少うちで音出していいよの了解を得るというミラクルが続いたんです。

もう、音楽やれと言わんばかりの環境が整っていった…

と。

この続きは(タイトルの結論も出てないのに)、年明けのnoteに書きます。すいません🙏

見てくれた方、ありがとうございます。

来年も思ったこと書いていくので、
よろしくお願いいたします☺️

新曲「MABOROSHI」のリンク貼っておきます。
もし興味ありましたら聴いてくださいね!

YouTube→https://youtu.be/GMmA_0Jqz0A

soundcloud→https://soundcloud.com/jjxbfa0ltiuo/maboroshi

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