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【空・風・明・鳴】感想走り書き

(※ネタバレありの感想です)

幽谷霧子の新規P-SSR【空・風・明・鳴】について感じたこと考えたことについて、なるべく簡潔にまとめました。

一言で表すと今回は霧子(及びP)の成長と自立がテーマになった話だったのではないかと感じています。


『転ぶ』ことについて

公園で子供が転ぶ場面に出くわす一番目のコミュやガシャ演出になっているシーンなど、今回は一貫して『転ぶ』がキーワードとなっています。

これはおそらくシンプルに失敗したり傷付いたりすることの喩えであり、物語全体が『転ばぬ先の杖』的な考えをしてきた霧子とそれを助長してきたPの姿勢を問う形になっていることを示しています。

転ばされるような事例とは具体的に何を指すのかについては後述するとして、まず重要なのはこのコミュ全体の中で靴底を擦り減らし一番派手に転んでる人物は演出からも分かる通りPだという点です。

ミニキャラのモーションも『霧子の方が』道に迷っているPをスマホ越しに心配するシーンのものとなっている

過去のコミュにおいても段々と霧子よりPの方が過保護で心配性になってきているように感じられる描写が何度かありましたが、今回は完全に霧子の方が転んだPを助け起こす構図になっており、霧子が既に出会った頃よりずっと成長しているという事実を端的に表しているといえます。

受容と選択

二つ目のコミュにて、あまり霧子のイメージにそぐわないとPが難色を示すようなテレビ番組からのオファーが舞い込んできます。

仕事の内容については作中で具体的な言及が一切なく、公式四コマで激辛焼きそばを食べるリアクション芸に挑戦させられているような描写をされるに留まっています。

お遊び要素が多めな四コマの内容を作中描写と繋げてしまっていいのか判断に迷うところですが、実装と同時に公開された公式媒体である以上そうしたウケ狙いで馬鹿馬鹿しいことをするようなバラエティ番組か何かだったのだろうというふうに考えてよさそうです。

最終的にTrue EndでPも霧子も放送を楽しみにしているので実際はそれほど深刻ではない軽く笑い飛ばせる程度の内容だったのだと思われますが、Pの方は無意識にネガティブな影響を気にしすぎていたせいか精神的にも物理的にも視野が狭まって道の真ん中で転んでしまい、霧子に助けられる演出のシーンへ繋がることになります。

霧子の側は多くの人に楽しんでもらえる機会だと前向きに捉えているので、Pの側も心配するだけでなく背中を押してあげようとポジティブに捉え直す話として読める

アイドルという仕事は衆目に晒される性質上本人にとって有害な干渉が付き纏うもので、悪徳記者もいれば偏向的なテレビ局スタッフもいるし、アイドルたちの人格を都合の良い対象として消費しようとする身勝手な世間の目もあります。 

時には霧子にもそうした所からオファーなどが舞い込むことも考えられるため、それらを見定めて退けるのもPの大事な役割です。

とはいえ過保護に何もかもを遠ざけるだけでは霧子にアイドルという仕事自体させられなくなってしまいますし、仮に霧子が医師など別の道に進んでいたとしても医療ミスなどを恐れて彼女には何もさせられないということになってしまいます。

そのような問題を解決する上で必要となるのは周囲の援助だけでなく何より本人の適切な精神的自立であり、そうした部分が今回のコミュにおける主題になっていると考えられます。

バウンダリー

今回のガシャタイトル『風至る無彩色たちのバウンダリー』の中の『バウンダリー』という単語は、心理学用語として心の境界線・個人の境界線などと訳されるもので、外から受ける影響が自分にとって良いか悪いか適切に判断して線引きする能力のことです。

バウンダリーの獲得は健全な人格の成長に重要なことで、そこに過不足があると他者に対して求めてよい・応じてよい要求の許容範囲が分からず依存や支配などの不適切な対人関係に陥ってしまいかねません。

今回のコミュの内容はまさにそのバウンダリーが求められている事例であり、そこにまつわる人格的成長が霧子とPにとっての課題になっていることが示されています。

心配性が過ぎるあまり怪我をする前から包帯を巻いて絆創膏を貼って不安を遠ざけていたような霧子にとって、人格的な成長とはどのような形になるのでしょうか。

それはきっと霧子自身が良いことも悪いこともしっかり見定めた上で物事を受け入れたり受け流したりしながら、自分で自分を守っていけるようになることです。

つやつやなきりこのおでこ

イラストや演出が絆創膏を貼っていない霧子の額を際立たせるような構図になっているのも、霧子にとって不安や悲観を隠す象徴でもあった絆創膏に依存しなくても適切なバウンダリーを引けるようになったことを強調しているのだと思われます。

だからといって包帯や絆創膏に託してきた霧子の自己表現や想いが成長のために捨て去られるべきだという話ではないと思うので、その辺りについてはまた今後の物語の中で昇華されてゆくことを期待したいです

ではなぜ今このタイミングで貴重な月末限定の機会を使ってまでこのようなコミュを持ってきたのか考えてみると、今年の一月ファミ通に掲載されたシャニマスのスタッフインタビュー記事でシナリオチームの橋元さんが仰っていたことを鑑みれば何となく意図が察せられる気がしてきます。

https://www.famitsu.com/news/202301/27290030.html

プロデュースというのは、すぐには形にならないものだったり、1歩進んだようで、1歩も2歩も下がってしまうような局面が出てくるものでもあるかと思います。行ったり戻ったり、行きすぎたり何も変わらなかったりという時間を経て、彼女たちは少しずつ成熟していくのでしょうし、そこは私たち自身と同じでもありますよね。

 そして他方、彼女たちのことを考えれば考えるほど、そもそも成長ってなんなのか、その勝手な定義を私たちは人に強いることができるのか、という問いに挟まれることにもなるかと思います。

記事中より引用

記事の最後に語られていたのはアイドルたちの成長に関する話題で、つまるところアイドルたちをきちんと独立した他者として尊重した上で成長する姿を慎重に描いてゆきたいというお話をされています。

『空・風・明・鳴』もおそらくそうした制作側の意向が反映されており、幽谷霧子が現実的に成長しこの先も自立した一人の人間として存在してゆけるようになるにはどうすればいいのか、真摯に考えた結論の一つとして提示された物語なのだろうと思われます。

あまり明るくない話をすると、霧子は今回のコミュの中だけでなくこちら側の現実におけるキャラクターとしても、穏和で善良な本人の人間性とギャップを持たせて笑い者にするようないわゆる風評被害にずっと傷付けられ続けている存在です。

世間の二次創作やネットミームのようなものや、場合によっては公式側の宣伝などもそれを助長している面があり、正直に言って霧子の扱いに関してはほとんど中傷やネガキャン同然のものも多くまともに応援してきた人ほど嫌な思いをするようなことばかりでした。

いずれの次元の話にせよ、直面している問題に対して本人が明るく大丈夫だと言ってるんだから大丈夫なんだということにして片付けてしまうのは見方次第では周りの責任逃れであるようにも思えてしまいますが、現実的に人生の困難に立ち向かって生きてゆくためには当人にも外部からの影響を何事もなく躱して受け流せるくらいの強かさを持っていてもらう必要があるというのもまた否定できないことです。

降りかかる雨水を徒に被ることを良しとするわけでもなく存在を拒絶するわけでもなく穏やかに受け流せるところに霧子の人間性が表れているのかもしれない

それを考えると、幽谷霧子の成長を示すためには、あるいは霧子や霧子の幸せを願ってきた人間が自力で悪意を退ける能力を持たず外界から不当な干渉があれば脅かされてしまう犠牲者でしかなかったということにされないためには、どこかしらで今回のように『霧子自身がきちんと自分に及ぶ物事の良し悪しを判断して乗り越えられるからそこまで心配しなくても大丈夫だよ』という主旨のエピソードが描かれる必要性があったのだろうと思います。

全体的に行間が省かれているような部分が多く分かりづらい面もありますが、今回のコミュもまたLP編の最後で語られていたような外からの理不尽な意思に負けず霧子は霧子の望むようにあってほしいというテーマの延長を、生み出した側なりに誠意を以て描こうとしてくれた話なのだろうと私としては解釈しています。

(一方それはそれとして、昨年の咲耶さんのサポカ送りも含めソシャゲでは花形の一つでありキャンペーンにも銘打ってるブライダルテーマを霧子やアンティーカの子たちには真っ当に楽しめるような形で回してもらえなかったという点については消費者から不満が出てもおかしくない気はします)。

更新初日感情の置きどころがよく分からなくなってる淵寂涅音とかいう厄介オタクのツイート

率直に言うと今回のコミュは比較的文章量が少なく(これは最近実装された他の子たちのPコミュにも感じるのでプロジェクト全体の経費削減などによりテキスト上限が減らされているのではないかと若干不安に思ってしまう面もあるのですが)、霧子の感性に寄り添った詩的な描写なども控え目でエンタメ性が薄いため、霧子のエピソードの中で他を差し置いて特にこれが一番良いと言う人はあまりいないような内容かもしれません。

期待されていたような季節テーマをわざわざ外しているのでそもそも引かないか読んでもよく分からなかったで終わってしまう人も多いかもしれませんし、相対的に四コマの激辛焼きそばチャレンジのインパクトだけが目立ってまた本人を置き去りにしたところでネタにされるような部分しか残らないのではないかという気もしてしまいます。

だけどこの話の一番肝心な部分は、True Endの最後に靴を直したPと霧子が一緒に自分たちの居場所へ笑顔で帰って行けたというところなのだと思います。

True Endの冒頭、事務所への帰り道に霧子とPは帰宅ラッシュの人混みに巻き込まれてしまいます。

同じく雑踏に交じるシーンがある『包・帯・組・曲』では人混みに流されるばかりだったが、今回はさらりと抜け出せるように変わっている

今やアイドルとしての幽谷霧子の存在も世間で大きなものとなっていて、道行く人々の中にももしかするとこれから画面越しに霧子を見に行く人たちがいるのかもしれないとPは考えます。

そこにあるのは暖かなファンの想いかもしれないし、もしかしたらLP編で描かれたように、あるいは現実のネット上に溢れる言葉などのように、霧子に好奇の目や身勝手な願望を投影しようとするような必ずしも良くない意思なのかもしれない。

おかえりなさい

けれど世間の流れがどうであれ、喧騒を離れた場所にはいつも変わらずPやアンティーカや霧子を優しく受け止めたいと願う誰かの想いがあって、いつでも一緒に笑い合って帰れるおうちがあるんだということを、霧子もわかってくれていたらいいなと思います。

というより誰よりも他人へ向ける優しさを持ち合わせている霧子はそれ故既に自分もどれだけ他人から優しさを受けているかよくわかっているからこそ、過剰な心配をする必要はないと学んで鷹揚に物事を乗り越えてゆけるように成長できたということなのかもしれません。

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