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はねむしちりって何? 幽谷霧子コミュ小ネタ考察コラム

今回は毎度独特な描写の数々に定評がある幽谷霧子のコミュ内容に関して、ちょっとした発見や考察などをまとめた軽めの記事です。

あくまで筆者の推測を含むため公式の意図と正確に一致するかは分かりませんが、参考としてお楽しみ頂ければと思います。

(※内容には各コミュのネタバレを含みます)


『かぜかんむりのこどもたち』のカード名がいつもの漢字四文字じゃないのは何故?

霧子のカード名といえばほぼ毎回『○・○・○・○』のように漢字を四文字並べた形式がお馴染みとなっていますが、『かぜかんむりのこどもたち』だけは何故かその法則に当てはまりません。

『几(かぜかんむり)』とは漢字の部首名であり、その名の通り主に風にまつわる語に付いているものです。

部首の分類にはブレがあるので厳密な定義をするのは難しいのですが、この几に含まれる語の中で常用漢字かつ直接風に関わる由来とされるものは概ね『凰』『凧』『凪』『凩』の四つしかありません。

実際にコミュを読んでみると、これら四つに該当しそうなものが全て物語の中に登場しています。

窓の向こうに見えた大きな鳥(凰)、もしくは鳶(凧)

凧の別名は『紙鳶』であり、鳶は猛禽の一種

直球そのまま木枯らし(凩)と止み間(凪)の時間

以上の情報に照らし合わせると、このカードの名称は『凰・凧・凩・凪』の四文字を組み合わせたものでも十分に成立したのではないかと思えてきます。

では何故普通にそれらの漢字を用いなかったのかというと、その理由について推察出来る根拠となりそうなものの一つがTrue Endにおける以下の霧子の台詞です。

凩が強く吹き付ける中でPと霧子お互いの話し声が切れ切れにしか聞こえない状況を指して、霧子らしい言い回しで表現した「風が言葉をさらっていっちゃった」という発言。

あるべきはずの言葉が失われてしまった状態とは、まさに漢字と形式を失ったこのカードのタイトルの状態にも当て嵌まっているように感じられます。

また文字とコミュ内容の一致という観点で見ると、上記の四文字以外でも凮(風の異字、『姿形』の意もある)、夙(『早朝』の意)、凡(普通やおおよそといった意味の他に『全て』という字義もある)など、通例からは外れるもののかぜかんむりの仲間と見做し得る字の中にも物語と密接に関わる語はいくつも存在しています。

そもそもこのコミュの内容は実装時期も相まって全体的にLP編のテーマを踏まえたものとなっており、霧子の前途に一通りではない数多くの明るい可能性が開かれていることを示す物語となっています。

LP編あるいはそれ以前のGRAD編から続く大きなテーマとして、霧子の進路選択やアイドルとしての才能に様々な可能性があることが語られてきた

それらの点を鑑みると、決められた型に嵌まらず色々な可能性と選択肢を霧子自身に模索していってほしいというコミュ全体のテーマが、見ようによってはカード名の形式を崩すという手法そのものも含めて表現されているようにも思えてきます。

ホーム台詞も霧子にしては珍しく英語。題名がかぜかんむりの“こどもたち”なのも成長途中で未だ定まらない可能性の広さを想起させる語感

要約すると、

  • 「風が言葉をさらって行った」というTrue End の内容がタイトルをも含めて表現されている

  • 几(かぜかんむり)の形を含むあらゆる語の意味が可能性として込められており、四文字の型に当て嵌めきれない

  • そこから転じてLP編から続く「外から押し付けられた型に嵌まらず霧子自身が望む形で自由に羽ばたいて行ってほしい」という霧子へのメッセージ性が強く表れている

というのが、このカードの題名の形式変更について考え得る主な理由ではないかと思われます。

勿論これまで公式側から明確な解説がされたことは無いので実際はもっと思いもよらぬ事情があるのかもしれませんが、正解が明かされるまでの間は各々で考えを巡らせながらコミュを読み返してみるのも一つの楽しみ方かもしれません。

『縷・縷・屡・来』の演出に映り込む魚?

トワコレP-SSR『縷・縷・屡・来』四つ目のコミュ『いる』にて、お盆に海で撮影をしていた霧子が一瞬だけ現世と彼岸の境界のような場所へ迷い込んで写真に映らなくなるという不可思議な現象が起きます。

内容が非常に複雑なためコミュ自体の説明は割愛させて頂きますが、鳥も魚も直接その姿では現世にいない別の何かであるかのように感じさせる展開となっています

撮影された写真には大きな魚が鳥に飛びかかろうとしている様子だけが映っており、霧子の姿はどこにも無いにも関わらず何故かPはそこに霧子がいるような感じがすると意味深な言葉をこぼして物語は幕を閉じます。

このシーンの演出にはお盆で現世に戻って来たと思われる鳥の魂と、傷んでお別れの時間が近付いていた霧子の所持品のブランケットに描かれている『るるるく町』の動物たちが登場しています。

一見すると『魚』はどこにも見当たらないように思えるのですが、実は映像の中に一瞬だけそれらしきものを確認することが出来ます。

信じるか信じないかはあなた次第

画面全体にノイズがかかった瞬間の一カットで、ねじれた霧子のシルエットがまるで大きな魚に纏わり付かれているかのようにも見える形に変化しています。

単に偶然それっぽく見えるだけなのか、それともこれが意図された表現なのか……。

縷縷屡来のコミュは様々な捉え方が出来る物語で、今後の展開次第ではそれぞれの描写の意味合いも大きく変わる可能性があるため、この先のPコミュやSTEP編とどのように繋がってゆくのか気になる限りです。

『はねむしちり』の意味

霧子の限定S-SSR『午・燦・娘・娘』の最初のコミュに、『はねむしちり』という不思議なワードが登場します。

物語は恋鐘が真昼の晴れ間に空から突然きらきらした何かが降って来たのを目撃するところから始まります。

最初は雪だと思ったと言う恋鐘でしたが、快晴の空はどう見ても雪が降るような天気ではなく、結局その正体が何だったのか分からないまま霧子と二人で思案に暮れます。

その後部屋へと戻った二人は、羽毛布団から飛び出した『はね』や風の中を飛ぶ『むし』や舞い上がる『ちり』の様子を思い浮かべながら、優しい陽の光に照らされていればどれもみんな同じように見えるのかもしれないという懐の深い結論に落ち着きます。

霧子と恋鐘らしいおおらかな感性に彩られたやり取りなのですが、一体何故ここではねとむしとちりが引き合いに出されたのでしょうか。

単に霧子たちの目の前にあったものだというだけでなく、作劇上は他にも何かしら意味があるはずです。

まずこの『はね』『むし』『ちり』を漢字に変換してみると、『羽』『虫』『塵』。

次に『羽』『虫』『塵』を音読みにすると『う』『ちゅう』『じん』。

そこからさらに『うちゅうじん』を一単語として成立する漢字に変換してみると、『宇宙塵』という言葉が浮かび上がります。

宇宙人ではない

宇宙塵とは何なのかウィキペディアなどにも色々と専門的な説明が書いてありますが、大雑把に言えば宇宙空間で摩擦や衝突によって削られた極めて微細な小惑星や彗星などの欠片が地上へ降り注いで来たもののことです。

霧子が塵について想像している場面の背景が宇宙になっていることからも、恐らく恋鐘が見たものの正体はこの宇宙塵だったのではないかと推測出来ます。

ちなみにこのカードの最後のコミュは、寒さの中摩擦しながら身を寄せ合って暖を取るアンティーカの面々の様子を見て、霧子が真冬の寒さに負けず風の中を這って行く芋虫の姿を連想するという内容になっています。

また初めの『はねむしちり』のコミュにおいても恋鐘と霧子が体をどど〜んとぶつけ合って摩擦で暖を取る様子が何度も強調されており、星がぶつかり合う摩擦で宇宙塵が発生する様子との繋がりがここでも暗に示唆されています。

塵だと思えば塵だし、雪だと思えば雪。それをどんなふうに見ているかという人の心を霧子は尊重して受け止めてくれる

広大な宇宙のスケールから見れば、確かに羽も虫も雪も、人間でさえも一粒の塵と大差無いものなのかもしれません。

けれどもそこで悲観的になったり斜に構えて訳知り顔になるのではなく、どんなものも同じなら等しく暖かな目線を向けようと思えるのが、霧子のとても素敵なところです。

きっとみんなも霧子のそういうところが大好き


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