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シャニアニの功績は『283プロアイドルたちのライブ』を実現してくれたこと(1〜3章総括感想)

※アニメ版シャニマス先行上映のネタバレを含みます

シャニアニ第3章まで観てきました。

最後まで観た上で特に感じたのは、タイトルの通りこのアニメ全体が(映画館で視聴するという環境込みで)今までのどの媒体より一番正確な意味で『作中アイドルたちのライブ』を実現していたんじゃないか、ということです。

様々な要素が『良いか悪いか』といった批評的な観点とは別に、サ開当初からシャニマスに触れてきて初期ユニへの思い入れが強い人間としては『好き』と言える部分が少なからずあったため、作品単体というよりコンテンツ体験の一環として楽しめたというのが私個人の率直な感情です。


ライブパートの意義

今回映画館で3章を観てはっきり気付いたんですが、このアニメに於いて最大の見せ場であり一番のセールスポイントになっているのは多分ストーリーでも全体の映像表現でもなく、ステージ上でアイドルたちが歌って踊るMVやライブパートの箇所なのだと思います。

アイドル作品なんだからライブが売りなのは当たり前だろと言われるかもしれませんが、改めて考えてみると実はシャニマスの『アイドル本人たち』がライブパフォーマンスしている様子を見られる状況というのは今までほとんどありませんでした。

昨今はCGなどにリアルタイムで声を当てるような手法もあるものの、キャラクターコンテンツのライブというとアイマスも含め声優さんがキャラを演じてステージに立つようなものが一般的であり、ましてシャニマスはこれまで他に映像メディアなども無かったため、『キャラ本人がそのままの姿で作中世界と同等のパフォーマンスをしている』場面を見られる機会はほぼ無かったわけです。

今は3Dモデルが動くシャニソンもあるとはいえ、各人の個性に合わせた表情作りや所作や観客目線でのカメラワークなどはアニメの方が遥かに細かかった印象で、客席から応援のサイリウムを振りたくなる気持ちがどんなものなのかこれまでの6年間で最も直接的に体感出来たのは、自分にとっては今回のシャニアニ3章の劇場上映だったように思います。

そうした感動はあくまで『日頃リアイベ系に疎遠なキャラ偏重の原作古参ファンが音響に恵まれた映画館で鑑賞した』という条件によるものなので新規にテレビ視聴する人にも通用するかはまた別の話であるものの、逆に言えばそのようなコアなファンにとってはキャラクターライブの疑似体験にもなり得るという点が実はこのアニメの本質的な意義だったんじゃないかという気がしています。

ストーリーとキャラ描写について

突然話題を切り出すんですが、シャニマスのイベントシナリオの中でどれが『好き』かと聞かれたら、私の中では『真夜中発、ハロウィンワールドの旅人』が候補の一つに入ります。

一年目のハロウィンイベントだったこの話は後年他のハロウィンイベのコミュと繋がる壮大なサーガだったことが後付けされたものの、筋書き自体は極めてシンプルで大きな捻りもなく、喩えるなら全年齢向けファミリーエンタメのような予定調和で灰汁の無いありふれた冒険物語でした。

脈絡なく異世界に飛ばされる雑な設定や摩美々のメタ発言スレスレな台詞などリアリティ重視の読者からは嫌われそうな要素も多く、『シャニマスの中で優れたストーリーはどれか』という訊き方をされたらまず挙がることは無いでしょうし、何も知らない人にこれを読めばシャニマスのシナリオの良さが分かるはずだと言って勧められるようなものでもありません。

にも関わらず私がなんとなくこれを前向きに許せてしまうのは、『余計な裏も作為も無く書き手がただ純粋にキャラクター全員と読者にとって楽しい世界を描こうとしていたのを感じられるから』、なんじゃないかという気がしています。

初期のイベストの中では比較的人気がありそうな五色爆発なんかも評価の方向性としては同じなんじゃないかと思います

個人的にシャニアニの描写面に対して良かったと感じた部分もこのハロウィンワールドが『好き』だという時の感情に近いもので、一言で説明するなら『エンタメとしてやるべきことを素直にやっている姿勢への好感』という表現が最も適切かもしれません。

ユニット毎に特色通りの仕事風景が描かれ、アイドル同士の交流や合宿が和気藹々と進み、このキャラならこういう反応をするだろうという場面があって、大きな設定矛盾やキャラ崩壊なども無く、各々がきっちり役割通りの所に収まっている。

そのような作劇は加点法で見ると大きな評価は得られませんが、一過性の話題を求め過ぎるあまり根本的な整合性や倫理観がガタガタになっているような作品があらゆるジャンルに増えている昨今では、むしろそうした『余計なことをしない』姿勢は貴重でさえあります。

後述するような背景説明の薄さは明確な問題であるにせよ、単にまっさらな状態からキャラへ興味を持つというだけなら顔が可愛い声が可愛い歌が気にいったとかの一目惚れでもきっかけとしては十分であり、このアニメもそうした最低限の取っ掛かりとしての役割は果たせるように思います。

とはいえ明るく楽しい万人向けエンタメを真剣に作るのとただ単に手抜きのご都合主義に逃げるのは似て非なることながら紙一重な部分もあり、この作品が前者として十分な評価を得るためにはあと一歩足りない所も多かったのだろうというのも否めません。

十数人のキャラを均等に動かさなければならない群像劇である故に尺の都合で仕方ない部分はあるにせよ、個々のキャラの具体的な背景や心理についてほとんど描かれずに終わったのは他の方々の感想にも多く見られる通り非常に惜しい点だったように思います。

私の好きな幽谷霧子もアニメの描写だけでは本人の世界観はおろか何故包帯や絆創膏をしているのかなどの情報すら無く、なんかもじもじしてて優しい感じだけど死んだ生き物の肉は『さん付け』しないというくらいのことしか分かりませんし(肉の話についてはおまけ漫画の内容なので本編ですらありませんが)。

ユニットで集まる機会が減って咲耶や霧子が寂しがるような雰囲気を出す展開なども(既存ファンはアンティーカ感謝祭の文脈で理解出来るとしても)作中描写だけでは顛末が曖昧でしたし、最後のライブ後に甜花ちゃんが号泣するシーンなども単に感動してるのか緊張で納得いくパフォーマンスをしきれなくて悔しがっているのか意図が分かりづらかったり、機微を描こうとするあまり行間を読ませるを通り越して何となくエモい感じの演出と台詞だけで誤魔化しているような面も少なくなかったように感じました。

肝心の真乃がセンターを務める過程の積み重ねもぼんやりしてましたし、当初最大の目標になっていたはずのWINGが途中でダイジェスト敗退しただけで片付けられる展開も、WINGがゴールになるはずだという共通認識がある既存ファンには予想外のどんでん返しになるかもしれませんが、むしろ前提知識の無い新規視聴者からすれば驚きより肩透かしによる単純な困惑の方が大きいんじゃないかと思います。

兎にも角にもこのアニメが本気で新規ユーザーへの導線としても考えられているのなら、せめて放送時には毎話おまけコーナーでゲームシナリオの場面を抜き出した各キャラの紹介ダイジェストを付けるなど、あと一歩の宣伝努力はあった方がいいんじゃないかという印象は受けました。

アニメ化を通じて思ったこと

原作となるenza版のシャニマスは後年に行くにつれて良くも悪くもシナリオの作風が尖鋭化しており、一口にシャニマスが好きと言ってもどのキャラやどのユニットのどの部分なのかによって人それぞれかなりの開きがあるため、今や客の需要も相当に細分化されてしまっているように思えます。

自分の場合も担当の霧子に関して一番好きなシナリオは戦争などの重いテーマも絡んだ最新の【窓・送・巡・歌】ですし、キャラや読者にストレスを与えるヒール的なモブが出てくるGRADや難解で哲学的な要素を多分に含んだLPなど、作家性の強い後年の尖ったシナリオがあったからこそより深くキャラへの思い入れを持てたというのも紛れもない事実です。

しかしながら『斬新で挑戦的な作風が人の心を掴む』というのと『奇抜で過激な作品で無ければ人の心を動かせない』というのはイコールではないと思っていて、「心を抉る尖った深いシナリオこそがシャニマスの持ち味だ」的な意見を耳にすると理解は出来る一方で「そうだっけ?」という疑問が少なからず過ってしまうこともあります。

意外性が意味を持つのは元の土台がきちんと構築されていた上での話なので、仮にアイドルそっちのけで濃いモブキャラが物語を進めたり人の暗部やディスコミュニケーションがどうこうみたいな方向のシャニマスらしさを出したアニメを新規の人がいきなり見せられたとしたら、それはそれで「可愛いアイドルの話を観に来たのに何やってんのこのアニメ?」となって終わるだけじゃないかという気もします(そういう意味では追加キャラ主体の2期があるのならそっちの方が遥かに作劇の塩梅が難しいんじゃないでしょうか)。

そう考えると今回のシャニアニは、変に奇を衒うあまり支離滅裂になって脚本の都合で嫌な役回りをさせられたり理不尽な目に遭わされたりするキャラが出るような形のものになるよりかは、余程原作を尊重した誠実なメディア化作品になっていると思います。

唯一個人的に文句を付けるとするなら、感想タグ見るまで気付かなかったんですが2章で霧子と甜花が遊んでたゲームのスコアがBになってたのは霧子の国立医大B判が面白おかしく擦られてるのに便乗してるんじゃないかという部分は、もし本当にそういう意図でやっているとしたらここまで7〜80点代あげていい気分で書いてたのを反転させて−80点にするくらいアウトです。

作品自体に悪ふざけ感などは無くそこだけならどうとでも取れる些末な部分なので殊更にあげつらうことはしませんが、どうしても露悪性や侮蔑的な側面が含まれてくる二次創作ミーム的な領域に悪乗りとの線引きが出来ず公式側が乗っかる姿勢を取るのだとしたら、アニメの範囲に限らずそれは断じてファンサービスではないということははっきり訴えておきます。

話を元に戻すと、結局のところ観る側がシャニマスのどういう部分が好きで何をどこまで求めていたのかによって、シャニアニへの見方もだいぶ変わってくるのだと思います。

大きな波の無い予定調和のエンタメだとしても好きなキャラが賑やかに活躍の場を広げていること自体に価値を見出だせる人にとっては、仕草の細かさやさり気ない原作再現など満足出来るような点も多く、何より原作世界の延長として逸脱せずに観られるというのは当たり前のようでかなり重要な部分です。

一方である意味全編通して盛大な楽曲PVのような位置付けに留まっているため、シャニアニが人生で一番感動したアニメですとかこの作品を観て櫻木真乃が生涯で一番好きなキャラクターになりましたとか思える人が出るほど深く刺さるような構成ではない点は、ストーリーへの期待値が高いほど残念に感じても無理はありません。

別に尖った要素を入れずともこの作風のままでももっと自然に個々人のパーソナリティを展開に織り込んで行くことは出来たはずですし、方向性が間違っていたのではなく期待の裏返しとしてあと一歩感動を与えてくれる作り込みの深さが求められていたんじゃないかという感じがします。

記事の冒頭にも書いた通りおそらくMVやライブパートで客を引き込むことに価値の比重が置かれている作品なので、既存ファンは全章合わせてリアイベにしては格安の6000円弱で映像コミュ付きのキャラクターライブを観に行ったくらいの感覚で捉えるのが、多分一番素直に楽しめる姿勢なんじゃないかと思います。

ここまで賛も否も色々書きましたが、私自身は最終的に思い出作りとしてシャニアニも十分楽しませてもらいました。

特にキャラクターライブについての下りやシャニマスの作風についての話に共感していただける部分がある方には好きになれる要素があるはずなので、劇場へ観に行く意味はある作品じゃないかと思います。

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