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続・私のセクシャルマイノリティ


前回の『私のセクシャルマイノリティ』をご覧頂きありがとうございます。
今回はその続編です。前回の話とはまた違った方向性なので、ご興味のある方は前回の記事も読んで頂けるとわかりやすいかと思います!
上の文字にリンクさせています😌


セクシャルマイノリティと生物学的性別

前回は私のセクシャルマイノリティについてを語りましたが、今回は生物学的性別について触れてみたいと思います。

多様性が増えてきた今日、色んな考え方ができる自分でいたいと思う一方、変えたくないなと思う考えもあります。

それは私が家庭を持ちたいと思ったことに繋がるかもしれません。

私の中でセクシャルマイノリティはあくまでも『精神性』です。
女だから、可愛く、奥ゆかしく、綺麗でなければならないなどの考えや、男だから、強く、カッコよく、積極的でなければならない。などの考えは古いと思っています。それは精神の話です。目に見えないもの、性格または個性というものですね。ファッションは見た目なので、これも個性ですね。

では、なぜ私たちは生物学的に男女に別れているのでしょうか。

子孫繁栄です。

動物中や微生物には自分から性別を変える生き物います。でも人間はそうじゃない。

医療が進化し、自分の精神の性別と肉体の性別が違うと思う方は思った通りの肉体を手にできる時代になりました。
それはそれで、良いと思います。
それだけの対価と時間を要するものとも思っています。

ただ、生物学的な肉体には絶対的な差があります。

鍛えぬければ、平等になるでしょうか?

鍛えなければ、平等だといえるでしょうか?

男女平等という括りで、
ほんとうに生物学的男女の差が埋まるでしょうか?

陰と陽が別れているように、男と女の肉体は平等とはいかないと思うのです。
そうでなければ、分かれている意味がないとも思うのです。

私が家庭を持ちたいと思った、と述べましたが、
それはどんな精神性を自分がもっていても
肉体を変えたいか?と思った時に
そうではないな、と思ったのです。
違和感はないし、このままの姿でいたいとも思いました。


男女平等とは

社会進出へおいての男女平等とはこの精神性の平等だと思っています。多様な個性を受け入れていく。

でもスポーツや肉体的な面で競う場、トイレやお風呂など、男女平等ではまずいと思いませんか?
とあるスポーツでは、生物学的女性の大会に精神性は女性という生物学的男性が参加し、生物学的男性が上位をしめてしまったのです。
このような大会を開くことは問題ではないと思うのですが、ほんとうの平等をうたうなら、肉体のサイズなどでランクを分けるべきだし、生物学的男性、生物学的女性、精神は女性だけど生物学的男性と精神は男性だけど生物学的女性とせめて4分類に分けるべきだと思うのです。

生物学的女性は圧倒的に不利だと言えます。

こうなってくると、もう私たちは肉体を捨て、映画の世界のように電脳世界で、好きな肉体(アバター)を自由に動かしていく、となってきそうですね。
それは、ホントに正しい自由で平等なのか私はいささか不安です。電脳世界に閉じ込められているとも思えてきます。

全てを平等にして、不平等が生まれては意味がないと思うのです。

見えるものと見えないもの、私はもっと慎重に多様性を受け入れていく必要があると思います。


スピリチュアルな面で言えば、自分の肉体に、自信や誇りをもち、それを受け入れて、多様性を理解できるのが本来の陰陽統合なのではと思います。

これを読んだ、あなたはどう思いますか?

私たち人間が男女の身体に別れている理由を今一度考えてみると面白いかもしれません。

ここまで読んで下さり、ありがとうございます。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます🤗
今後もあなたにとって少しでも楽しく過ごせるような記事を投稿をしていきますので、スキ・コメント・フォローなどを頂けますと幸いです☆໒꒱ Ulla



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