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「人間は思考する」 〜ぼくが哲学にハマった理由〜

ぼくが哲学に興味を持つようになったのは会社勤めにウンザリし、「脱社畜」を志した頃、今から2年半位前のことだと思う。最初に手に取った本は「超訳 ニーチェの言葉 エッセンシャル版」であった。

それまで「哲学」という学問とは無縁の生活を送っていたぼくではあるが、パラパラとページをめくる度に現れるニーチェの紡いだ言葉たちを目にすると、つい「うーん」とか「くぅ〜」といった音が口から漏れ出てしまい、今も昔も人は同じような事で悩むのだなぁと考えさせられた。哲学があらゆる人間にとって有用な学問であることが判り、ニーチェという人間に興味を抱くようになった。

以来、ブックオフでニーチェに関する本を立ち読みしてみたり、苫野一徳さんの連載記事を読んでみたり、ちょっと背伸びして「働くことの哲学」という本と「いま世界の哲学者が考えていること」という本を買ってみたりして、じわりじわりと「哲学」の世界へ歩み寄ってみた。

今年1月、きっかけはいつものようにFacebookだった。直接顔を合わせたことはないのだけれど、ぼく同様noteを書いている知人がこのイベントに参加することをFacebook経由で知ったのは講義の1週間くらい前だったと記憶している。

2018年1月21日 日曜日、ぼくは人生で初めて哲学の講義を受けるために箱根駅伝を制したあの大学の門をくぐった。
今回の講義は哲学博士イェッセ・ミュルダー氏が講師を勤め、イェッセ氏と共にシュタイナー教育を学んでいた竹下哲生氏がドイツ語を同時通訳する形で進められていた。ぼくは30分近く遅刻してしまったが、受付を済ませ、急いでノートを開き、遅れを取り戻すべく二人の話に耳を傾けた。
講義は3部構成(1部、約75分)で行われた。

第1部 思考に関する2つの要素
・哲学とは、新しい理論を見つける事ではなく私たちの内側にあること
(個人的なこと)に気づくこと

・思考内容は客観的
「私」は「日本にいる」 ・・・思考の中で観察している。
 つまり思考とは機械的ではなく、それそのもので理解されるもの
 真理に向かって思考するが、真理には到達できないので見切りをつける
人工知能は真理に到達できないし思考を生み出さない。
(AIが人間を超えるシンギュラリティは起こらないと理解した)

第2部 (自然界における)思考という能力について
・無生物・植物・動物は持っている「能力」に違いがある。無生物(例として水)は変化を外力によりもたらされる。植物は生物としてのプロセスとして変化する能力がある。動物は意識して変化を起こす能力がある。

第3部 人間の能力と思考について
人間は行為をする能力を持っている。
・人間の行為が具現化する時、概念が伴う。
・人間がやる事は自分で決めている。だから新しい行為である可能性がある。

自由と責任について
・私たちが自然とどう関わるか、私たちが決められる。
・「呼びかけること」は人ができる行為のひとつ。
今の社会は富める人のみが富み、貧しい人は貧しいままのシステム
 人から言われたままやる人が多いから悪い方向に向かう。
 哲学は本来、正や善、真に向かう必要がある。
 哲学することで人間は内面的に強くなれる。

質疑応答、雑談
・植物は叡智を持っているのではないか
 →確かに種を保存しようと、生き残ろうとはしているが個々に思考はして
  いない。そこに動物との明らかな違いがある。
・美や芸術についてのご意見を聞かせて欲しい
 →美はしばしば哲学の対象として扱われる。これについての討論は長く
  なるが、美を見出すのも人間の能力だ。
・来日してから面白かったことは
  →秋葉原、メイドカフェに行ってみたこと (!)
・普段はどんな生活をしているのか
 →2人の娘と遊ぶのが楽しい 遊びも思考を伴う行為だ

4時間に渡る講義が終了した時、ぼくは今までにない充足感を味わっていた。感覚的に哲学を求めていた理由が自分の中で理解でき、ぼくがこの先どうしたいのかがすとんと腹落ちした感覚を得た。講義がこんなに楽しく感じられたのはおそらく初めてで、学ぶ事が大好きになった瞬間であった。
なんとなく鼓動が早まっているのに、心には静寂があり家族への感謝と愛情で満ちていた。

この日に買って帰った竹下さんの本をめくると、やはり政治に関する意見の記述もあった。そう、社会主義にしても民主主義にしても本来は哲学者か哲学的に思考した人間が考えたしくみなのだ。政治家が金満主義に堕ちたら、社会主義でも民主主義でも結果は同じ。支配者層が民衆から政治や経営への関心を奪い、選挙ではなく聞き分けの良い人間ばかりを重用し、若者や立場の弱い人間を差別し、重税を課す。この国の支配者層は何十年も前の価値観を強要し、怒鳴り散らすだけの存在。現代の哲学者たちが怒るのも無理はない。

つまり哲学的思考は物事が行き詰まってしまったり、本質的な課題が何であったか解らなくなった際に役立ち、どんなジャンルの学問と組み合わせても良い、ワイルドカード的な思考法なのだ。
だからと言ってひたすらに堅苦しいものではなく、とても人間臭い学問、それが哲学だ。自分の中のもう一人の自分と対話し、同じ課題を共に考える仲間と対話を繰り返せば大抵の場合、解に導く事が多分できる。ヤバイ、この世はパラダイスだ。

講義から半年が経過した今、ぼくは新しい行為を生み出す部署で、情報収拾と企画書作成に勤しんでいる。まだ結果は全然出ていないし稼ぎも増えてはいない。でもアイディアはこんこんと泉の如く湧出している。男だって産み出す行為は出来るのだ。

中途半端な文章だったと思うけど、最後まで読んでくれてありがとう。あなたも哲学してみませんか、なんつって。



2019年はフリーターとしてスタートしました。 サポートしていただけたら、急いで起業します。