お金という存在⑤
親元を離れてはいけない幼子に
「大人になれ」と強いる獣(悪魔)
まだまだ両親に守られ学ぶ必要のある幼子が何故
独立した「大人のふり」をしなければならないのか
†
人は宇宙や地球という「環境(家)」、
そしてそこに働くルール・法則(両親)によって生かされている
また、人は、帰る家なしには生きられない「幼子」であり
両親の教え(法則)によって守られ学ぶ生き方を
強いられる段階にあるといえるだろう
しかし獣(悪魔)にそそのかされた幼子は
十分に学ばないまま
自分を守ってくれている家や両親から離れて
自ら危険な道(厳しい運命)を創造していくことになるかもしれない
…危険な道は学ぶためにあるというが
もっと選択肢はあってもいいと思うな
この危険な道には「かなり大きな傷」を負うリスクがあるからだ
それとも
そのリスクを受け入れた魂だけがここにいるのだろうか?
聖書を読んでいると
ここの環境は「学びの場」ではなく
単なる「虐待の場」なのではないか
という疑問がわいてくる
†
不幸に見舞われている人は
この環境に働くルール・法則を自分が破っていないかどうか
確認した方がいいだろうね
因果応報、宇宙の仕組みや法則性を少しでも理解できれば
安定した運命を自ら創造出来るようになると思う
もともと全ての人は、生きている内に運命を設計し創造できる
神のような力を持っているからね
(何せ人は神に似せて作られている)
しかし不思議なことに、現代人には
この世界に働くルール(因果応報等)の重要性を語られていない
だから現代人は物質的な豊かさを追求する事だけに夢中になって
それに伴う犠牲に注意を向けてこようとはしなかった
今は注意を向けなくてもいいだろう
しかし後はどうか
この犠牲の伴う豊かさの「創造」のあとに
「つけを払う事」になるとは思えないのだろうか
神(法則)という存在をファンタジーにしたがる現代
そこに悪魔が関与しているように思える
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