聖書の中の好きな言葉

俺はキリスト教徒ではないが、
イエス・キリストのファンではある
聖書を読み、イエスキリストを慕う者が
キリスト教徒でなければならない、という決まりはないだろうからな
なので、これからも何らかの集団や宗教、教会に属するつもりはない


15:12わたしのいましめは、これである。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
15:13人がその友のために自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。

15:14あなたがたがわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
 15:15わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
(ヨハネによる福音書15-12~15)

愛の大きい小さいにこだわりはないが
「誰かのために死ぬ」という考えが
小さなころから定着している俺にとっては心地いい言葉だ
友のために全身全霊をかけて生き、成長し、全てを捧げて死ぬ
これほど魂を燃やせる生き方があるだろうか

”自己犠牲を厭わない愛”は
恐れや痛み、苦しみなどといった
ネガティブなものを最高の喜びに変えてしまう事がある
(腹を痛めてでも愛する子を生もうとする母親のような感じか)

恐れを手放したい人間は
「自己犠牲」について考えてみるといいかもしれない
「恐れ」は"自分を守ろうとする心が生み出す"ものだからな
あと、自己犠牲を実践することでキリストの友にもなれるだろう

7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。
そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、
門をたたく者には開かれる。
9 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、
石を与えるだろうか。

10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。
(マタイによる福音書7-7~12)

神についてもいろいろ考えている
・宇宙の法則・ルール・秩序として存在する神=機能神(システム神)
・高度な知能と文明を持った異星人・霊人(人格を持った神)

聖書に登場する「父」は、どちらかというと
「機能神」の類なのではないかと思う

あと"人にしてもらいたいと思う事は何でも、あなた方も人にしなさい"
が、律法と預言者というのは成る程と思った
これは明らかに因果応報や引き寄せの法則(宇宙の法則)に関係している
他にも宇宙法則をにおわせている言葉があるな↓

「あなたがたも聞いているとおり、
『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。

しかし、わたしは言っておく
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい


あなたがたの天の父の子となるためである
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである

自分を愛してくれる人を愛したところで、
あなたがたにどんな報いがあろうか
徴税人でも、同じことをしているではないか
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、
どんな優れたことをしたことになろうか
異邦人でさえ、同じことをしているではないか 
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい

(マタイ5・43―48)



人はこの"つくられた環境(宇宙)で生かされている"から
その環境に働いているルール・法則に従わざるを得ないんだ
そのルールからはみ出せば当然、父(法則)の怒りを食らう事だろう

現代人は悪魔という存在にルールを破るような事を教えられて
自滅の道を辿らされているようにしか見えない
と、思うが俺も視野の狭い人間だからな
もっと複雑な何かがあるのかもしれないので断定はしないでおこう


他にもいろいろ好きな言葉があるが、今回の記事ではこれで最後にしよう

人を裁くな。
そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。
そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
(ルカ6―37)

裁く心が争いを呼ぶ

つまり知性を与えられ
その知性の使い方をまともに教えて貰っていない存在が
善悪判断を行って~だと断定するのは危険だという事だ

俺はこの事にもっと早く気づければよかったと思っている

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?