お金という存在④


寿命が120年足らずの肉体と
その短い生涯に必要な物質的豊さを守り生き抜くために
自己防衛(保守)と損得勘定に重きを置き
「良心」を捨てる人々


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「へび」は「お金は~」と言うが
俺は物事の善悪への関心よりも
この世界の仕組みに強い関心がある
(平面的に物事を捉えて考えると思考が偏る
物事を判断する際には出来るだけ感情に流されず
多面的に捉えるようにはしているよ)

そしてこの仕組みの中で生かされている人間が
どのような役割を担っているか
世界という創造物の一部としてどのように機能しているのか

あとは、この世界の仕組みをよくよく理解している存在達が
何をしたいのかを知りたい

最終的には、この弱肉強食が当たり前の世界から脱出したいかな

聖書や仏典にこだわっているのは
あの書物にはこの弱肉強食のある世界から抜け出すための
「秘訣」が記されているからといってもいいだろう

聖書や仏典を読んでいると
「へび」「物質的豊かさ=お金」
120年足らずの短い寿命で何度もこの世界をグルグルとめぐる
何らかの切欠になっているのはよく見えてくる
なので、自然にお金という存在に疑問がわいてくるわけだ


輪廻転生の話になるが
グルグルと何度もめぐっている割には
前回の記憶を思い出せなかったりするね

記憶を失うのは修行のためだというが、
こういうやり方でしか魂は磨けないものなんだろうか?
という事にも疑問を持っていたりするな俺は

調べると古代人は2万、3万の寿命が当たり前(?)のようだ

シュメール王名表
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%8E%8B%E5%90%8D%E8%A1%A8

古代人の寿命を知ると
120年では精神性を十分に磨けるはずがないと思ってしまう
何もできずに「子供のまま死んで」また新しい生を営んでいる感じか

120年という寿命は現代人からしてみると普通なのかもしれないが
本当は異常な事なのかもしれない、なと

まぁ、死後の世界の事もよくわかっていない俺が言う事ではないんだろが


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