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【絲斬り蘇芳】 序幕

 縁(えにし)。
 人は両手に多くの絲を持ち、その時々の決断に拠って一本の絲を選ぶ。
 どの絲がどこに行き着くかは誰にもわからず、人は戸惑いながらも絲を手繰り寄せ、伝いながら途を歩く。
 つまり、縁とは絲の先、因果を示す。
 生があり、死があるように。出会いがあり、別れがあるように。
 何事にも原因があり、結果がある。螺旋のように巡る因果の交差する先に生まれるのが縁である。
 因果の絲は万物すべてに宿る。
 この世を形作るものにも、この世ならざるものにも絲は宿り、万物すべての途を決めている。

         *

 とっぷりと日が暮れた夜。
「不自由な暮らしではないか?」
 室に入ってきた客人に男がそう声をかけると、その問いが可笑しかったのか相手は深く被った笠の下で笑ったようだった。
 予想していたよりも線の細い身体で、僧が被るような網代笠に藍鼠色の着物、腰には一振りの刀を帯びている。
「なぜ、不自由だと?」
 発せられた声は女のものだった。
 女はゆったりとした動作で顎の下で結んでいた笠の紐をほどいていたが、武の心得がない男でもわかるくらい彼女には隙がなかった。
 すっと腕が上がり、女が笠を脱ぐ。笠の下から簪で一つにまとめられた髪が現れた。
 ──その髪色は、否応無しに人目を引いた。
 赤だ。
 錆のようにくすんだ赤色の髪。
 女は後ろ手に簪を抜き取ると、頭を軽く振って髪をほどいた。赤い髪が女の背に流れ落ちる。
 女がふう、と息を吐きながら顔を上げる。黒曜石を埋め込んだような意志の強い瞳がこちらを見た。
「噂によると町から町へ根無し草のように生きているというじゃないか。ひとところに落ち着こうとは思わないのかと思ってな」
 まあ座れ、と男がすすめれば、女は用意された座布団に腰を下ろした。二人は向かい合う形になった。
 笠と刀を脇に置き、肩を回してほぐすと女はようやく男の問いに答えた。
「ちょいと訳があってね。同じ場所に長いこといられないのさ」
「なんだそりゃ」
「まァ、いいじゃないか。それにしても旦那も変わったお方だね。根無し草を捕まえて話を聞こうってんだから」
 くすくすと笑う女に、ばつが悪くなって男は頬を掻いた。
「旅人の話を聞くのが俺の唯一の楽しみでな。それにかねてからあんたには一度会ってみたいと思ってたんだ」
「私にか? そりゃあまたどうして」
「あんたの噂はよく聞いてるよ、蘇芳」
 思い当たることがあるのかないのか女は首を傾げるだけで、その様子に今度は男が小さく笑った。
 どうやらこの豪傑は自分の行いに全く自覚がないらしい。
 男は久々に高揚していた。

 夜も深まった頃、村で唯一の旅籠の主人が駆け込んできた。
 旅の女が宿を求めているので部屋を貸してやってくれないかと言うのだ。今宵は珍しく旅籠は繁盛しているらしかった。
 この家には男しか住んでいないので部屋だけはたくさん余っている。だが、わざわざ見知らぬ人間を己の領域に招き入れるのも億劫だった。
 しかし、主人の話を聞いているうちにその女が「蘇芳」と名乗ったことがわかった。
 ──あの蘇芳、なのだろうか。それなら是非とも話を聞いてみたい。
 そう思った。娯楽のない隠遁生活にも飽き飽きしていたのは確かで、男は主人の頼みを聞き入れ、女を寄越してもらった。

 そして、男の予想は当たったようだった。
「もっといかつい大女かと思っていたが、予想よりずいぶんと若いな。まぁ、よく来た。大したもてなしもできんが、寝床と食事くらいは用意してやれる」
「それで十分さ。話をするだけで一夜の宿にあずかれるなら申し分ない。私なんかの話でよければいくらでも話そう」
 燭台の蝋燭の炎が揺れ、囲炉裏の火がぱちぱちと音を立てた。
 女は寛いだ様子で煙管に刻み煙草を詰めている。
「さて。じゃあ何を話そうかね」
「お前が旅で見てきたものを聞かせてくれ。お前が、その瞳で視てきたものを」
 女はその言葉ににやりと笑った。男が自分のことをよく知っていることがわかったからだ。
「ああ、なるほど。では、話そうか。私の絲の先で出会った者たちの話を」

いつも読んでいただきありがとうございます。 小説は娯楽です。日々の忙しさの隙間を埋める娯楽を書いていけたらと思います。応援いただけたら本を買い、次作の糧にします。