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一宮市ってどんなまち?⑦

3週間ぶりです。一宮市100周年推進室の犬飼です。
今回は「一宮市ってどんなまち?」第7弾として『産業の歴史』という恐ろしく大きいテーマがあるのですが、すべて詳しく書ける気もしないし、毎週恒例の金曜日からも遅れちゃっているので、寄り道しながら書いていきたいと思います!(言い訳から始まってすみません・・・)

現在募集中!

まずは告知から。
100周年関連で現在募集中のことを3つ掲載します!
1 市民チャレンジ事業【2月26日(金)締切】
市民の皆さまが100周年を機に取り組むチャレンジを支援する「市民チャレンジ事業」の申し込みは26日までです。
2月に入ってから凄まじい数のご相談やご連絡をいただいており、一宮市って想いがあってアツい方が多いなーと思っているところですが、あと1週間まだまだお待ちしてます!

2 100周年パートナー【3月31日(水)締切】
100周年記念事業にご協賛いただく、もしくは100周年を機に市にご寄付いただく企業様・団体様を「100周年パートナー」としてウェブサイト等で紹介させていただきます。
サークルなどの市民団体様からもご協賛の申し出をいただいております。
3月31日まで受け付けておりますので、ぜひともお声がけください。

3 100にまつわるエトセトラ【随時募集】
皆さんの周りに「100」ありませんか?
築100年(くらい)の建物、満100歳の方、100年間(くらい)使っている道具、(人間の歳で)100歳の動物 など
ぴったり「100」じゃなくても全然OKですので、周りを見渡してみて「お、これ100じゃない?」と思うものがあったら、ぜひ紹介させてください!

せんいのまち

さてさて本題です。
今回は市外の方が一宮市のことを知るという観点で書きますので、知ってる方からすると物足りないかもしれないかも。(というまたもや言い訳です。)

一宮市は何のまちですか?と聞かれたとき、多くの方は「せんいのまち」と答えると思います。私は市外出身なのですが、やはり一宮市は「せんいのまち」のイメージが強いです。

では、一宮市が「せんいのまち」と呼ばれる理由は何なのでしょうか?

一宮市周辺の「尾州(びしゅう)」と呼ばれる地域では、古くは平安時代から錦綾(絹織物)が生産され、江戸時代になると綿織物や絹織物の産地として広く知られてたようです。当時の尾張平野では生綿を作っていて、秋は見渡す限り綿の白で溢れていたそうです。どんな光景だったんでしょう・・・

明治時代になると、濃尾地震による被害や外国産の安価な綿花の輸入などもあり、綿織物は衰退していきますが、その中で時代の先を読んで着目されたのが羊毛工業でした。その後、第一次世界大戦を機に毛織物の輸入が途絶えたことで、綿・絹織物から毛織物への転換が進み、尾州地域は毛織物を主流として栄えていくことになります。
この時期(大正末期)は「一宮市」が誕生した時期でもあります。一宮市の発展はまさに毛織物とともにあると言っても良いのではないでしょうか。

と、この調子で書いていると大変なことになってしまいますので、あとはファッションデザインセンターの年表を見てください!めちゃ詳しく書いてあります!!(100周年note恒例の丸投げっ!!)

ちなみに、今や一宮市といえばの「一宮モーニング」の文化は、繊維業が多い一宮市では工場の音が大きいがために商談を喫茶店で行うことが多く、その方々に、お店からゆで卵などの朝食をサービスしたことが始まりだと言われてます。
ちなみに私、この話大好きなんですよ。おもてなしの心が広がって定着して今まで続いているっていうってすごくないですか?何とも愛おしい気分になっちゃいます。(あんまり寄り道しすぎると、また長くなっちゃうw)

尾州ブランド

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で、いきなり現在の話です。

現在の尾州は国内生産量の80%を誇る日本最大の毛織物産地で、尾州産のテキスタイルは国内外のファッションブランドにおいて製品をつくるための生地として使われています。有名ブランドの生地も尾州で作られてると思うと、一宮市民として誇らしい気持ちになりますよね!

「尾」マークが付けられた生地は尾州産の証。平成28年の認定制度運用により、これまで以上に私たちの目にも「尾州」がダイレクトに伝わるようになりました。「尾」マーク、見たことありますか?

そしてそして、この2月に尾州の総合情報ポータルサイトが開設されました!
むっちゃくちゃかっこいいので、ぜひご覧ください!!

一宮市にはのこぎり屋根工場が数多くあります。多くののこぎり屋根工場は北側に窓があり、北側からの安定した光は、布地の織りや色を見るのに適しているそうです。

現在では稼働していない工場も少なくありませんが、その独特の形状や雰囲気から、カフェやギャラリーなど、新たな価値を持った工場も増えてきました。今後の展開に期待ですね!

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というわけで、今回は駆け足で一宮市の産業として、繊維産業の始まりと現在を紹介しました。

まだ一宮市が一宮市になる前、時代を先取りして羊毛工業に着目し、数々の事業者が一宮の地で創業し発展していきました。そのようなパイオニア精神と、その発展を支えた一宮モーニングのおもてなしの心「一宮市の誇り」であり、100年先も引き継ぐべきものではないかと、今回の記事を書く中で感じることができました。

それでは、次回もお楽しみに!


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