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序: 統計力学の目標

柔らかな朝のひかり,夜の闇にきらめく星,青空を渡るそよ風,透き通った冷たい水,こうした数々の身の回りの自然現象が物理学の対象です.多様な自然現象について,共通する法則性を見出してシンプルに理解しようとするのが物理学的なものの見方です.

ルネ・デカルト(René Descartes)が「困難は分割せよ」と言ったように,複雑な世界を理解するために,世界を構成するミクロな要素を考えていって,そうして現れるであろうシンプルな部分に着目する,という方法が考えられます.その方向性で探求した結果として,物は原子から構成されているという理解が得られ,それらが従う法則として力学(量子力学)の理論がまとめられました.それでは,そうしたミクロな要素を理解しさえすれば,自然を完全に理解したことになるのでしょうか?

ミクロとマクロをつなぐ

ミクロを理解したなら,それを積み上げることでマクロな世界も理解できそうです.しかし,そう自然は甘くありません.私たちがミクロな要素の運動をすべて把握してマクロな世界を構築することは,実は原理的に不可能なのです.3つの粒子が相互作用するような系を考えるだけで,もう運動方程式を原理的に解くことができません.水1ミリリットルにだって水分子―これは水素原子2個と酸素原子1個からなる―が約33,000,000,000,000,000,000,000個含まれていますし,運動を実際に決めるにはそれらの初期条件も決めなければなりませんから,力学の法則から1ミリリットルの水の振る舞いを導くことだって到底出来そうにありません.

また,現実の物体は常に周囲の環境とエネルギーをやり取りしていて,常に平衡状態に向かわせるような作用が働いています.その小さな相互作用によって,系の状態は常にごちゃ混ぜにされています.

このように私たちはすべてを把握しきれず,持っている情報は必然的に不完全になります.そこで現れてくるのは,確率的なものの見方です.確率的なものの見方を採用したら統計学的手法によって色々な量を計算することができます.確率・統計学を物理の理論に積極的に持ち込むことによって,ミクロからマクロへと橋渡しをすることを目標とする学問が,統計力学です.

このノートでは以下の二つの主要な成果が得られることを見ていきましょう.

統計力学の成果その1

平衡状態にある1ミリリットルの水は,しかしそんなに複雑そうには見えません.面白いことに,ミクロな要素が複雑に絡み合った結果として,マクロに見たときに不思議なほどシンプルな構造が現れることがあります.「平衡状態はいくつかの変数だけで記述できる」という驚くべき事実は,そのひとつの例です.そして,その平衡状態を表現する理論体系が熱力学です.(熱力学については並行して以下のマガジンに投稿中ですので,良ければそちらもご覧ください.)

では,平衡状態に関する熱力学を,確率論的な考え方を用いることによって,ミクロから導けないでしょうか.実は,このことに関しては成功しています.これが統計力学のひとつの成果です.これは,次のシンプルな式によって端的に表現されています!

この式は「平衡状態のマクロな性質を表す量である自由エネルギーが,ミクロな力学的量である分配関数と結びつく」ということを言っています.この重要な式にはなぜかとくに名前がついていませんが,ボルツマン(Boltzmann)やギブズ(Gibbs)たちの一連の研究の結果1900年ごろにまとめられた公式で,「平衡統計力学の基本公式」とでも呼ぶことにしましょう.この式を理解することをこのノートでの一つの目標としましょう.

統計力学の成果その2

私たちが系の性質を調べたいときは,系に何か働きかけることで,系の変化を見る,という方法をとることができます.このような,入力に対する系の出力のことを応答と言います.系の応答を見るようなときは平衡状態から離れたところを見るわけです.そのような場合にも有効な理論をミクロな観点から作れるでしょうか?

平衡状態のごく近くでの系の応答の仕方についてなら,完成された理論があります.それは線形応答理論と呼ばれ,その成果は次の式によって端的に表されます!

この式は「系のマクロな応答が,ミクロな力学的量である流れの相関関数と結びつく」ということを言っていて,先ほどの平衡統計力学の基本公式に匹敵するものと言えます.こちらの式は久保の公式と呼ばれ,1957年に与えられました.久保の公式を理解することもこのノートでのもう一つの目標としましょう.

クオリティの高いノートをたくさん書けるように頑張ります!