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うんことの付き合い方

俺が初めてうんこを漏らしたのは小学校一年生のときだ。
その日は昼前くらいから何だか怪しい予感がしていた。

みなさんご存知の通り、小学生にとって学校でうんこをすることのハードルは恐ろしく高い。
学校でうんこするということは、うんこマンとしてのジョブチェンジが確定するからだ。
そのため帰宅までうんこを耐え抜く決意をし、午後の授業をなんとか乗り越えた。

下校時間となり、当時一緒に帰っていた友人に「今日おれんち夕方からいとこ来るから」などと全く関係のない謎の言い訳をして一人で帰らせてもらうことにした。

不安で胸を、うんこで腹を膨らませながら、括約筋をきつく締めながら足早に帰った。


途中なんども心が折れそうになりながら、内股歩きで家のすぐ前の交差点まで辿り着いた。


その刹那、安心したからなのか。
一日中締め続けた括約筋、もとい最後の砦が崩れ落ちたーーー。



それから俺はお腹が痛くなるたびに「もしかしたらここで漏らしてしまうかもしれない」と思うようになった。
うんこを漏らすイメージが脳内を駆け巡ると同時に腸内のぜん運動が加速する。
体が熱くなり、本来耐えられるはずなのにトイレに行きたくなってしまう。


俺は外出するとき、「移動ルート中どこにトイレがあるか」「今回の外出でトイレに絶対行けない時間帯はいつで、どの程度あるか、それに耐えられるか?」を確認するようになった。


お腹を壊さないよう食べ物にも気を遣い、いろいろなクスリ(整腸剤)にも手を出した。



それでも尚、うんこは俺に試練を与え続けた。
人生を振り返ればたくさんのうんこクライシスがあった。


小学生のとき、叔父の結婚式で新郎新婦にプレゼントを渡す役だったのに直前でトイレに引きこもり、遅れて会場に戻ったら参列者に笑われたこと。


高校のとき、入学式の開始直前にトイレに駆け込んで、個室から出たら校長先生が用を足していて、なぜか校長先生と同じタイミングで体育館入りすることになってすごく気まずかったこと。


大学生のとき、バイト先の社員旅行に同行してバス移動してるときにお腹が痛くなって、予定にないトイレ休憩を入れさせたこと。


社会人になってからも、趣味のゴルフでの車移動で何度サービスエリアに停めさせたことか。


こうした数多のうんこクライシスを乗り越え、ついに俺は痛みと限界時間予測ができるようになった。


でも正直言って、俺は外出が、いや、うんこが怖い。


限界時間が予測できたとしても痛いものは痛いし、人としての尊厳を失う怖さは拭えないのだ。(うんこだけn


そうして俺は気づけばインドアゲーマーになっていた。


いつうんこクライシスが訪れるか分からないのに、いや今まさにうんこクライシスが襲い掛かっているかもしれないのに、みんな何食わぬ顔で電車乗ってて偉い。


俺は、心からそう思う。


どんなにいい会社に勤めていても、容姿が優れていても、インフルエンサーになっても、芸能人になっても、AIやらで最新技術で社会のデジタル化が進んでも、どうしようもなく俺たちは生き物なんだ。


ヒトはうんこを生産し、運搬し、ひりだす生き物なんだ。


俺は他人の腹の痛みが分かる大人になりたい。


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