音は流れている-自分を表現することについて-

僕は元来自分の思っていることを外に表現することに苦手意識がある。
小学校は良かった。僕は足が早くてクラスの中心で、多分ある人からすれば嫌なやつだったかもしれない。
小学生の高学年の頃、これではいけないと焦り始めた人から嫌われてしまうと思い始めた。その頃だったのだろうか、そもそもクラスの中心にいたときからそうだったのか、自分ではもう覚えてないのだけど、自分を表現することすら怖くなっていった。
人に合わせつつ、抑えきれない表現の欲求を自分は変わっているという仮面をつけて、周りから微妙に外れるようにけど外れすぎないようなバランスで中学・高校を乗り切った。本音みたいなものを話せる友人がいないわけではないと思う。
ただ、それとは性質の異なるものだったのだと思う。

多分、誰かに求めれたいという欲求が人一倍に強いのだと思う。
自分のできることを誰かに認めてもらいたい。褒めてもらいたい。
その結果自分が表現したいことではなく、周りに評価されるモノを提示するというような、ねじれが自分の内面に発生してしまった。
これは後々に強いストレスによって自分を蝕むことになるとはあまり思っていなかった。

今はあまりそうは思わなくなってきている。もちろん自分がおもしろい、良いと思ったことが肯定されるのはとても嬉しい。
けど、そこにまず、自分が面白いと思うかという視点がまず第一に立つ様になってきた。その自己の内面の変化に僕はとても満足している。

契機になったのは一年の浪人を経て、大学で演劇部に入ったことだった。
それまで小中高とスポーツ一本だった僕が、初めて文化系の集団に入った。
正直なところ、演劇などに高校まではかけらも興味はなかった。むしろつまらないものだと考えていた。文化祭などで仰々しく、演技しているのを見るとだせえと思っていた。
前言撤回。多分、高校時代に演劇部を見たわけではない、イメージでそう判断していたのだと思う。とにかく興味はなかったのだ。

それが、新歓祭で観た舞台に僕は惹かれてしまった。とにかく脚本が良かった。(後にそれはプロから借りてきたものだと知ることにはなるのだが…)
そしてその帰り道に即入部を決めた。

そこから留年を挟み5年間の大学生活はほぼ演劇一色だった。
表現活動が楽しかった。けれど、ここでも自分の本当の本当の部分とでも言おうか、表現しきれない部分があった。
芝居には、脚本があり、演出家がいて、その脚本の中での演じる自分と他者がいる。自分の根源的欲求を表現するのには、向かない表現活動なのだ。
(そこがまた、面白い部分ではあるのだけど)

だからなのか、僕はいま音楽をやり始めた。
音は僕の意識しないうちからずっと流れているものだった。
小学生の1年生くらいまで、エレクトーンの教室に通ったり、小学生か中学生の頃まで家では、エレクトーンの個人レッスンのために部屋を貸し出したりしていた。
小学校の頃、フラッシュでBUMP OF CHICKENを知り、中学生時代はひたすらに聞いた。
家族でのドライブでは、山下達郎とか桑田佳祐の音楽がなっていた。角松敏生なんておとなになった今も聞いたことないのだけど、家にCDがある。
中学生になって、ニコニコ動画で素人が歌っているのを聞いた、僕にも歌えるような気がして、お金をためて機材を揃えたのに、自分の下手くそさに絶望した過去がある。
高校で友人とギターを買って半月くらいで飽きてしまった。それでも音楽の授業でギター弾いて歌ったりしていたのだ。
僕は多分音楽が好きだったのに、本気で向き合うことをあえてしなかった。何かと理由をつけては逃げ続けてきたのだ。ずっと音は鳴っていたのに。

音楽を、バンドを本気でやろうだなんてことをもう20の半ばにいる自分がやってるのは、馬鹿なのかもしれない。
それでも本気になった今、それをやめる手段が見つからない。
もちろん本分は俳優なのだけども、僕は欲張りなので、そのどちらも全力でぶつかっていこうと思う。
幼い頃に、自分をうまく言葉にできなかった、その衝動を、僕は音に乗せて歌うことを覚え始めたのだ。

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