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同人誌を誰にも手に取ってもらえなかった同人オタクの話

唐突だが、わたしは教訓じみた話はあまり好きじゃない。若い頃の苦労は買ってでもしろと言うけれど、そんなもん知るかと言う話だし、自分がそう言う教訓めいた話をするのも嫌だ。
だからこう言うタイトルはどうなのかなぁと思いながら書いている。だってどうしたって、このタイトルは同人女の道徳の教科書になってそうだもんな。

だからこれは私の単なる昔話だ。教訓でもなければ、何かを学べとも強制できない。
それでも今、悩んでる人がもしいるとしたら、このnoteのタイトルに惹かれて読む人がいたらこう言いたい。
「同人誌の頒布数が0なのは、別に誰か1人に原因があるわけじゃない」


15年前に初めて同人イベントに参加した

昔話というほどでもない。単純に初めて出たイベントで、わたしは本を手に取ってもらえなかった。
二次創作でBLの小説。コピー本だったり、オンデマンドだったり形は様々だけど、手に取ってすらもらえなかった。
それだけじゃない、そこから1年間、イベント会場でずっと誰にも手を取ってもらえなかった
手にとってもらえたけど、小説ならいいですとか言われたこともあった。本当に言われるんだなと思ったね。
開場して、イベントが始まった4時間。スペースでただぼんやり人の流れを見ているだけで終わってしまったのが約1年。イベント回数にして3〜4回だった。
その時の在庫本はもう全部捨てた。データもない。
なぜか?と言う原因は明白だ。知られてないから。ジャンルも、カップリングも、わたし自身もだ。
そうして、出たのが地方のイベントだったから。東京にも一回行った。確かオールジャンルだったけど。
まあなんというか……、要素を上げればそりゃそうだ、としか言えない。逆になんで頒布できると思ったのか根拠を上げろと言いたい。

さて、ここからわたしがどんな成長を遂げたのかとワクワクする人もいると思うが、正直言うと、0が1か2になったレベルの成長しかしてない
(もちろんこれは比喩なので実際の部数ではありません)
そんなに現実は甘くもないし、人間も変われはしない。個人サークル参加から1年経って、ちょっとずつ手にとってもらえる人も増えたけど、それは同人イベントについて、自分が手にとってもらえるような場所、環境を選ぶようにしたからだ。正直文章力が上がったとかそんなことはなくて、ただただ、頒布場所を選ぶようにして、なおかつ自分でもそこにセールスをした。
ここからようはそう言うことなのだ、と思った。
自分の書いた本を手にとってほしい、読んでほしい、という努力は文章だけで決まる話じゃない。同人誌だって一種の流通と捉えれば、自ずと答えは出てくる。

プライドとしてそれが許せなかったのはあったけど

ただこれを、美談とか、教訓じみた話にしたいわけではない。わかったところで私はそういう取り組みが面倒臭いし死ぬほど苦手だから。手にとってほしいとは思うけど、その為の努力はしたくない、本当にプライドばっかり高いやつだなぁとおもう。
はたからみると、人に読まれない、評価もされない、自己満足の行為だ。それでよく15年もやってるもんだと思う。なんでやってんだろうね…私もよくわかんないです。

そういえば、最近のイベントって「誰かに本を手にとってもらう努力」を本当に惜しまない人ばかりですごく羨ましいし尊敬もする。
そう言うのを見るたび、段ボールで現地で値札を作ることをまずやめないと………っておもう。反省してます、段ボール値札。

まあそれでも、小説を書く、文章を書くと言う行為については人より自信があるから本を作るし、15年前に本を作って同人イベントに出た時から「こんなにいい解釈の自カプを知らないなんでみんな勿体無いな」というどっから来るんだその自信???という根拠のない自信だけが、15年間と言う自分の同人活動を支えているのは確かなことだ。この根拠のない自信がある限り、わたしは本を作るんだろうし、時には自分のマーケティングの下手さを棚に上げて「わたしは小説下手くそ〜〜」っていったりするんだろうなと思う。
そうやって生きて、同人活動をしていくのだと思う。

数字で見える化した現代で同人活動をすると言うこと

好き勝手やろうが、なにしたって、どうしたって数字は目に着くし、「そんなの気にしないで好きなものだけ書けばいいのよ!キラキラ」みたいなのもあるけど、絶対どっかで気にしてると思う。
過度に数字を気にするなとか言う人がいるけど、もう現代社会でネット媒体で作品をあげてるならどうしたって数字はついて回る。絶対的な単位は指標にもなるし、分析材料にもなる。情熱という形のないものを比較する為に使えるようになるのだ。
別にそれでいいと思う。数字を気にしないである自分も、どっかで気にする自分も両方いたっていい。そういう自分がいるということを認めることが大事なんだと思うので。

1年間、本を手に取ってもらえなかったからと言って、同人活動はやめなかった。そこで頒布数を上げようとも努力はしなかった。ただ、それでも自分の中から湧き上がる、書きたい欲が満たせるのが、同人活動という行為だったというだけ。
そこについてくる結果はどうでもよくて、だけど数字で比較ができる時代だから気にしてしまう。べつにきにしてないし、と言っても目に入るから考えてしまうことはまあある。
そういう曖昧さを持っているのは、悪じゃないのだ。承認欲求を持つことと、自己実現は両立する。承認欲求を得た先に、自己実現が叶うってマズローも言ってる。
だから今日もわたしは、同人誌のことを考える。
数なんかどうでもいい、情熱があれば、という同人活動の理想論と、やっぱり書いたからには読んでもらいたいのが人間の欲求!!というどちらのスタンスにも振り切れない、曖昧さ。日々変わる気分を抱えながら、何から生じるのかわからない、創作物を生み出している。


(追記)本当にありがたいことに、こうやって15年も細々続けてきたおかげで、「やまろくさんの小説や文章、本が好きです」と言ってくださる方はいる。ほんとうに頭が上がらない。そう言ってくださる方がいるから書きます!と言えない自分がもどかしいくらいです。日々ありがとうございます。日々精進します。