『推しカプクラスタ』からちょっとだけ距離を置いた同人女が思うこと


いつのまにかまた春がやってきて、出会いと別れがありました。
春は妙に感傷じみてしまうのはなんでだろう。桜の散り際がいつも寂しいからなんでしょうか。今年はそんな感慨にふけることもなく、桜の写真を撮ることもなく春が過ぎようとしています。

さて出会いと別れの季節ということで、大したことない同人女の別れと失敗の話をします。
突然の物騒なタイトルで申し訳ございません。

昨年、推しカプクラスタからちょっとだけ離れました。

離れました、というとすごい強い言葉なので補足すると、同人女としての精神衛生について突き詰めた結果、「多分ここにずっといたらわたしすごいめんどくせぇし、厄介野郎になるな??」と感じてちょっとだけ考え方を変えたと言う話です。

具体的に述べて行きます。

同人って、自分の創作ってなんのためにしてるの?
この問いかけをコロナ禍で外出できない中で考えていました。

❶好きなジャンルで、自分の好きを表現したい
❷❶について同じ嗜好の人がいたら話して盛り上がりたい

❸❶❷を達成するための手段としての二次創作

こういう感じかなと自分では思ってました。他の人は知らんけど、わたしにとっての二次創作は、本当に単純なまでな衝動しかない行為な訳です。

この衝動性がなければ多分何かを生み出すことはできない。他者の評価は二の次なわけですが、いやほんとに二の次だったの??と自問自答する日々だったわけです。

人付き合いと同人活動

同人の人間関係っていうのは難しいところがあって、これはどんな人でもそうだと思うんですけど、「お付き合い」というのが多かれ少なかれある。
自分を評価してくれる人に義理立てするとか、その逆も然りだったり。他の人が読みたい・見たいというから書くだったり、モチベーションにもつながることになる。人付き合いも含めて同人の魅力、醍醐味なのだとは思うのですが、自分にとって同人の創作物と作者は切り離していたものでした。
けれどもちろん、作ったものの評価=自分の評価って一体になってる人もいる。そういう人にとってみると、わたしの作品の評価ってそのままわたしに対する評価になってない??と思ってしまった。

ここですれ違いが起こってしまってるんですよね。
創作物=作者の人(A)と、創作物≠作者の人(B)
この前提を無視して話をするとすごくいろんなものがズレてくる。相容れないわけではないけど、お互いに理解がないと求めることやスタンスの違いからトラブルが出てくる。
100%Aではないが、A寄りの人とか、AB50%ずつとか、そういう微妙な割合は同人をする人それぞれにあると思う。
自分のスタンスってどこなのか、相手ってどうなのか、これがわからないままクラスタの交流があると結構疲れる。

そしてなんでこれがカプクラスタから離れることに繋がるのかというと、自分が交流してるときに、この図式にこの時点で気づけなかったからです。
一定数いた、「創作物=作者」の人たちの意図を汲めずに、(どちらかと言えば)交流目的で反応してもらってるのを汲めずにいた。なので当然相手へのレスポンスも最低限でTLもろくに見ちゃいない。誰かが作品あげても気づけなかったり琴線に触れないと反応できなかった。
当然と言えば当然なんですけどね。人付き合いで同人やらオタクやってるわけではないから。
だけど相手からしてみたら私はすごくひどいことをしていたんだと思います。「創作物に対して反応してこんなに交流したいのにどうしてわたしには返してくれないんだろこの人‥」って思われてたのかもしれないと思うと、いまさらながらめっちゃイヤなやつだなと思います。

ここ数年で思うことですけど、相手の考えなんて100%本意はわからないから疑い出したらキリがない。義理でも本心でも発出された言葉や表現、行動が全てだと思うし、本心がわからないなら、言葉にしてもらうしかない。自分も齟齬が少ないように相手に伝えていく。そうやって相互の理解をしようとする努力をするのが人付き合いだと思ってます。
ただこれは人付き合いにおける話であって、残念ながらわたしにとっては同人活動の目的は人付き合いではなかった。

●創作活動する=仲の良さ・人間関係を良好にする手段、というのは個人的にはちょっと違うな!!と思った
●創作物≠作者そのものではない。人と人の付き合いに創作物を介入させると割としんどい

そんなこんなでこの図式に気付くんですが、何を思ったかわたしは「創作物=作者」の人にスタンスに対してキレます。
「仲良しこよしするために同人活動してねーわ!!」という具合に。
そうして色々悩んだ末にこれは一旦自分が冷静になるために距離を置こうとだんだんFOし始めました。


クラスタから距離を取る→それまで評価してくれた人たちから距離を取る→評価はなくなる

同人女である以上、人間関係と作品の評価は切っても切り離せない。周りがそういう関係性が多ければ多いほど自分が周りに気を遣った創作しかできなくて疲弊していく。
わたしが気を遣った創作しかしてなかったとは言い難いんですが、逆にそれでも創作物=作者寄りで、気を遣う人ばかりの界隈だと、それも申し訳ない。
自分はどうあがいても創作物≠作者の考えを変えられない。クラスタに話しても不全感でしんどい思いをしてる人が多い。
だったら自分が好きなことして疲れるならそれは環境からすっぱり距離を置く選択した方が楽では??

とそんな経緯で、私は推しカプクラスタからちょっとだけ離れました。後ろ髪を引かれる思いはそりゃありました。だって、自分のことを認めてくれて、優しくしてくれた人たちなのに、自分が好きな創作ができないというただそれだけの理由のためにフォローを外すんですよ。お前何様??って感じだし、衝動的に外すわけじゃないからめちゃくちゃ躊躇いますよ。
結局ここにこういうnoteをグダグダ書いてる時点ですごい厄介野郎ですし、100%人付き合いと創作が別物ではなかったんだなと気付くのですが。

結果、推しカプという括りから解き放たれたわたしは割と自由に同人ができています。
その代わりほとんど閲覧数はありませんし、反応も以前よりめっちゃ減りました。
承認欲求なんてそんなものは満たされるはずもないです。でもそれでいいんです。承認欲求が満たされないけどそのための同人じゃないし、人付き合いがしたくてやってる活動じゃないから。
そう言う結論に至れた今、すごくここに関しては楽しくなった。やってみれば人付き合いと創作を切り離すってめちゃくちゃ楽な話でした。あー誰も自分のこと見てないんだな〜と思うとすげー楽。これはジャンル変えたときと似てる。
そもそも論として、今のジャンルにハマって、同人活動を始めた理由こそカップリングだったのですが、次第にいろんなキャラクターや関係性を描きたくなってしまった。そうなるともうカップリングに特化した同人誌だけを書き続けるってことができなくなっていた。
推しカプの同人誌をしばらく出さないけどそのクラスタにいるっていうことも、自分の中で不義理だなと思ってしまったのかもしれません。

とか、なんだかんだ離れても100%別物ではなくて2%くらいは人付き合いも気にしてたんでしょうね。それでも自分が好きなものを好きに書いていられることの方が誰かに評価されるよりも安心するんだなって思ったし、それが同人の本来の理由だったな、と。

いや今更何言ってんの?? 本当にな!

「全く人付き合いしないってこと??」ではないのですが、前述したように創作物と人付き合いは個人的には(ほぼ)別物だと考えています。
どれだけ本人の思考から生まれたものであってもそれはそれ、これはこれです。
どれだけ本人が好きでもいい人でも、創作物は無理って人いるし、逆もまた然りです。
推しカプクラスタという括りよりは、オタ活同人活動エンジョイ勢として切磋琢磨(?)したいという気持ちが強い。

こういうの、ネガティブな話題ではあるし、言い訳であることは否めません。実際、自分が行動や態度を取ったことで傷つけた方もいるし、本当に自分のことを評価してくれた人に対しては大変失礼なことをしたと思っています。
自分が至らぬばかりに非常に失礼な態度を取ったこと、相手を傷つけてしまった反省はあります。未だにnoteを書くくらいには未練がましいんですけどね。

自分がやりたかった同人活動、二次創作は誰かと仲良くするためのツールではないし、まして自分の承認欲求を埋めるための手段でもない。
自分の思いの丈を、せめて趣味の空間だけでも表現出来ること。それが自分の二次創作活動の原点になっていると思います。し、このスタンスでこれから行くんだろうなとも思います。
この立場を取ろうと決められたのは、むしろこの経緯があったからこそでした。本当にぐだぐだなまま、悶々とした何かを抱えたままですし、もっとクラスタの皆様に不義理を働いていたと思う。知らず知らずのうちに誰かのストレス源にはなりたくなかったから、という私の弱さから距離を置いたというのもあります。

行動を取るというのは、個人的に思うのは衝動性的なではなくて、それまでの悩みとか過程があることがほとんどです。
今回の話は自分が(いい歳して)自分のスタンスをきちんと表明しなかったからこそ起きた事象でした。
けど、自分が二次創作活動をする上で原点に立ち返れてよかったなと心底思います。

世の中、しがらみばっかりだと思うし自分もまたそのしがらみの中で生きてる。だけど残念ながら個を持った人間である以上、自分が譲れないところや崩せないスタンスがある。同人やってるオタクなんかみんな個性しかないです。スタンスなんか人の数ほどある。
けど、それらは「違うから認められない」という拒否をするものではない。実際に私と仲良くしてくださる人の中にも、創作物=作者の人はいますが、お互いの立場や考え方を知ってる。だから相手にそこを求めない。相手も私にそれを求めない。そうやってうまくいくこともある。
私とは違うけどどんなスタンスなの?とか聞いたり、話せたり、人に忖度せずに主張できたりするとありがたい。
大抵の人は人に興味がありません。だからこそ多少なりとも興味を持ってくれた人には誠実でいたい。矛盾するようですが、「私にとって創作物は作者そのものではなく、同人活動の主目的を交流ではない」っていうことが、人付き合いをするうえでの誠意だと思って、ここにnoteを残します。

そろそろ夜明けも近いです。GW前に疲れ果てて衝動的にこんな文章書きましたが見直してないのでいろいろ綻びがあったら申し訳ありません。暁のラブレター理論で夜明けに書く文章ほど恥ずかしくて読み返したくないものはありませんが、それだけ純度の高い自分の言葉であるとは思います。

ひとつだけ、人間関係、特に同人の人間関係で疲れている方にこのしょうもない失敗談がラブレターになればいいなんてくだらないことを考えながら眠りたいと思います。おやすみなさい。