「恋星男子」は創作と現実を区別する

どうして私たちはフィクションの物語を求めるのだろう。
それは娯楽のためであったり暇つぶしのためであったり、得られない興奮や感動を得るためかもしれない。
一方で、作品というものがひとたびこの世に出れば、プロアマ問わずに読み手が存在することになる。
何か迷いを抱えて、自分のままならない現実から目を逸らしたくて、書籍のページを捲る人もいるだろう。
たとえば叶わぬ恋をしていたら。胸の苦しさを誰にも打ち明けることができずにいる思いを、フィクションという世界の中でだけでも共感を得ようとして、叶わぬ恋を扱った作品に手を伸ばす人間だっているはずだ。
そうしてページを閉じた後に、「わかっちゃいたけど所詮はフィクションだった」という絶望感に襲われる。
だけどどこか、フィクションの登場人物の胸の痛みや苦しさが、自分の痛みを肯定してくれるような気持ちになって、そうして救われるということだってある。
物語を簡単にハッピーエンドにすることはできる。いくらでも、どれほどでも幸せにすることは容易だ。
苦難が多ければ多いほどその幸福は大きくなる。だから人々はフィクションを求めるし、大団円を望んで物語を読むんだと思う。

――と、そんな気持ちで日々を過ごしている中で読んだのがこれ。


フィクションだって逃げることを許してくれない。そんなときがあるんだと知った。
これは、「恋する男子に星を投げろ!(以下恋星男子)」を読み終えた後に出たわたしの単純な感想だった。

~あらすじ(pixivコミックあらすじより抜粋)~
晴陽は投稿者Namiが書くBL小説の更新を 毎日心待ちにしていた。 「本は好きだけど自分には書けない」 そう思っていた晴陽。 しかし所属する文芸部の廃部危機を救うため、 BL小説を書くことになってしまった…。 筆が乗らず頭を抱えていた晴陽は、 学内文集でNamiそっくりの文体の感想文を見つけて…? 

「ゆるきゅんBL」というタイトル通り、恋とも友情ともつかない淡い感情が表現されている。
作画担当のゆとと先生の愛らしい少年たちの表情に、在りし日の学生生活がよみがえる。いいよねキャッキャウフフ。青春!DK!!というキャッキャとした中で、時折混ざる『現実感』がとてもいいスパイスになっていた。
高校生の揺らぎやすさだとか、主人公の晴陽たち文芸部よりも、少しだけ世界の広さを知っている南野が突き付ける現実。そのギャップが表情やベタ、表現力で見事に表されているなと感じた。
(あとすごいペンタッチがめちゃくちゃアナログっぽくて個人的にめちゃくちゃ好きでした。漫画!!!って感じのものを読んだ感がすごい)

恋星男子は、小説を書く人間であるか、そうではないかで結構印象が違うんじゃないかと思う。多少なりとも自分自身のオリジナル小説を書いて評価を受けたいと思った人間であれば、渡瀬や南野の『プロ視点』での言葉はずしんと胸に圧し掛かる。
途中で何度「わたしはBL漫画を読んでいるのにどうしてこんな気持ちにならなければ…???」と思って苦しかった。
そうしたら絶妙なタイミングで南野から「小説を書くやつが目の前の言葉から逃げちゃダメだ」とか言われたのでほんとぐうの音もでなかった。すみません精進します。
そんな創作をする上での名言がたくさんあるので、BLという枠にとらわれず、小説を書く人間にも読んでほしいという漫画でもある。
(この辺りは原作者の春日すもも先生のトライアンドエラーの末の言葉なのかなと思う)

そうして晴陽の思いもそうだ。
現実に誰かの好意を明確にされて、誰かから好意を向けられて、それまでフィクションでしかなかった感情が自分の身にも起こる。
「物語だったら」「筋書きが決まっていたら」こんな風に悩むことはなかったんだろうけれど、同性愛が(かなりバリアが外れてきたとはいえ)奇異の目に晒されているような現実を前に、立ちすくむしかできない自分に情けなくて恥ずかしくなる。
創作された感情であれば思いが通じ合って終わりなのに、現実というものはまったくままならない。
そんな男子高校生の揺らぎやすさが、ゆとと先生の表情の落差とすもも先生の巧みなセリフ回しで織りなされている。だから読んでいるこっちも、すごく胸が締め付けられてしまう。

恋星男子における小説然り、恋愛然り、この物語は、創作と現実をはっきりと区別した作品なのだとおもう。
創作のように現実はうまくいかないし、叶わない恋だって確かに存在する。物語みたいに予定調和で綺麗に収まるなんてことはない。創作に込めた思いが叶うわけでもなければ、読み手が100人いれば100通りの受け取り方がある。
恋星男子の結末が、「創作通り」のものであれば、わたしのようなひねくれものの読者はやっぱり「ああやっぱりね」と落胆していたことだろう。
けれど、恋星男子の結末はこう括られている。

「現実と創作は違う。けど恋する気持ちは現実も創作も変わらないはずだ」

所詮、「小説は小説」、作り物の世界なのだ。
娯楽で読むものであるし、こうなればいいなの願望を込めたフィクションである。
だけど、そこに込められた想いだけは、創作の中で「現実」となりえるものなんだろう。
そういう思いを大事にした『恋星男子』、こうしてきちんと読むことができてよかった。

連載お疲れさまでした。ゆとと先生、春日すもも先生の次回作を楽しみにしております。

2巻は11/27発売だよ!!!!!!!!


余談。
わたしは智也がめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃすきなので智也が大学行って幸せになる話が読みたいのと、三坂のビジュアルがめっちゃ好きだったので三坂のエピソードが読みたいなっておもいました (雑念)


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