【短編】木漏れ日の中の憧憬
僕は目を瞑る。
春が少しだけ入り口から歩を進めたような頃。桜はすでに散り、大きな緑の葉にとってかわられている頃。
僕は森の中にいる。
森は広く、入り口も出口もわからない。しかし、春の若い木々達と、柔らかい日差しが作る木漏れ日は、僕を優しく包む。その光は、白に少し黄色とピンクを加えて、森の中に横たわる僕に降り注ぐ。半袖の僕は、時折風がふくと少しその冷たさを感じながらも、心地よい空気に包まれる。
僕はその森の中にある、一際大きなクスノキの足元にいる。幹は僕が両手を回しても半分もいかないくらいで、背丈は10m以上はあるように見える。巨木ではあるけれど、荒々しさはなく、さらに、古いことをことさら誇示すようないかめしさもない。ただ、彼は、あたかも、自分がこの森をしっかりと支えるのだという強い思いがあるかのように、芯の通った姿に見える。僕は彼に背をもたれながら、木漏れ日を求めて手を探る。森の木々によって作られた木漏れ日は、色を変え、匂いを変えて、クスノキの幹を照らす。僕はその照らされている部分に手を当てる。
上を見上げると、若いクスノキの葉はゆっくりと、しかし不規則に揺れている。
僕はその葉の動きをずっと見ていられる。何時間でも、何日でも見ていられるような気持ちがする。
葉の動きは複雑で、一つの葉が風に揺れて、左に動き、そこにできた隙間から、小さな木漏れ日が降り注ぐ。しかし、次の瞬間、その葉は風の力を失い元に戻る。しかし、戻ると、その右隣の葉に触れてその葉を動かす。そうすると、そこに生まれた小さな隙間から、次の木漏れ日が降り注ぐ。無数の小さな木洩れ日があちこちで生まれては消えていく。そう、森の中では、日差しは常に動いている。細かく不規則に、だけど小気味よく、心地よく。それを見ている限り、僕はずっとずっと幸せな気分になれる。
なぜみんな、この森で、この光の生み出す小さな優しさに気づかないのだろうと思う。僕は一生ここにいて、一生この森の生み出す美しい木漏れ日の旋律を感じていたい。包まれていたい。ただそれだけでいい。
そして、できればこの憧憬を多くの人に伝えたい。
決して、自分一人で独占していいようなものではないと思う。
この森の揺らぎ、クスノキの立派さ、葉のささやき、土のくすぐったさ、その全てが人間に与える安らぎ。それら全てを、一人でも多くの人に伝えたい。一緒にここで過ごしたい。一緒にここで、世界の優しさと、美しさ、儚さを語り合いたい。
世界がいかに、生きる価値のある場所であるか、その全てを語り合いたい。
僕はそう思うと、心が奮え、いてもたってもいられなくなる。僕が伝えなければ、と。
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