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【連載小説】猫人相談所(4)猫の被り物をとる時

 どうして誰も通らないのだろう。深夜とは言えどもまだ25時あたりだ。終電は終わったけれども、駅の前のビルではカラオケもやっていれば、居酒屋もやっている。地元の大学生やらサラリーマンやらもいるはずだ。どうして今日に限って誰も通らないのか。
 
 僕は猫人の言ったことを考える。考えざるを得ない。
 彼のいうことはつまりは、僕は、自分の本心では、杉元さんのことを自分のものにしようと付け狙っっていて、それを悟られないようにするためにいい人ぶっている、いい人のふりをして自分を誤魔化している、ということだろうか? 仮にそうだとして、一体それの何が問題なのだろうか。
(もちろん、そうではない。猫人は、そのように自分を偽ることで、本来の自分さえも失ってしまい、嘘で塗り固められた偽善者になっていることが問題で、そういうことに気づかない人間になっていることが問題だと言っている。つまり、僕は猫人の話を聞いても、そう思えていないわけだ)
 しかし、現実問題として、僕の体は今にも真夏の真っ黒な虚空に放り出されようとしている。猫人はその手を緩める気配はない。そして、2つの選択肢に対して答えを求めている。もしも僕がその2つの選択肢のいずれもを拒否した場合にどういうことが起こるか、なかなか僕には想定もできないけれども、そこにはかなり危険な事態が起こる可能性は十分にありそうだった。
 猫人の選択肢を吟味してみる。1つは、自分の闇を認めて、許してもらう代わりに猫人の仲間入りをしろ、ということだろう。一体、猫人になることがどういうことなのか、それについての説明がないので想像もできない。けれども、本当に猫人の被り物をして生きろというよりは、何か観念的なものなのだろうと思われた。そして、観念的に猫人になるということはどういうことなのか、人間ではあるけれど、人間の思考では無くなるということだろうか? 
 もう1つは、要するに、僕のしたこと、僕の考えていることを何らかの形で世の中に知らしめるということだろう。SNS なのかYouTubeなのかブログなのか、手段はわからないけれど、なんらかの形で僕のことを晒すのだろう。それは気持ちの良いものではないけれど、しかし、僕のこんな話なんて、世の中的にはありきたりすぎて、誰にも興味など持たれないのではないだろうか?
 僕は2つの選択肢を頭の両側に描いてみる。そして交互に見やる。現実的にではなく、観念的にみる。
 カラスの声がする。カラス?こんな夜中に?でも、思えば、カラスがいつ鳴いているかさえ僕はよく知らない。カラスが夜中に鳴いていてもおかしくはないのかもしれない。
 カラスの声を聞くことで、僕には1つの景色が浮かんでくる。
 遥か少年時代、そう、このブランコに乗って靴飛ばしをしていたとき、誰かが飛ばした靴がカラスの近くに飛んでいき、そのカラスがブランコに向かって猛然と突っ込んできた。慌てた彼は、ブランコから手を離してしまい、その体は大きな放物線を描き、ブランコの遥かかなた、と言っても5mくらい先まで飛んでいき、肩から落ちてしまった。幸いに肩を脱臼した程度だったけれど、それ以来何となく靴飛ばしはみんなやらなくなった。
 そうだ。僕にはもう1つの選択肢がある。僕は、このブランコの両側で強く握っているチェーンを離せばいいのだ。猫人が僕を高く持ち上げ、強く押し出したとき、その振り子の反対側を上がっていくところで、このチェーンを離せばいい。そうすれば、僕は慣性の法則によって大きくブランコから放り出されるだろう。その距離がどのくらいになるのかはわからない。しかし、少なくとも数m先にはいくはずだ。不意でなければ僕は肩から落ちたりせずに、しっかり着地をすることができるはずだ。そして、そこから一気に10mくらい先の電灯の下、歩道にまで出る。そこまで出ていけば猫人は追ってこないはずだ。彼らはきっと、人目につくことは嫌うだろう。なにしろ、あのような醜い猫の被り物をして街を歩くことは公序良俗に反することで、誰かの目につけば、大きな騒ぎになるはずだ。
 そこで考えられるリスクは1つだけある。それは、チェーンから手を離したとき、思ったより体が前に飛ばないことだ。つまり、ブランコから落ちた程度になり、すぐに猫人に取り押さえられてしまう。それは最悪の状況に思えた。
 
 僕はそのリスクを念頭に置き、猫人に答える。
「あなたの言っていることには大きな矛盾があります。矛盾というより、大きな欺瞞、大きな搾取的な行為があります。それは、到底看過できることではない」
僕は敢然と猫人を否定する。そして、後ろに体が触れるときに、意図して猫人に体をぶつけるように勢いをつける。
「まずあなたは、醜い自分の顔を醜い猫の被り物で隠している。その行為は、たとえ仮にも僕の行為が、やってきたことが偽善であり、僕自身が偽善に塗り固められた人間になっていたとしても、僕は僕の顔で生きている。この見栄えのしない、鼻の低い、おでこが広く後頭部が不用意に大きい顔を晒して生きる。しかし、あなたたちは、自分の悍ましい顔を隠し、そして、自分という存在の不具合を巧妙に隠しながら、その一方で人の悍ましさを語っている」
「その欺瞞的な行為の犯罪性は、僕のしてきたことの犯罪性よりもずっと強いと思われる」
僕は声に怒気を込め、そして背中にさらに力を込める。猫人はその勢いに少しよろける。しかし、すぐに僕の体をしっかり受け止め、今までにない力を込めてブランコを押し出す。そこには明らかに猫人の興奮が感じられる。
「あなたは何もわかっていない。あなたの言っていることには、何の中身もない。何の事実もない」
それはそうだ。僕は今、あなたたたちを糾弾し、興奮させるためにハッタリを言っているのだから。
「まずあなたは、その猫の被り物を取るべきだ。僕に2つの選択肢を選ばせようというならば、まずはあなたの存在の正当性をしっかりと証明してほしい。存在が正当でないものに対して、僕自身の価値を毀損するかもしれないような選択をすることはできない」
言葉が強くなりすぎた感じがして少し間を置く。僕の言葉の何かが猫人の体のどこかに届いた感触がある。
「あなたは、私に被り物を取れという。しかしよく考えてほしい。よく、あなた自身のことを考えてほしい。本当に、あなたに、私の顔を見る勇気はあるのだろうか。あなたは、私のこの顔を見る覚悟ができているのだろうか。あなたは、私の顔を見たいと本当に思っているのだろうか。そして、もしも本当の顔を見たとき、あなたは自分の人生が、自分の存在がどうなってしまうか、きちんと考えているのだろうか」
僕は猫人の言ったことを考える。どうして、僕が、猫人の顔を見ることに、勇気や覚悟が必要なのだろう? 正直言えば、今までこの被り物の下に何があるのかなど、本当は興味がなかった。被り物を取れというのは、あくまでハッタリだ。しかし、逆に猫人の言葉を聞き、僕は急にこの被り物の下に何があるのか、そのことが気になりだす。なぜ、僕は、この被り物の下の顔を見ると「後悔」することになるのだ?想像が全くつかない。想像がつかないものに出会うと、人はどうしても、その中身を見てみたくなる。
 しかし。どうすべきか。ここで、被り物をとれ、取らないの押し問答をすることはあまり得策でないように思えた。さらに、なかなかこのような状態で自分の顔を何らかの理由で隠している人に、その被り物を取れというのは、簡単ではないだろうと思われた。
「わかりました。あなたが、自分の決断をするために、私の顔を見るべきだというならば、これから私は被り物をとりましょう。しかし、これだけは言っておきます。もしも、あなたが、私の顔を見たならば、あなたはもう元に戻ることはできません。2つの選択肢のどちらかを選ぶしかありません。それは、現実的にはあなたは存在しても、実質的にはあなたという存在はなくなるか、あるいは存在をしていられなくなるかのいずれかであるということです。つまり、あなたがレートを上げたのです。この被り物を私がとる。私は相応の理由があり猫人になってここにいます。しかし、あなたは、そのような私の存在を否定し、私の顔を見せろという。いいでしょう。私にも覚悟があります。私の全ての黒魂をかけて、あなたに私の姿を晒します。しかし、あなたにも同様の覚悟を求めることになります。あなたはそこから逃れることはできません」
僕が何かを決断するよりも前に猫人が断を下す。
 僕の後ろから猫人の手が離れる。後ろを見ることはできないが、その手は猫の被り物の縁にいき、両の手でその被り物を取る音が微かにする。微かに。それは小狡いリスが木から木へとうつるときにそっと木の枝が揺れる、そのくらいに微かな音がする。
 僕の後ろには猫を外した猫人がいる。僕は後ろを見てその存在を確認すべきだろうか。

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